Aug17

多様性やバランス感覚について

最近の問題テーマのひとつが「カルト」とは何か?
 
僕自身95年、当時小学生のころに
オウム真理教による一連の事件を
テレビ報道で目の当たりにした世代。
 
あの一連の歴史的な事件の数々は
いったい何だったのだろう?
その問いに対する答えというのは
いまだもって分かりません。

ただ「問い」だけを残した。
というのが実感です。
 
その後、日本では
そうした者に対する本質的な反省が
顧みられないまま
空前のスピリチャルブームが
訪れたわけです。

そして僕自身もある意味では
そのスピリチャルブームの文脈の上で
仕事をしている部分も
あるわけです。
  
特に僕自身が活動している
こころの世界の分野というのは
 
しばしばこの「カルト」的な問題が
非常に重要なテーマを帯びてきます。
 
「人間の集団心理」というのはとても
強い力を持っています。
 
「多様性」と「バランス感覚」が維持されず
ある一つの物の見方だけが
その集団の「ものさし」になってしまったとき
 
しばしばその集団はカルト化の道を歩んで
しまうことがあるわけです。
 
自分自身もワークショップを開いたり
個人セッションをしたり
人に影響を与える仕事をしています。
 
私自身も
特にそうした情報の「発信者」という立ち位置だからこそ
そういうものに対するバランス感覚というのを
持たなければならないなと
思うことがしばしばあります。
 
ある情報を発信しつつも
いかに自分自身の立ち位置を「多様性」の中に
布置できるか
 
そしていかにそうしたものに対する
「バランス感覚」を持ち続けるのか。
 
そうした「問い」を常に自分自身の
心の内側に保つことが
自分自身の最近のテーマでもあるのです。

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Comments(3)

「多様性」「バランス感覚」本当に必要ですね。
もし付け加えるとするならば
「グラウンディング」でしょうか。
人間としての日常の生活をまずこなしていくということ。家事やら生活用品の買い物やらその他もろもろの雑事。
誰でもやっていることをまずやる。
本当はスピリチュアルは非日常であっては
いけないはずなのです。
普通に汗して仕事をしなければ食べていけない。
まずその感覚から養っていくことですね。
自分が今普通の人間として生活しているという軸はあくまでもぶれさせないということかもしれません。

先日はありがとうございました。

カルト、、。

身近にそれらしいのが二件ほどありました。

宗教について、カルト以外の家系のものにも、嫌でもかかわらざるを得ない

出来事でした。。

戦い疲れて苦しいときに、やはり自分は、日本人ですから、完璧に戦いぬけないへんな調和力が働いたり。。

けど、絶対カルトはよろしくない!!(精神的苦痛を与える事実)

あんなに戦ったことなかったんで、確固たる意思は育ちました。

ある意味そうして、投影しないと、内なるものに喰われていきそうで、、。

みんなそうやってよかったり、わるかったりと様々な役割を演じているんだな、、と。

怒りながらも楽になれる知恵が、自分を助けた部分もありました。

そんなこんなで、いい悪いの判断力と、よくもわるくもないどうでも感が、上手になってしまった、、。

カルトは、疲れる。。あのへんな純粋さに、、。

純粋な子供のパワーのねじれた発露。

理屈でいくら説明したって、なんかしまいにはこちらが、悪いのか??卑屈な?あれ?という立場逆転が発生したり。。

頭じゃ通用しないから、いかに上手くわかるように説明するか?とか、、。

子供の健やかな成長を心から願うばかり。

わたしはまだ精神被害軽いのかもしれないんだけど、あんまり苦しいのは、やはり、、。

真の被害者は当人じゃないから、気付かずにいる場合もあるんですよね。

子供とか?

大人が、もっと遊べば、メンコ?缶けり?その世代、に限らず

へんな宗教がなかったかも。

みんなが遊べるっていう環境がないと、寂しいですね。時代にもよるかもですけど、、。

子供が成長しないまま。

みんなたまには遊べばいい、夢中になって!(^^)v

今からだっていいですよね。

あと、本音しゃべれたらいいから、なるべくそんな環境を取り戻すように、

遊べなくて、本音で甘えられなくて、親の期待に応えようとしてきた、子供達のための今なんだと思います。


hiromiさん、
 
示唆深いコメントをありがとうございます。
 
なるほど、「現実に根ざした、日常的な感覚。」
 
そうした感覚ってスピリチャルなものや
目に見えない世界を扱う時に
注意しなければ
しばしば通り過ぎてしまうことですね。
 
でも、そこの感覚を持てないと
どんなに高尚であるいはどんなに
理想的なことをかたったとしても
 
地に足がついていない
ふわふわしたものになってしまいがちです。
 
そのためにはまずは
社会的な枠組みの中での自分自身を
客観的に認識することであったり
 
あるいは日々の生活において
現実的な目線というものを
常に持ちあわせていることって
 
とても大切ですよね。
 
勉強になります。

yokoさん、
 
カルト的な集団における
純粋さというのは非常に共感します。
 
真剣で、純粋。というのが
実はとてもつよい凶暴性を秘めていたり
 
真剣だからこそ
その空間に見えない強制力が働き
そこに「遊び」が無くなるというのも
理解できます。
 
どこかで、物事を一歩引いた目で
なんちゃって
といえる「あそび」のある感覚や
バランスのとれたユーモアのセンスって
 
とても大切なことなのかなと思います。

名前ユピテルジョージ 日時August 20, 2010 1:03 AM

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