Mar22

C1へのグラウンディングの方法

C1へのグラウンディングの方法は、振動数を下げるのではなく、メタ認知によって、全体を把握し、理解するという方法だね。そうすれば振動数を下げずに、C1へとしっかりと根差せるようになる。つまり自分にとって執筆や、研究、クリエイティブの活動こそが、C1のグラウンディングになるってことだね。非常にうまく視野が定まった。
アートマ体とモナド、ロゴスといったF49およびF49+にしっかりとグラウンディングしていけば、おのずとそれと鏡像関係にあるC1にグラウンディングできるようになるということだね。物理の数式を理解すると、物質界がよくわかるのと同じ。分かりやすい。
ちなみにこのプロセス自体が、非常にグノーシス的だといえるね。技(智)による救いは、すべからくして、グノーシス的だといえる。

「自己責任論」という世代観

小泉政権下の「自己責任論」的な雰囲気で言うと、当時は、テレビ番組だと「マネーの虎」が流行っていた時期。バブルが崩壊してから長い低迷の時代が続き(失われた10年)、終身雇用制や、年金制度が破たんし始め、格差社会が広がり、人生はサバイバルであると教えられ、勝ち組負け組論争がよく議論されていた時代。
そして、ちょうどミスチルなどのロスジェネの世代が、そうした社会の不条理と戦っている真っ最中で、強大な社会というある種の「敵」を前にして、「どこまで自分の手で生き残っていけるのかというサバイバル」=「何事にも頼らず全てを自己責任で生きる人生はかっこいい」という、時代背景だった。当時、問題作だった深作欣二監督/北野武出演のバトルロワイアルなども、あの時代に思春期や、911テロやその後のイラク戦争の不条理を目の前にして過ごした自分たちとしては、どこか共感できる部分があったように思う。当時はそんな社会背景のなか、思春期を過ごし、アイデンティティ形成の真っ最中だから、心理学的に言うと、こうした時代精神は、人生脚本にがっつりと影響を植え付けられているといえるね。
時代が移り変わって、特にSNSや、IoTのようなシェアのテクノロジーが登場してから、こうした雰囲気がガラッと変わった今、当時の雰囲気を振り返ると、まさにこれがジェネレーションなんだなと思う。
いうなれば、ちょうど上の世代の70年代生まれのビーバップハイスクールのような「ツッパリ、ワル=かっこいい」みたいな感じが当たり前世代を、どこか遠くで見ていた僕らの世代(80年代)は、「自己責任論」という社会の風潮の中で、思春期を過ごしていたことになるね。たぶん同じような感じで、下の世代は僕らの「自己責任論世代」をどこか遠くで見ているような感じなのだろうと思う。
ツッパリ世代の仮想敵は、センコーや、親、学校、大人たちであったが、自己責任論世代は、ツッパリ世代がそうした価値観をぶっ壊していったため、より抽象度が上がった「社会の中に蔓延するはっきりとは見えない、でも確実に存在する喪失感」と戦っていたようにも思う。それが自己責任論という形で表れていた時代ともいえる。ある意味上のツッパリ世代は、親や権威的なものに直接物理的に反抗すればよかったが、僕らの世代は、表面上はそういう形をとらずに、内面的なプロセスとして反抗していった=自己責任という形で、親や外側の権威に頼らない(つまりは内的なプロセスを通じて外側の権威を否定する)生き方を選択していったともいえる。実際積極的には頼らないという側面だけでなく、時代の変遷の中で、すでに権威が正統性を失ってしまっている以上、そもそも頼れないという側面もあっただろう。
ということは、普通に考えられば、今の思春期、青年期世代が向き合っているテーマは、こうした自己責任論という輪郭すらない時代であり、より抽象度が高い、根源的な問いと向き合う必要がある時代になっているともいえるだろう。そういう部分から、おそらく「社会起業家」といったような文脈が生まれてくるんだろうと思う。上の世代からすると理想主義的なものに見えるが、しかし、当の世代からすると実存にかかわる、非常に逼迫したテーマになっていくんだと思う。
総じてより抽象的で、哲学的な時代になっていくということだね。
ジェネラティビティを考えると、もはやこうした昔の時代に影響を受けた価値観が、今の時代は当然ではなくなっていることに気づかないと、時代錯誤にもなるし、世代間のコミュニケーションにおいて、基本的なOSの部分がかみ合わなくなってしまうね。それが壮年期に始まるジェネラティビティの獲得というテーマにもなっていくね。

ミニマムリッチ

そういえば、気づけば、小泉政権下にあった「自己責任論」の風潮や、その後の「勝ち組」「負け組」の発想や、そのエネルギーって、SNSによって承認や所属の欲求を満たすコストが急速に下がったことと(社会的なアイコンとして以前よりも車やブランドものなどの物質としての高級品を持つ必要が無くなっている)、メルカリなどのシェアのテクノロジーが発達していくにしたがって、集合意識から、だいぶなくなってきたように感じる。聞くところによると、そうしたトレンドはミニマリズムとリッチをかけあわせて、ミニマムリッチというそうな。着々と、優しい社会に移行していっているね。持たない豊かさだね。実際持つためのコストってすごいからね。

Mar21

C1への安定的なアプローチ

C1への安定的なアプローチは、C1に下降するのではなく、F49(アートマ界)-F27(メンタル界)にアクセスしていけばいいことが明確に分かった。つまりいつも取り組んでいるように、C1の事象をロジカルに理論化していくということ。F49はロゴスの世界なので、結果的にC1の物質界を宇宙の法則として統治しているため、結果的にF49につながっていった方が、C1への具象界へのアクセスが可能になっていくということだね。つまり変に振動数を下げてC1に行くんじゃなくて、いつもやっている方法で、よかったということだね。
シュタイナーの人智学の理論においても、霊人(アートマ)と対応するのは肉体であるから、非常に合理的に説明がつく。

夢におけるヒーリング

エネルギーは時空を超えるのでC1においても時空を超えて、遠隔ヒーリングはできることはすでに知られているが、ブッディ意識の目覚めとC1におけるF15キープの熟達とともに夢の中(F23)で自我を保てるようになると、F23における夢の中からもC1へのヒーリングが可能になる。同周波数からの遠隔からさらに、上の次元、別次元からのヒーリングとなることに気づいた。これは夢の中での出来事。こうやって次第に不死の体を獲得し、永遠に生きることに気づいていくんだな。2019年死者が蘇る地球になるというころがこういうことだということが実際によくわかってきた。
ちなみに夢の中で誰か知らない人のヒーリングをしていた。ちゃんとマイナスは抜けていったし、その人の身体や魂は楽になっていた。無償の奉仕になっていた。これは非常に興味深い異次元における観察だと言える。
F15をキープし、F23でも自我を保って存在しているので、夢の中での性格や個性、考え方などは今のC1の自分と何も変わらない。C1のような時空間のマトリックスはない世界だが、自分の性格や考え方などは、完全に連続性を持っている状態である。
イエスは2000年の長きにわたって、これをF27(メンタル界)からアクセスして、なされていたということなんだね。