生きる意味を問わなければならない時代の訪れ
最近、切実に
社会において増えているもの
それは、
うつ
と
自殺
だ。
この2つは
とても切実な
現代的な病だといえる。
ユピテルが鑑定の中で
思うことは、
うつも
自殺も
どちらとも
共通した基盤があるということだ。
それは未来が見えない
未来を自分の力で築けない
という基盤だ。
はっきりいって
これが極限まで来ると
とても恐ろしい状況になる。
「生きている意味がない」
と感じることは
「生きている人間」
にとって
これほどまで苦痛なことはない。
それが切実であれば
切実であるほど、
そうなのだ。
こればかりは
実際に自分がそのような状況に
なってみない限りは
本当に分からない部分で
あると思う。
「生きる意味」
は個々人によって
まったく違う。
ひとりひとりの
生きる意味があり
「生きる意味はこれだ」
なんて、ひとことではいえない。
けれど、大切なのは
「生きる意味そのものは
やはりあり、
そしてそれは
人間が生きるためには
とても大切なものである」
ということだ。
「生きる意味」
これは日常生活のなかで
そんなに表面だって
あらわれることはない。
あらわれるとすれば
それはかなり非日常的な状況
のなかで立ちあらわれるか
ある意味で自分が危機的な状況に
陥ったときに
ふっと現れてきたりする。
恋愛であったり、
仕事であったり。
経済的な問題であったり。
ユピテル自身は、
「生きる意味」
それは確かに
ひとりひとりに存在していると思っている。
しかしその
「生きる意味」
は
個人の表層意識というよりかは
かなり
深い魂のレベル
で記憶されているものだとおもう。
魂の深い奥の部分、
それは、これまでの人生の
経験の沈殿物が
地層になったものであるかもしれないし、
そして、
あるいは
いわゆる
前世の体験、魂の記憶
に基づいている。
現代に
うつと
自殺が多いのは
やはり
歴史的な変動期のなかで
この「生きる意味」
と向い合わなければならない
状況が
日常生活に
溢れはじめているからだと思う。
「生きる意味を問う」
ということは、
実は本質的には大変危険な行為でもある
とユピテルは思う。
なぜなら、
それは、
生きる意味を問うということは、
つまり自らの生活が
そこで劇的に変わる可能性を
常に秘めており
そして精神的に
新しい「生きる意味」を獲得する際には
必ず
人間は
生まれ変わらなければ
ならないからだ。
生まれ変わる
ということは
一度
精神的に
死んで
そして
生まれ変わる
ということだ。
(もちろんこれは肉体的に死ぬ
ということではない。
精神は象徴的な死のプロセスを
経ることで再生できるが、
肉体は死ぬと二度と
再生しない。)
鬱の苦しみ
自殺の苦しみ
そういったものを
支えあって行ける
人間関係というものは
ないだろうか。
生きる意味を
感じ
生きる喜びを
感じられる
世の中を
つくれないだろうか。
これは
現代の
切実な問題である。
そして
極めて日常的な
問題であると思う。








