May26

ヒーラーがいない世界

最近よく考えること
それはヒーラーとは一体何だろうか?
ということ。
 
スピリチャルブームも相まって
5年前よりも多くのヒーラーやセラピストが
かなり増えてきたと思います。
  
そして
その一人が自分自身でもあるわけで
 
いったいセラピストやヒーラーって
一体なんだろうか?というのが
今年に入ってからしばしばよく考えるテーマです。
 
ヒーラーとしての私が
もっとも大切にしているテーマは
 
自分自身を愛すること。
 
ヒーラーがヒーラーであるゆえんというか
ヒーラーの仕事にとってとても大切なことは
 
たぶん、この一言であらわされることを
 
仕事を通じて
人生を通じて
どのように表現するのかということに
尽きるのではないかと思うのです。
 
でもこれってある意味では
ヒーラーに出会おうが、出会うまいが
ヒーラーになろうが、なるまいが
すごく
当たり前のことでもあるわけです。
 
もし
「自分自身を愛する」という概念が
一般的に受容され
そして実践されるほど
 
ヒーラーがヒーラーである必要性は
なくなってくるわけです。
 
こうした意味での
「自分自身を愛する」という
自己愛の概念が現代心理学の中で
提起されたのは
 
心理学者のエーリッヒフロムによってではないかと思っているのですが
 
彼は著書「愛するということ」の中で
「愛は技術である」と述べています。
 
愛するということは
恋に落ち、感情の中におぼれることではなく
また周りからいかに愛されるかを
考えることではなく
 
人間的に根源的に存在している孤独の中で
自己を成長させていく意志をもって
他者を愛するのか
 
フロムの言葉を引用すると
「自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、
自己を広げようとする意志」(「愛するということ」より)
 
という考え方が
こうした「自分を愛する」という
現代的な自己愛の概念の
ベースにあるのだと思います。
 
もしこうした考え方が
より一般的になっていけば
あるいは社会の中で受容されていく過程の中で
  
きっとヒーラーがヒーラーである必要はなくなり
ヒーラーの仕事も必要がなくなるのではないかとも
思うわけです。

Comments(8)

ヒーラーさんや、宗教や、諸々、たくさんサポートがあるってのは、
よーするにズレのあらわれだと考えたりします。

絵とか写真みたいな、ズレのないものは、永遠的に死んで生きるから、止まってられるんだけど、

人はこのズレがあるから、埋めたくて頑張ってしまうし、動くし、死んでしまうし、時間が感じられるし、儚さがあると。

パワーの源ですね。ズレって。。

ハマれば止まってしまうけど、そんないい時代を望んで生きる。それしかないな。

ヒーラーに限らず、医者とかもそうだし、
物で言えば薬なんかは、それ自体がなくなることが
存在の目的ですよね。

逆説的ですが。

yokoさん、 
 
そっかーズレかー。本当にそうですね。
 
僕もこう記事に書いていながら、そうはいっても占いとかヒーリングとかなくならないんだろうなと思ってるんですが、それがいいかどうかではなくそうしたズレがあるということを考えたら、納得できますね。

名前ユピテルジョージ 日時May 27, 2010 11:52 AM

りょーたさん、
 
確かにそうですね。僕もこの逆説を考えると、じゃぁ、自分のやっていることとは一体何だろうか?なんて考えてしまうのですが、本当の意味では結局のところ自分で自分を癒せる考え方みたいなのが広く受け入れられれば受け入れられるほど、ヒーラの存在意義も変わってくると思うのですよね。

名前ユピテルジョージ 日時May 27, 2010 11:56 AM

ヒーラーさんってヒーリングを望む自分がいなくては、やれないですよね、、したことがないので分からないのですが、、。

常に傷をもってる人。痛みを知る人しか。。

その心が思いやりに変わらなそう。。

私はヒーラーさんにはなれない。

傷を克服したいし、痛みを持ち続けるのが難しくなってきたので。(笑)

おらー!!どんどんいくでー!!って

一過性のものかな。(笑)

傷ついたら、それを蓄めずにいるようになってきています。

正義感がやたら強くなって。。

ヒーラーさんはたたかうより、受け入れるけど、、。
だけど、当然戦うと、絶対敵は見えてくるわけですから、悪いところとか、うやむやには出来にくくなってくる。

なんか、凄く、人を守ったり、助けたりしたい。
苦しんでる人んとこ、すっとんでって、その原因ぶったぎってあげたい。。

今の自分にこんな素質が育ってきて、驚いています。(笑)

yokoさん、
 
痛みに共感できることが大切って、
確かにそうだと思います。
 
その一方で
作家の天童荒太さんの「悼む人」という小説を
以前に読んだのですが、
 
そこでの主人公は
ただただ事故や事件で亡くなった人の
新聞記事をみてその現場で「悼む」ということを
続けていくのですが
 
では彼がその当事者の痛みをどこまで
理解するかというといつまでも理解できるわけもなく
ただただそこにいて 
 
ただただそこに残された家族や友人への
痛みを想像力を働かせ
物語の中では
悼むという行為を続けていきます。
 
やはりその当事者でしか
わからない痛みがあるということも
大切だなとも思います。 
 
本当の意味で
痛みを理解することは
難しいなと。
 
やさしさって本当になんだろうなと
思います。
 
共感することがやさしさなのだろうか
癒すことがやさしさなのだろうか。
 
ある意味では痛みは想像することでしか
いや、痛みだけではなく人の心は
想像することでしかわからない
あるいはいつまでたってもわからないとも思うわけです。
 
そうしたある種の壁や隔たりを思いながら
でもそうした他者に対する想像力や思いやりを
もつこと、これは意志する、愛することでしか
埋められないもの。
 
人の痛みを癒すことのできるのは
きっと時間の流れだけなのかなと
最近は思います。
 
しかしそうした癒されていく時間の経過の中で
他者と「関わる」ということが
どれだけその人を癒すのかということも
大切だなと思うわけです。
 
本当に
癒しって、なんだろうなと。 
 
きっとそれは癒そうと思って癒されるものではなく
自然に、ただ時間の流れの中で
癒されていくのかなと
最近はとても強く思います。

名前ユピテルジョージ 日時May 27, 2010 4:36 PM

なるほど、、。

あ、悼む人は未読なんですが、その行為をすることにより、

彼が「思いやり、悼み、受容、温かさ。。」諸々、、。

を無意識に欲してるんでしょうかね。。

彼の内面にあるもの達が、本当は癒してもらいたかったかもしれない。


無償の愛?

不器用な愛ある行為?

自分への追悼?偽善?

わからない。。

ほんとにね。。

悼む人、読み終わってみても
結局、なぜ彼が悼み続けるのかは
はっきりとは描かれていないし
僕もよくわからないんですよね。^^;
 
でも僕にとって他者を思うということの
普遍的な問いを投げかけられた作品でした。
 
結局わからないということを
踏まえつつも、

他者を思うとは何か?
それは偽善でしかないのか?
それとも愛と呼ばれるものなのか?
誰のためにおもうのか?
 
なかなか
答えの出ない、問いです。

名前ユピテルジョージ 日時May 27, 2010 7:03 PM

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