アストロドラマ 大地の蠢き、天空の囁き。 (第二夜)
第二夜の今日は、プトレマイオスの占星術の大著『テトラビブロス』によって一度完成された占星術が、今度はキリスト教世界の勃興と、教会からの弾圧によって衰退を余儀なくされたこと、そしてしかしそれが滅びることなく、今度はイスラム世界で花開いたことをお話しましょう。
バビロニアからギリシア・ローマ、そしてヘレニズムの時代を経て、エジプトの大都市アレキサンドリアを中心に栄えた占星術の伝播と発展の歴史も、紀元4世紀ごろから大きな陰りを見せてきます。その大きな原因は、キリスト教が勃興してきたことにありました。313年ローマ皇帝コンスタンティヌスはキリスト教を公認し、4世紀から5世紀にかけて歴代のローマ皇帝がキリスト教に相次いで入信していきました。キリスト教は一神教の宗教であり、異教的な占星術はキリスト教の発展とともに弾圧の歴史をたどることになります。
そして、それに更に拍車をかけたのが、ローマ帝国の崩壊でした。395年、ローマ帝国が東西に分裂し、476年西ローマ帝国が崩壊します。東ローマ帝国でも6世紀頃まで命脈を保っていましたが、その後弱体化を余儀なくされました。
しかし、占星術はこのような弾圧と衰退の中に完全に命脈を絶ってしまったわけではありませんでした。5世紀から6世紀にかけてイエスには人格と神格との2つの姿があるとの教義をたてて異端としてカソリック教会から破門されたネストリウス派キリスト教徒たちは占星術の技術を、イスラム世界(ペルシャ)に伝播させていきます。ちなみに、このネストリウス派の教義は後に中国に渡り、景教という名で呼ばれているのでご存知の方も多いと思います。
その後、8世紀から9世紀のイスラム世界では、占星術が再び日の目を浴びることになります。当時、イスラム世界の勃興によってイスラム世界最大の都市バクダッドには『知恵の館』という研究所が設けられ、そこではギリシア哲学とイスラム神学との融合などが行われました。また同時に、ギリシア・ローマ世界から伝わった科学技術の更なる開発研究も行われていきました。当時の占星術は、現在でいうところの天文学と不可分の存在であったので、もちろんこの『知恵の館』でも研究の対象となりました。『知恵の館』で研究を行っていた占星術家アブー・マーシャルはプトレマイオスの『アルマゲスト』『テトラビブロス』をアラビア語に翻訳し、その後イスラム世界で復興した占星術は、アラブ世界独自の手法も取り入れながら発展していきました。
さて、明日はこのアラブ世界に発展した占星術が、ルネッサンスの時代に西洋世界に逆輸入され、そしてそれが後の科学文明の勃興とどのような関係を持ってきたのかについてお話しします。
それでは皆様、また明日!








