Sep02

心の中に「自信」をつくる

揺るぎない「自信」のある人を観察してみると
そこには共通する資質があります。
 
「自信」のある人に、どうしてそんなに自信がもてるのか?
そしてその根拠は何か?
ということを尋ねていくと
しばしば「出来るから出来る」という結論に至ることが多いのです。
 
そして実際にその時にそれを達成する「根拠」がなくても
時を経て「自信」を持つ人は
それを成し遂げてしまうことがしばしばあるのです。
 
「自信」がある人の在り方をよく観察してみると、
「自信がある」という状態は
決して具体的な理由がその自信の根拠としてあるわけではなく
 
むしろ根拠はなくても
自分自身がきっとその結果を生み出すであろうということを
「心から深く信頼している」
という状態にあることに気づきます。
 
「自」分を「信」頼できるからこそ
自信がある。
まさにそういう状態なのです。
 
それではどうすれば
具体的な根拠がなくても
そうした種のゆるぎない自信を身につけることが
できるのでしょうか?
 
そうしたまなざしで「自信のある人」を観察してみると
そこにも「自信のある人」に共通する資質が存在しています。
 
それは自分自身の「願望」がとても明確であること。
 
そしてその「願望」を必ず将来手に入るものとして
具体的に心の中で描き
そしてそれを手に入れることに対して
「前向きな期待感」を持っているということ。
 
ここで気づくのは
ゆるぎない「自信」をつけるために必要なものは
 
実は何か具体的な技術を身につけたり
あるいはしっかりとした知識をつける以前に
 
実は
自分自身の願望を明確にして
それが必ず手に入るであろうということに対して
前向きな期待感を養っていくこと
が大切ではないかと思うのです。

そういう意味でしばしばこのブログでご紹介する
新月の願い事
(新月の日に、願い事を過去形で10個書くと叶いやすくなる)
 
にかんしても
実はこれと同じような構造を持っていることに気づきます。
 
改めて自分自身の願い事を
紙に書くことによって
自分自身の願望について改めて深く確認することができますし

また
「新月の力」という個を超えた
神秘的な力を信じることを通じて
自然に自分自身の心の中で
その願望が実現することに対する
 
「前向きな期待感」が養われていきやすくなるのです。
 
「願望の明確化」そして「願望に対する前向きな期待感」を養うこと
これが人に「揺るぎない自信」を与える
とても大切な要素なのではないかと思うのです。

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9月20日(月・祝日)プラネットセラピーフェス開催!残席1名になりました。
ご予約はどうぞお早めに!

Aug29

9月20日(月・祝日)プラネットセラピーフェス開催!

この度、新しい試みとして9月20日(月)敬老の日に
私の西洋占星術の個人セッションをより身近に
体験していただけるイベント「プラネットセラピーフェス」を
企画いたしました!

本イベントの詳細およびご予約は
こちらから!
 
今回の価格はこのイベント限定!
満席になり次第締め切らせていただきますので
是非お早めにお申し込みください。
 
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 本イベントの特徴
 
・本格的な個人セッションをお気軽に受けられる料金体系。
・特別な時間はくつろぎのセラピールームで。
・三連休の最終日は自分の心を見つめる時間。
・気軽に30分コースとじっくり45分コースの2コース。
 
■日程 2010年9月20日(月)10:00-18:00(全11席)
■場所 神楽坂セラピースペースパレット
■住所 〒162-0816 東京都新宿区白銀町2-12
SILVER HILLS 201号室
■アクセス 東西線神楽坂駅徒歩5分 大江戸線牛込神楽坂駅徒歩7分
有楽町線・南北線・JR線 飯田橋駅徒歩10分
■地図 http://ts-palette.com/map.html
 
■料金 30分3,000円 45分5,000円
 
■30分コース(8席)
セッション料金 30分 3,000円
15:50
※11:50/12:30 /13:10/ 13:50/14:30/15:10/16:30の各回は予約受付終了しました。 

■45分コース(3席)
セッション料金 45分 5,000円

※10:00 / 10:55/17:10 の各回は予約受付終了しました。
 
■ご予約はこちらから!

海を越えた感性をいかに感受するのか

西洋占星術、というのは
その歴史をたどると非常に独特の
国際的な伝播形態をとっていて
 
もともとチグリス・ユーフラテス河周辺に発展した
メソポタミア文明の神学がその文化的発祥の地になっており
 
その後、占星術文化は
ギリシアのコス島に渡り
プラトン・アリストテレスの時代に
ギリシア哲学との深い関係性を持つ過程の中で
「個人を占うための思想的基盤」がそこで完成し
 
その後、エジプトのアレキサンドリアを中心に発展した
ヘレニズムの時代を経て
その後の西洋占星術の体系を決定づけた
プトレマイオスの「テトラビブロス」が書かれ
 
アレキサンドリア大王の東方遠征をきっかけに
インドから中国、そして果ては
奈良・平安時代の日本に至るまで
その文化体系は翻訳・伝播されていき
 
またその後、キリスト教圏のみならず
アラブの国々の神学にも非常に大きな影響を与え
 
キリスト経圏ではローマ帝国の崩壊以後
一度命脈が切れたしまった後にも
十字軍の遠征を通じて、アラブ圏からの逆輸入という形で
ルネッサンス期にはその文化は
返り咲くわけです。
 
そうして概観してみても西洋占星術という文化は
伝播に伝播を重ねて
世界的な規模で、その痕跡を残していったという
非常に生命力の強い文化だといえます。
 
これを可能にしたのは
なによりも地球上のどの地点からでも
観測できる天文現象をその理論体系の中軸に据えて
 
また比較的容易に
各地の神々と習合・翻訳できる要素を持っていたということが
 
そうした世界的伝播を可能にした生命力を持つにいたった
ひとつの理由だと私は考えているのですが、
 
これは実は現代という時代においてもいえるわけで、
 
現に、近代以降の日本においても
西洋占星術が(奈良・平安の時代に「宿曜経」という形で
輸入されてから何百年という時を超えて)
再び輸入された現代という時代においても
  
現代におけるマス・コミュニケーションの文化の一要素として返り咲き
日本人の生活文化の中に
「星占い」は無くてはならないものとして
位置づけられるものになっています。
 
占星術とはなにか?ということを考える上で
ひとつの大切な論点を提示するならば
 
なぜこれほどまでの文化的伝播力を持って
人類の長い歴史の中で絶えずに続いてきたかという
その「生命力」のもとは何なのだろう?という問いに
ぶつかるわけです。
 
しかし、その一方で考えるに
「伝播」していく過程の中では、全く違う文化圏に
伝播していく際に
かならず「異文化理解」ではなく
「異文化誤解」がそこにはあったであろうという論点。
 
たとえば、日本における「浮世絵」が
西洋の近代絵画の歴史における「ジャポニズム」や
「印象派運動」に非常に大きな影響を与えた
 
ということはよく知られていることですが
 
これは「西洋占星術」においても同じような構造はあり
 
私たち日本人が西洋の占星術を改めて輸入する際に
彼らの文化的・宗教的背景を十分に理解する以前に
 
「西洋占星術」という文化を
いい意味で「異文化誤解した」末に
日本独自の占い文化というのが発展した
という側面もあるのだなと感じることが最近多いのです。
 
特に日本にいるとなかなか気づかないことですが
90年代以降
携帯やウェブコンテンツとして
ポップカルチャーとしての占いが
これほどまで私たち日本人の
日常生活に浸透したというのは
 
これはいうなれば
「西洋占星術」を受容する過程の中で
いい意味で私たちが「異文化理解」ならぬ
「異文化誤解」をしたからなのではないかと思うのです。
 
「異文化誤解」というキーワードを
他の言葉で説明するならば
「海を越えた感性をいかに感受するか」
という問題ともいえるかもしれません。
 
キリスト教圏の国々が、西洋占星術に対して抱く「感性」を
私たちがいかように「感受」していくのかという問題は
非常に面白い論点になるのではないかと思うのです。

Aug27

癒しの惑星

P1120115
  
最近、東京の夜空は
月が綺麗に出ている日が多いです。
 
さきほど12時ごろの南の空に
月と木星が。
 
占星術で言うと
魚座の月と
牡羊座の木星。
 
魚座の月は
想像力やイマジネーションを働かせながら
互いに共感し、受容し
また響き合うことの大切さを、
 
牡羊座の木星は
どんなことでも乗り越えられるという確信を持って
そして楽観的な気持ちで
物事に取り組んでいくことの
重要性を教えてくれます。
 
…なんて、いちいち解釈しなくても
ただ綺麗な夜空を眺めているだけでも
癒されるものですよね。(笑)
 
今晩の東京の星空では
月以外の星はほとんど見えない中でも
木星はマイナス2等星からマイナス3等星と格段に明るいので
(ちなみに一番明るく見える恒星がシリウスのマイナス1.5等星ですが
月や金星に次いで明るい惑星である木星はそのシリウスの約3倍の明るさ)
こうして容易に確認することができます。

Aug26

科学と魔術の間

先日、日本学術会議日本学術会議会長談話で
「ホメオパシー」の存在について「科学的」に「荒唐無稽」であり
医師はホメオパシーを実践すべきではないとする
談話が発表されました。
(今回の「ホメオパシー」に関する談話の全文は
日本学術会議のサイトに掲載されています。)
 
これは様々なニュースメディアで取り上げられ
僕自身もその談話について知る機会があったのですが

この「思い切った」日本学術会議の談話は、
 
これは「自然科学」とはなにか?
そして自然科学の装いをまとった
「疑似科学」あるいは「魔術」とはなにか?
という論点に対して
今後様々な議論をもたらしていくだろうと
思っています。
 
ホメオパシーとは、類似療法とも呼ばれ
ドイツ人医師のサミュエルハーネマン(1755~1843)によって
体系化された民間療法で
 
健康な人体に症状と同じように
生体反応を起こす物質を 
 
「物質」としての分子が存在せず
人体に全く影響がないほどに希釈して
それを摂取することで
 
人体に備わる抵抗力を引き出して
症状を軽減するという
思想を持ったヨーロッパ発の民間療法。
 
僕自身は
2年前、アロマテラピーの勉強をしていたときに
ホメオパシーは
ヨーロッパでも200年以上にわたって実践されている
民間療法のひとつとして
知る機会があったのですが
 
このホメオパシーの歴史をたどっていくと
近代薬学の祖であり
また医者であり、また錬金術師でもあったパラケルスス(1493-1541)にも
その文化的ルーツがあることが知られています。
 
パラケルススの時代というのは
もちろん現在のような近代医学が確立する以前で
医学にも魔術的、錬金術的な色合いが強く
 
現代では考えられないナンセンスですが、
 
当時は、医者が患者のホロスコープを立てて
病状を診断するということさえ
行われていた時代だったのです。
(その当時の文化的痕跡としていまでも
「占星医学」という分野が西洋占星術の世界には存在します。)
 
ホメオパシーも
西洋占星術と同様に
近代的な自然観とは相いれない
「魂」や「スピリット」といった
ホリスティックなコスモロジーを
もった特殊な世界観を内包しています。
  
もともとこうした談話が発表される裏側には
ホメオパシーという文化が民間療法として
日本の医学界においても
無視できない文化的な影響を与え始めているという危機感や
 
また「自然科学」の正しい立場や見識を
いまいちど表明しておかなければならない
という意図もそこにはあり

また近年、実際にホメオパシーの実践の過程で
ホメオパス(ホメオパシーを処方する人)の
指示で受けるべき医学的治療をうけることが出来ず
死に至った事例なども存在するということも大きく影響しています。
    
私自身がこのニュースを取り上げる理由は
 
実はこの談話には
脱呪術化した近代社会の中で
「魔術」の文化の延長線上でその文脈にコミットしながら
それを実践する者が
 
「科学」と「魔術」との間のなかで
「科学とはなにか?」
「魔術とはなにか?」
について改めて自己言及的に
しっかりと考えるべきではないかという
大切な論点がそこにあると考えるから。
 
つまり
「科学」の外套を着た「魔術」の伝統を実践する
「ホメオパス」や「占星術師」を含む「実践家」が
これをどのようにとらえるのかということを
つきつけられる形になっているということ。
 
でも、ここで強調しておきたいことは
僕自身の考えでは
むしろ今回の日本学術会議の会長の談話に関しては
非常に健全で、
かつあるべき提示であるということ。
  
現代という枠組みの中で生きる上で
人類が長い歴史をかけて「脱呪術化」し
近代化の歴史の中で
手に入れることが出来た「科学的精神」や
「近代的な知性」を尊重する姿勢は
魔術の伝統的な文脈に属する
実践家においても大切にすべき点であるということ。
 
科学と魔術の歴史を
西洋占星術の現代史において振り返っても
 
70年代後半から80年代にかけて
日本においてもオカルトが全盛期だったころ
「科学」と「オカルト」の対立構造のなかで
両者の論陣はとてもアグレッシブな議論を展開していましたし
 
また、それが西洋占星術の現代の文脈に沿った
「理論化」や「近代化」を促した側面もあるわけです。
  
西洋占星術の心理学化や、あるいはその後の
ウィリアムリリーのクリスチャンアストロロジーの書誌的な研究などにも
代表される伝統的占星術の復権
なども「科学」と「魔術」の対立構造という図式自体が
現代における西洋占星術の文化的発展の
ひとつの源泉にもなっていたのです。
  
それがいまはどうかというと
そういった対立構造がほとんどなく、
こうした「科学的な良識」のある
問題提示や批判というものは
そうした時代に比べると
非常に希薄になっているわけです。
 
僕はこの点において2000年代以降の
スピリチャルブームなどにおいても
魔術的な文脈に対する明確なカウンターの不在というのは
西洋占星術の実践家としても
危惧するところなのです。
 
いうなれば現代という時代は
オカルトに走る青年を
叱ることのできる良識ある大人の不在の時代
ともいえるかもしれません。
 
「科学的精神」というものは
混沌とする不確実な世相の中に
身をひそめてしまったのでしょうか?
  
むしろ近代においては
魔術が魔術でありえた理由といのは
こうした科学との明確な対立構造があったことが
あげられるかもしれません。
 
でもこうした時代だからこそ、
西洋占星術や錬金術といった西洋魔術の文脈を
受け継ぐ「現代的魔術」を実践するということは
こうした「科学的」精神について
 
改めて自己の中にそうした2つの矛盾する文脈
である「科学」と「魔術」という論点を内包させていく
 
ということも大切だと思うことが多いのです。