第5回 占い師朝大学
今日はおなじみのNot For Saleとの勉強会。その名も
占い師朝大学。
今日の発表は僕が担当で
「占いの遊戯性」
というテーマでお話をしてきました。
フランスの思想家ロジェ=カイヨワの
『遊びと人間』(1958年)を底本にして
「遊戯としての占い」について論じ合いました。
昨年イギリスに行ったひとつの収穫として
日本における占い文化の特殊性として
ポップカルチャーとしての占いが
高度に発展しているということを
「再発見」したこと。
実際にイギリスに行ってみて感じたことは、
欧米圏では
一神教の影響と、アカデミズムからの批判という背景から
ポップカルチャーとしての占いは日本ほど発達せずに
むしろ多神教という例外的な文化を持つ日本において
西洋占星術が文化的に
強い大衆性を持つことが可能だったということ。
日本にいれば
携帯サイトを覗けば
そこには占いサイトがごまんとあるし
また、テレビをつければ
どのチャンネルでも
星座ごとの運勢ランキングが出てきます。
こうした占いは、ある意味遊戯性の高い
アミューズメントとしての占いだといえます。
もともとタロットカードが、トランプのようなプレイングカードからうまれたり
昔はさいころという道具が占いにも賭博にも使われたように
占いと遊戯というのは実はきっても切り離せない関係性があるのです。
日本にいると気付きにくいのですが
海外における西洋占星術の持つ文脈は
いまをもってもなお、
宗教界からも、アカデミズム界からも
強い批判の対象でありその
そうした批判を乗り越えるべく
「戦い」の最中にある
というリアリティを感じました。
その中で特異的に
日本におけるポップカルチャーとしての占いというのは
かなり面白い立ち位置にいるのですよね。
それでは一体、日本における
占い、特に
ポップカルチャーとしての占いとは一体何だろうか?
ということが今回の論点。
これをロジェ=カイヨワの『遊びと人間』で述べられている
遊びの6条件と、遊びの4類型をベースに
遊びとはなにか?
そして占いとは何か?について
議論を深めていきました。
この議論の根底には
「遊び」とは何か?と同時並行的に
「聖なるものとはなにか?」という
問題も扱うことになり、
かなり本質的な議論を深めることが
できました。
今回の内容はさらに宿題ということで
それぞれが持ち帰って
また再検討するということに。
夏を前にしてなかなか
白熱した議論がヒートアップしていきます。









