困難を乗り越えてきた人の話が胸を打つ理由
経験に根ざした話には
説得力があります。
またそうした話には
不思議に語り手からの
愛情を感じますし
一言一言が
胸に響きます。
逆に頭で考えて
出した「答え」は
頭で理解できても
不思議にそこに対する
聞き手の共感というのは
生まれにくいものです。
こうした種のお話は
どうしても薄っぺらなものに
聞こえてしまいます。
前者と後者
もし同じ内容を話していたとしても
伝わるものは
まったく別次元のものです。
それでは、なぜ
前者と後者の語り手の話が
聞き手の受け取り方に
このような違いを生むのでしょうか。
なぜ、前者の経験に根ざした話が
温かいものを感じるのに
後者の頭で考えた話が
うすっぺらいものに感じるのでしょう。
これはきっと前者の「語り手」が
困難の中で自分自身のつらい経験を
「受け入れてきた」からだと思うのです。
だから「聞き手」の
上手くいかないことも
失敗や中途半端な姿も
語り手は
自分のことのように
「受け入れる」ことができる。
前者の語り手の話の中で
聞き手が感じる安心感って
そういう「受容されている」という
感覚ではないでしょうか。
逆に後者の語り手の場合は
どうでしょう。
しばしば頭で考えて「正解」を出した
話し手は
自分の語る「正解」を
聞き手に強います。
これでは聞き手が
「受け入れられていない」
感覚を持つのは当たり前と
いえば当たり前のことでしょう。
「正解」あるいは「正論」
そこには受容的な関係性が
成り立ちにくいのです。
そう考えると
「人の心を動かすもの」って
「正解」
じゃないと思うんですよね。
きっと語り手が人生の中で
「何を受け入れてきたか」
というところにあるんじゃないかと。
聞き手はこうしたところからも
自然に話し手のメッセージを
受け取っているのです。
この世の中には
受け入れがたいことがたくさんあります。
しかし「正解」を出すことよりも
そこでそれらをどのように
「受け入れて」いくのかということも
とても大切な要素ではないかと思うのです。
日常の中で生じる様々な
不条理を前にして
「正論」を叫ぶことも大切ですが
しかし一度呼吸をおいて
それを「受け入れる」ということも
それと同じ、あるいは
それ以上に大切なものではないかとも
思います。









Comments(4)
自分を素直に表現する人生は素敵なことです。
弱さはすんごく、強いパワーの源でした。
何が正しいか分からないけど、多分今が絶対に正しいような気がします。
掘り下げたり飛んだりしたらなんか所定の位置に戻った(笑)
わたしという流れを受け入れてみますp(^^)q
yokoさん
お久しぶりです! ブログでも最近書くことが多いですが
答えを出すことよりも
迷うことそのものに価値を最近感じています。
迷うこと、考えることということは
とても尊いことだなと。
そうそう!なんか自分で悩む、迷う、考えるって、最近スキですo(^∇^o)(o^∇^)o
今までは頭でなんとかなる〜とか納得していたら、余計わからない。。ということになりました。(笑)
自分の感情を逃げずに感じたり、弱い(笑)意志を育てています!!
yokoさん
答えが出ない、ということを
昔は自分に対しても他者に対しても
受け入れることができず、何かしらそうしたものと対面した時に
なんとかして解決しなければ
どこかに正解があるはずだと思っていたのですが
最近は、むしろ答えがでなかったり
迷ったりすることに対して、
そういうことを自分にも他者にも尊重したいと思うように
考え方が変わってきました。
悩みや迷いも一つの大切な
過程だと思うんですよね。