「人生の意味」とはなんだろう?
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アルブレヒト・デューラー Melancholia I (1514)
「人生の意味」とはなんだろう?
そんなテーマについてしばらく
ずっと考えていました。
そこでとても強く感じたことは
もしかしたら人生そのものには意味はないかもしれない、
しかし人が生きていくうえで
「人生の意味」を求めるというのも
人生に対する自然な態度であるということ。
特に何かに悩んでいるとき
何かに葛藤しているとき
哲学的なあるいは自然科学的な真実から
かけはなれていようとも
そこに別の観点から
日々の生活に光を当ててくれるのが
「人生の意味」という要素なのかもしれないと。
あるいはこれは
人生のなかにはある個人の意思を超えた
「物語」が存在している
と考える態度ともいえるでしょう。
ここでいう人生の意味は「物語」、
また人生の意味を見出すとは
「自己言及的に自らをメタフィジカルに物語る行為」
と言い換えてもいいかもしれません。
真実を求めるならば
それは哲学的な問いを
繰り返していく
彫刻家ロダンの「考える人」や
ルネサンス期のドイツの画家
アルブレヒト・デューラーによって描かれた
「メランコリア」のように
それは深い孤独な思索の中にしか
存在しないのかもしれません。
しかしながら気休めであっても
そして必ずしも哲学的な
あるいは科学的な真実でなくても
占星術を通じて
付与された「人生の意味」は時に
思いもがけない形で
人に「居場所」をもたらしてくれます。
「占い」が「占い」たるゆえんも
もしかするとそういう部分にもあるのかもしれない。
なんていうことを最近よく
考えていました。
占星術という営みが
あらゆる意味で真実であろうがなかろうが
そこにどんな状況においても「意味を付与される」
シンボリックな体系に
人はある安心感を覚え
居場所を見つけることができる。
何千年もひとのこころとともに生きてきた
占星術が持つ生命力は
そうしたところにもあるのかもしれない。
私たちが本来の意味で
人生の意味を問い
哲学的に生きようとするのならば
考えても考えても
解けない実存的な問いに対して
安易な「答え」を拒みながら
メランコリックな思索をつづけていくことは
避けては通れなくなるでしょう。
しかしだからこそ見方を変えてみれば
付与された「人生の意味」が居場所になるのであれば
それ以上その問題に関して深く考えなくても
とりあえずその「意味」を手にして
歩んでいける。
不思議なことに
占いやカウンセリングを通じて
それがたとえ気休めのようにみえようとも
その人にとってある真実味のある
「人生の意味」を感じることができると
それ以上そうしたテーマに対する
真剣な問いから離れ
そのままの自分を受け入れていく
というプロセスが始まります。
もちろん、
真実を求めるのならばきっと
それは「答え」のなかには存在せず
きっと「問い」の中にこそ存在する。
人生を哲学的に生きる上で
それはとても大切な要素です。
しかし一方で
きやすめとわかっていつつも
人生に対するメランコリックな気分に
光を与えてくれる
「人生の新しい文脈を生む」装置としての占星術や
あるいは
占星術の世界から語りかけられる
「人生の意味」そのものに
何か占星術の面白さを感じることも確かなのです。









Comments(4)
おぉ~♪
ユピテルさんの言葉力はすごいですね~☆
妙に納得してしまいました~♪
最近、私の人生をただ体験しに来ている感覚があります。
確かに私にとっては人生の意味を考えるより「今日はどう生きようかな?」という問いに意味がありそうです♪
ありがとうございます!
ユキレレさん、
ありがとうございます。
自分の人生を経験しにきているという感覚、
という表現面白いですね。
自分自身の毎日を少し上空から見渡している
そういう視線がそこにはあるのだなと。
毎日の生活の中にそうした視点があると
きっと毎日の生活の中では気づかないような
さまざまなストーリーが立ち現われてくることも
あるのでしょうね。
こんにちは。今ちょうど、『ロスト・シンボル』読んでいます。この絵が、問題解決のキーになっています。偶然。
jelicoさん、
なんとそれは奇遇でしたね!