なぜ西洋占星術師になったのか その3
こんにちはユピテルです。
今日は、なぜ西洋占星術師になったのかについて、
高校時代の挫折から学んだことをベースにお話していきます。
この話題については今日明日と2日にわたってお話ししていきます。
1995年は神戸が実家の自分にとって
阪神大震災があった年でもあり、
実家が神戸の山から海へと引っ越した時期でもあり、
また長い受験戦争が始まった年でもありました。
95年、小学校の4年から受験戦争が始まり、
毎日のように塾に通うことになり
土日かかわらず学校から帰ってくると夜中の10時11時まで
塾に缶詰にされ、
学校の友人と遊ぶ時間もほとんどないような時代を
長く過ごしていました。
また小学校時代そうして頑張って我慢して塾に通い続けた
努力も虚しく中学受験も試験に落ちたため、
再度高校受験のために
中学時代も受験のための勉強に
青春時代のほとんどの時間を費やすことになりました。
そして、耐えに耐えた努力が報われて
関西のエリート高校といわれる灘高校に
入学することができたのはよかったのですが、
実際に行われる授業はとても難解で、
周りも大変優秀な友人ばかり、
そのような人々の間で灘高校の難解な授業を受けて
学んでいると
自分自身が毎日受けている授業が
どうしても次から次へとただただ知識を詰め込むだけのような
これまでの受験戦争での勉強となんらかわらない
敷かれた線路の上をただただいわれた通り走って行くだけの
機械的な作業のように思えてきてしまい、
自分の学びの意味や、モチベーションが全くつかめず
今、何のために勉強しているのか?
今、何のための学んでいるのか?
というビジョンが自分自身全く見えないまま
そしてそういう問いを持つ事自体できないような
大量の宿題に追われるハードな環境の中で、
暗闇の中に放り込まれるような感覚に
襲われてしまいました。
ある日を境にそういう風に悩み始めると
その迷いだけにとらわれるようになり、
いよいよ宿題も手に付かず
授業中も気がうつろで
いよいよ授業の内容も意味がわからなくなり、
ただただ朝起きて教室に座って
訳の分からない授業を聴いて
宿題をやってきてないと怒られ
廊下に立たされ
お前は駄目人間だと叱られる
そういう苦しい日々を送って行くだけの
高校生活になっていきました。
俺の人生はどこにいった?
ここにいて俺がなりたいものになれるのか?
おれは未だ若いのに、
本当に勉強したいことを学ばなくていいのか?
そう思っているとだんだん、
学ぶ意欲もなくなってきて
頭は痛くなるばかりで
いよいよ高校1年の冬には全く何も考えられなくなり
不登校になってしまいました。
いま、自分の生来の性格をホロスコープを通して考えてみると
もともと太陽と金星が双子座、月が乙女座と
どちらも知識や勉強を表す水星が司る星座
の影響が強く
学習欲が生来とても強く、
そもそも学習したり、勉強する事自体は
とても好きなのですが、
これは僕のホロスコープの中で
4元素の「地」の要素が強いところに
あらわれているのですが、
ただ知識を知識として身につけるだけでなく
実際の役に立つ「実学」を大切にしたいという傾向が強いため
知識をただ知識のため論じることが苦手で
「実際に現実的に人の役に立てる知識を
身につけて行きたい」という気持ちがとても強く、
高校時代には、もはや
ただ受験のためとわりきって勉強することが
どうしても苦痛でしかたがなく
できなかったのです。
唯一高校時代モチベーションを保てたのは、
実際に話せて異文化コミュニケーションの役に立つ
英語の勉強くらいでした。
そうして、不登校の暗闇の中で悩んでいたとき、
ああもう俺は死ぬかもしれない
でも死ぬくらいなら・・
という覚悟でいよいよもう駄目だ
とおもったとき、
ある決断をしました。
続きは明日。








