Dec18

ゲームの歴史

受験もあって中学時代から(プレイステーションの時代)からゲームをしてこなかったが、最近ふと思い立ってゲームの歴史を調べ始め始めると、実はかつての映画がそうであったように、テクノロジーの進化によって、人間の五感を拡張する道具(マクルーハンにおけるメディアと身体性)になっていたことに気づいた。おそらく今後のゲーム産業は現実よりも現実的になっていく(リアリティの第四密度への移行)し、インターネットがアカシックレコードのC1版であったように、結果的に、チベット密教で語られるような霊的な身体性の獲得という方向へと非可逆的に進んでいくんだと思う。現在目下インターネットと現実の境界が消えて第三のリアリティが生まれてきているように、ゆくゆくゲームと現実の境界線も、現実的な身体性の拡張によって次第に消えていくことになるんだろう。
この辺はそのまんま占星術における水星、天王星あたりのテーマになるね。水瓶座の象徴とも言えるし、非常にシリウス的な意識。
任天堂の思想が枯れた技術の水平思考(あくまで遊戯の本質はテクノロジーではなく、カルタや花札の延長であり、ロジェカイヨワ的な意味で日常と区別して完結させるという思想)だったのに対し、もともとハードウェア産業がルーツとしてあるソニーが、ある意味その時代の最先端の技術を投資して、結果あちら側とこちら側の融合、あちら側をこちら側に限りなく近づけていく(ある意味映画や映像が近代において担ってきた役割)方向へと進んでいったという対比は、非常に面白い。
現実はシミュレーテッドリアリティだったというシミュレーション仮説が受け入れられていく背景も、間違いなくプレイステーションに代表される長年最先端の技術が投資され続けているゲーム文化によってもたらされているし、それはこれまでの映画が担っていた役割よりもさらに大きな影響を与えていると思う。
PS初期の時代からあった最先端の技術が投資されたゲーミングの世界に対する苦手意識は、ある意味あっちの世界にもってかれると、そのまま戻ってこれないんじゃ無いかという恐れに基づいていたんだと思う。C1でまだまだやることいっぱいあるし、と。