May03

主観的な感性と客観的な理性

以前スピリチャルとサイキックの違いについて
このブログで私の考え方を述べましたが

今日はその続きで

サイキックな感性と
客観的な理性とを共存させることの
難しさについて。

自分自身のことを受け入れる意味でも

私自身の主観的な感性である
サイキックな感性を受け入れるということは
占い師として活動し始めて1年ほどして
ようやくその感性を認識し
受け入れることが出来たのですが

最近はその一種の反動として
そうした自分自身のサイキックに対して
果たしてどのようにそれを改めて
客観的に理性的に
受け止めるのかという課題と
向かい合っています。

以前はこうした自分のサイキックを受け入れる手段として
ヘレナ=ブラヴァツキーや
ルドルフ=シュタイナー
アリス=ベイリーなどによって知られる
神智学の枠組みを使っていたのですが

しかしそれに対しても
最近はすこし距離をおくようになり

改めてそうしたサイキックについて
客観的に受け止めるためには
いったいどの様にすればいいのだろうと
改めて考え込んでいます。

しかしこうしたことは
なかなかすぐに答えが出るわけでもなく

あくまでその二つを無理に
統合させようとするのではなく

その両方の姿勢を
自分の心の内側で平行的に両立させることも
大切かもなと感じています。

サイキックと客観的な理性とは
無理に統合させようとしてしまうと

すぐにいわゆる擬似科学に
陥ってしまいます。

あくまでそうしたものと距離を置きつつも
自分自身と向かい合う。

なかなか答えの出ない課題ですが
今後の大切なテーマでもあります。

Comments(5)

ユピテルさんのなぜ占星術師になったのか?という場所にも書いてありましたが、私はその抑圧の原因が、性的なマイノリティに関わっていました。(受け入れきれない部分はありますが)

原始のエネルギーは、全体の歴史の宗教などにも関係があり、勿論それだけじゃないので見極めきれないし、抑圧されて何らかに変化してるから余計にわからない。

だけど私は、このわけの分からん物は本当に必要かもしれないと思いました。

まんまじゃなくて、上手く利用したり、上手くとりいれたり、変化させようとする時間が、続くんだと思います。

宗教や、性的なこと。

私には一番こわいことでした。知ると、私が未知の経験に投げ出されてしまうから。

だけど、これからは不安なこの自分の事実を生きていかなくちゃと思います。

一番恐れていたものが自分を安心させるなんて厳しい。。

あえて自分に傾聴されてるのですね。
私なら「どういう時にそう思うの?」と問いたいです。きっとまた、シンプルに「サイキックも現実なんだと伝えたい」と言いたいのではないかと感じます。言葉に依存しているうちは、言葉に囚われてしまうから・・もともと1なるもの(ワンネス)を分離している言語・・私は個のマインドの言語で伝えるなら1なるハートは「全てにyesが可能な現実」で統合し自分の時間で実証し伝えています。楽観論ですが・・時間を点と認知したユピテルさんなら、なんとなく・・わかってるのではないのかな~なんて・・

yokoさん、
 
非常に共感します。霊感や神秘体験を伴う宗教的経験やセクシャリティなど、いわゆる一般社会の中でタブー化されやすい領域が、ある個人の中にはしっかりと存在していて、それをどのように自分の内面で統合するかという問題はなかなか難しい問題ですが、
 
一方でその当人が生きる上ではやはりそうしたものに蓋をするのではなく、(時に痛みを伴いながら)受け入れながら歩んでいくといのは、とても大切なことではないかと思います。それがきっとその人らしい道になるのではないかと。
 
都倭さん、
 
「どういう時にそう思うの?」ですかー。なるほど。僕の場合はやはり様々な「他者」と向かい合う時に、ですね。
 
自分自身の世界観の中で自分が持つ特質を納得する分には、ある程度我田引水的な論理や考え方でそうしたものを整理してもいいのですが、しかし様々な「他者」とかかわる上では、そうした独り善がりはいけないかなとも思うわけです。
 
僕が大切にしたいのは他者との「関わり」「関係性」という側面で、そのためには、やはり感情やハートで繋がることはもちろんなのですが、唯それだけではなく、客観的に自分のあり方を見つめ、客観的な言葉を通じて(あるいは時に論理的に)理解してほしい(理解したい)ということも自分にとっては結構大切な課題なんです。
 
どこまで多くの人に、自分の感じている「サイキックなリアリティ」を客観的に外側の観点から説明できるのか、ということも「占い師」として活動していくうえで僕個人としての大切な課題です。

名前ユピテルジョージ 日時May 4, 2010 7:11 PM

人間には氷山の一角しか分かりませんからね。

てきとーな私としては、分からないものは
分からないままでもいいんじゃないかと。

神から観たら、きっとこの世界は偏見の塊ですよ(笑)

りょーたさん、
 
そうですね。
 
まぁ、すぐに答えが出るものでもないですし
きっと答えがでるような類のものでもないんですが
 
かといって考えないようにするということも私には出来ないので
相変わらずそういう答えの出ないことを
性懲りもなく考えていってしまうわけです^^;
 
多分、こういうことを考えるのが
好きなんですね。

名前ユピテルジョージ 日時May 8, 2010 10:26 PM

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