果たしてこの世界に意味はあるのか?
はたしてこの世界に意味はあるのか?
というのが最近のよく考えるテーマ。
スピリチャリズムや
また、「占い」そのものの立脚する世界観は
この世界観にはある一定したコスモロジーがあり
そしてそこにはどんな偶然も存在しないという考え方。
あるいはこの世界を動かしている
「ある法則」や「真実」があるという考え方。
でも、果たしてそうなのだろうか?
という「問い」に最近はしばしばぶつかります。
確かに人間は「意味を紡ぐ」生き物。
でも、それに対する世界そのものに
「意味があるかどうか」は
よく考えるとそうでもないのかなと
思うこともしばしばあります。
いま僕がこうして敢えて考えている立場は
「ニヒリズム」とよばれるもの。
ニヒリズムはニーチェの思想にも
通底する大切な概念です。
でもここで大切なのは
しばしば考えられているように
決してニヒリズム=悲観主義
ではないということ。
この態度は他にも
ヘレニズム期のエピクロス派でも
展開される議論です。
意味がなくても世界は存在しているし
意味がなくても私たちは生きているということ。
この立場に立てば
ある意味では意味がなくても
毎日を意味にとらわれすぎずに
生きることができるのです。
現代的な文脈で言うと
「自己実現」というストーリーがなくても
「成功」というストーリーの上になくても
人生は流れていくということ。
といっても
占い師でありスピリチャリストである僕がいまあえて
こうした立場に立つ理由というのは
一方でこれまで自分が
いかに「世界に意味がある」とおもってきた
あるいはもっと現代的に
というか通俗的に言うと
「自己実現」や「成功」という概念を
「善」と捉えすぎてきた
反動でもあるわけです。
この世界は「自己実現」や「成功」と
よばれるようなストーリーだけで
成り立っているわけではないということ。
しかしこうしたニヒリズムや
エピクロス的価値観を踏まえたうえで、
エピクロス主義と同時期に発展した
ストア学派という哲学は
西洋占星術と非常に相性のいい考え方でした。
ストア学派は
この世界は理性的に説明可能であり、
また理性的に組織されたものとして
とらえていました。
つまり世界には
意味があると
考えたのですね。
そして学び、深く思慮ことを可能にする
人間の内なる能力を
ストア学派は「ロゴス=理性」と呼び
それを人間の「本質」としたのです。
つまり自分の内なる「ロゴス」や「真理」と
ひとつになることで
この世界のことを知ることが出来るという態度。
自分の心というミクロコスモスをしることで
自分の外側の世界マクロコスモスをしることができるという
「ミクロコスモスとマクロコスモスとの照応原理」という
考え方です。
これは現代的に言うと
「答えは貴方の中にある」
ということになります。
僕は
これはユングのシンクロニシティの考え方にも
相通ずるものがあるのではないかと
思っています。
さて、
なんでこんなややこしいことを考えているかというと
なるべく自分のもつ文脈を
客観視していきたいんですよね。
というのもこれだけ
占いやスピリチャリズムが流行している時代だからこそ
客観的視点のない盲目的なスピリチャリズム
客観的視点のない盲目的な占い
というものの「怖さ」をしっておかないと
僕自身がそのアクターとして活動することは
時には危険な行為にもなりうるという思いがあるから。
精神世界というのは
目に見えない世界だからこそ
そうした世界に盲目的になるのではなく
時にはふっと外側の視点から
あらためて客観的に見つめてみるということも
とても大切だと思うのです。


Comments(2)
はじめまして。いつもブログ拝見しています
なるほど、私も当たり前のように「意味がある」や「自己実現」等の世界観を持っていましたが、言われてみれば「そうでなくてもいい」と考えることもできるのですよね。
その方が自分の中の風通しが良くなる場合もあるかもしれませんね。
意味があろうとなかろうと、今の最善を生きる・・・それでもいいのかもしれないかも、と感じました (^ ^)
彩さん、
ありがとうございます!
実際のところ「世界には意味がある」「意味がなくても世界は回る」のどちらとも大切なのかもしれませんね。この世界に意味があろうとなかろうと今の最善を生きるということができると素敵ですよね。