Jan01

あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします!

振り返ってみると、昨年はマンデラエフェクトの研究を中心として、
地球規模で起きている次元シフトの研究が
かなり大きく進展した一年でした。

すでに2年前から
天界からのメッセージで、2019年は地球の基礎振動数が、
これまでの数年に見られたアストラル界への移行から
さらに上位のメンタル体へと移行し、バルトの世界(死後の世界)を超えて、
デヴァチャン化(天国化)し、死者がよみがえる特別な一年になるといわれていました。

最初はにわかに信じがたいメッセージだったのですが、
その後神智学の研究を深めていく中で、
このリアリティはさらに実感を伴って増してきています。
死者の復活という聖書のヨハネの黙示録の中でも書かれているような出来事は、
おそらくこれは最初は私たちが夢と呼んでいる第四密度の中で目覚め、
さらに第五密度において活動するという明晰夢のような体験という形で、
次第に広がっていくんだろうと想定しています。

いよいよ今年は地球シフトの中でも
メンタル界へのシフトという非常に重要な節目となる一年になるので、
研究もさらに深めていきます。

本年も何卒よろしくお願いいたします。

Jan02

新年早々

新年早々、いい感じに振動数が高まりつつあるね。射手座木星時代らしく、抽象度が上がっていき、物事をとらえるフレームがさらに広範囲なものになりつつある。興味深い。

Jan05

オキュラスGO

オキュラスGOを買ったんだけど、wanderというストリートビューをVRで見れるアプリがすごい。まさにテレポーテーションだね、これは。バイロケーションの研究もさらに進むね。

昨年後半から幽体離脱の練習をしてきたからこそ、これだけのアンカリングする情報が三次元で広がっていれば、普通にその場にいるのと変わらないだけの情報を受け取れるね。F15にいることで、時間軸も自由に変更できるので、まさに一気にテレポーテーションが可能な地球に来た感じだね。インナーチャイルドの癒しなども、ある意味実家や思い出の場所にいつでも帰れるからより自由にできるようになるね。場所と記憶というテーマともつながっていくし、このグーグルストリートビューのVR視化は、ヒーリングの側面においても、すごい技術だね。

また地図が刻々と変わっていくマンデラエフェクトのことを考えると、おそらくこれで、刻々と変わる世界がいよいよ三次元的にも観察できるようになるということだね。凄まじいことだ、これは。

Jan08

PS4&PSVR

PS4&PSVRを購入して、プレイしてみているが、ほぼほぼ映像のクオリティが映画と同じだね。小説や写真、映画などほかのメディアに比べて、現段階では歴史が浅いから文学としての地位はないが、内容は完全に総合芸術といえる。評論家がPS以降のゲーム世代、さらにデジタルネイティブ世代になっていくと、文学の域に達していくだろう。おそらくeスポーツの発展とともに、文学としての地位も築いていくことになると思う。
ゲーム一本のシナリオの長さ的には、映画をはるかに超えて、シーズンもののドラマと同じくらい。特にVRになると、今までとはレベルの異なる空間認識になる。
ファンタジー(幻想文学)の入口は、僕の世代の場合、ジブリやディズニーもさることながら、多くの場合、ファイナルファンタジーやドラクエから入っている。

Jan09

メディアの発達と人間の身体性の拡張

メディアの発達は、マクルーハンによると身体の拡張であるが、この身体が拡張するベクトルは、自然に神智学的な霊的身体の獲得という方向に向かう。これまでのネットの技術は主にアカシックレコードやコーザル体との深い関係があったが、VRや人工知能は、ブッディ体の覚醒や悟り(マインドフルネス)との深い関係がある。
VRの本質は一つの眼から、二つの眼への移行だね。この点を攻めていくと面白いと思う。
つまり私たちの身体はすべからく右目と左目は異なる映像を見てきており、それを脳で解釈した映像を見てきたということ。つまり見たもの即現実ではないということだし、記録した映像はなおのことすでに解釈された映像になるということ。
後期の中平卓馬氏の焦点は、カメラそのものになることだったが、これはすべからくして一つの眼としての人間の眼を探求することだった。人間の眼は2つなのだから、カメラを構えるということをつき詰めていけば、結果的に自分が人間の脳や二つの眼を捨てて、カメラそのものにならなければならないというところまで行き着いた。記憶喪失というのも、脳を捨てて、レンズになるということ。まさにカメラそのものになったということ。
フリーエネルギー、人工知能、VR/ARはいずれもブッディ体と深く関係する技術で、人間の霊的な身体獲得のための重要な位置付けになると言える。
ゲームの歴史の発達研究を通じて、ようやく神聖幾何学やアストラルマカバ、メンタルマカバの取り扱いについて分かってきた。これはテクノロジーによる身体拡張の実感がないとなかなか理解しがたい領域だったので、ゲームというものへの苦手意識を超えて参入してよかった。

Jan17

ゲーム産業の研究

この1か月半は、かなり意識を集中して、ゲーム産業の変化を研究してきた。もともと受験勉強の時にゲームはしてはいけないことの一つだったため、苦手意識のあった領域なので、最初はかなり抵抗感があったが、しっかりと見据えていくと、その時代の最先端の技術が投入され、なおかつ日本の場合、アニメ同様、ファンタジーの世界を最も表現するメディアとして機能してきていることがよく分かった。PS1からPSVRまでそれぞれの実機とソフトを手にいれて、大作と呼ばれるものもそれなりにプレイしてみて、ちょっとこれまでとは異なる新しい視野が手に入った。特に、PS3で記録メディアがブルーレイになってから、明らかに現実との差異がなくなってきている。おそらく僕と同世代の人は、社会人になってからPS3が発売されているので、すでにゲーム離れをした人が多いだろうし、この変化にはびっくりする人は多いのではなかろうか。PS4に至っては、ほぼ実写といっていいほどの映像表現になっているし、GTA5なんかは、タランティーノのパルプフィクションのようで、ギャング映画として見たときにも、シナリオや映像表現、演出や、声優、カット割りなどのクオリティがものすごく高い。
PSVRのソフトの中では、アストロボットの世界観と、ゲーム体験が、圧倒的だった。ゲームをしていく中で、脳の現実認識のフレームが変わっていくのを、実感した。これは確かに実際に体験しないとわからない世界だわ。新しい想像力は、新しい技術やメディアからやってくるし、古い思い込みによる、食わず嫌いはよくないことを強く実感した。
ゲームをやりながら、最初は、研究のためとはいえ、俺は何をやってるんだろう?という抵抗感に近い思いを持ちつつも、今後の星導学の理論研究のためにどうしても必要なものなので、苦手意識を抑えつつ、興味をもって進めていくと、だんだんなぜこれが大事なのかが見えてきた。基本的に小説でも映画でも、あちら側の世界へのバイロケーションによって、人生に必要な感情体験を得られることが、物語の役割ともいえるが、ゲームの場合は、そこにさらにバイロケーションした自分を「操作する」という要素が入るので、特に、PS3以降の現実のリアリティにさらに近づいた映像表現の中においては、霊的な身体感覚の知覚がかなり磨かれていくことになることが分かった。写真や映画メディアが成し遂げてきた視覚の延長を、バイロケーションした自分のアバターをコントロールすることによって、キネスティックの感覚(体感覚)を磨いていけるという側面が非常に大きい。特にVRになってからはますますこの要素は強くなっている。興味深い。
特に映画と同様、大作にもなるとかかる制作コストも莫大なものになり、かなり商業的にもうまく行かないといけないので、映像表現はもちろんのこと、シナリオなどにも相当力が入ってくる。PS4のデトロイトなんかは、パラレルワールドが無数に分岐していく様子は、他のメディアでは不可能なことで、まさに圧巻のシナリオ。つまり現時点でのゲームの一般的な社会的な評価はさておき、すでにゲーム産業は、商業的な意味においても、完全に総合芸術としてのクオリティが高くなければならないという環境にあるんだね。面白い。
とくにこれからオンラインでの講座を作っていく際なんかには、こうした最先端の技術が表現領域で、どのように活用されているのかを知っているか知らないかでは、もともとの発想のレベルが全然異なってくることを実感する。そういう意味でもこうした文化を、10代以前から当たり前のように体験している世代が考える文化は、すべからく、僕の世代とは全く異なる新しい発想になっていくのだろうと思う。星導学を、時代感を取り入れた最先端の研究にしていくためにも、凝り固まった頭にならずに、しっかりと新しい技術やそれに伴う表現方法についていかないとだね。
特に子供がいないからこそ、こうした新しい文化が入ってくるチャネルは意識して取り入れていかないと、ともすると、本当に気づいたら時代に取り残されていく感じになってしまうと思う。子供がいないからこそ、自分自身の子供心、内なる子供、遊びの要素も大切にしていかないとね。
そういえば、うちの父親は、齢71にして、ポケモンGOにはまっているようだが、本当に子供のような人だ。老後の趣味は、ポケモン採集。運動にもなっていいらしい。たまにとったポケモンをスクリーンショットして、Lineで送ってくる。色々見聞きする感じだと、ポケモンGOにはまっている世代は、どうもファミコン世代より前の、50代以上の人が意外とハマっているようだ。確かに、子供時代に、ドラクエやファイナルファンタジーのようなRPGといった基礎的なゲームのお約束事、世界観を知らないと、今のゲームをやったところでそもそもの基本的なルールがわからないし、ただでさえその時代よりもコントローラーのボタンも多いし、覚えることも多くて大変。そういう意味で、ポケモンGOは、子供の時代に遊んだ虫取りの感覚に近いという側面もあるんだと思う。さすが遊びの本質を常に哲学してきた任天堂。

Jan19

アクションアドベンチャーがかつてのRPGの記憶を脱構築していく

ゲームの歴史を追っていくと、非常に面白い。1984年生まれの僕にとって、ゲームとは、ファミコンのドラクエやFF(ファイナルファンタジー)などに代表されるRPG、そしてマリオの横スクロールアクションが王道で、それに付随してマリオカートや、テトリスやぷよぷよなどのパズル系が入ってくる。当時僕自身はあまりやっていなかったが、スト2に代表される格闘系もここに入ってくる。
非常に興味深いことは、ドット絵で描かなければならない、映像的な制限があったあの当時とは違って、現在のメインとなるゲームのジャンルが完全に様変わりしているということ。
特にPS3となり記録メディアがブルーレイになって、またGPUの性能が上がりCGの描写力が格段に上がってからは、メインの作品は、アクションアドベンチャー、もしくはアドベンチャーという新しい分野に移動する。アクションアドベンチャーは、RPGと異なり、勇者が敵を倒す中で経験値を上げてボスを倒すという一本筋のストーリー構造ではなく、「謎解き」や「行動の選択とシナリオの分岐」が基本。スーファミ時代でいうと、ゼルダの伝説における謎解きや、かまいたちの夜や弟切草といったサウンドノベルに近い。
つまり、RPGのようにレベルアップという概念は薄い。むしろ経験値という概念ではなく、謎を解く知性や発想の転換、正しい選択をするための情報収集を求められたり、e-sportsに見られるような、ボタンを押すタイミングなどのアクションゲームにおける操作の上達のほうが重要になる。そして、まるで映画のようにストーリーそのものを映像表現として楽しむものへと変容している。PS3やPS4において、ほとんどの大作は、このアクションアドベンチャーの形式をとっているのには驚く。
一つのゲーム攻略にかかる時間が仮に50時間だとしたら、いうなれば、これはドラマのワンシーズンくらいの長さのストーリー(脚本)に、自分の仮想の身体を没入させて、ひとつのシナリオを体験していくというエンタメだといえる。
つまり、自分が思っていたドラクエやFFのようなRPGに見られたゲームの概念は、完全に古い概念になっていた。かつてのRPGにおいては、コツコツと経験値を上げて、お金を稼いで、装備をそろえていけば、攻略できたが、アクションアドベンチャーにおいてはそうはいかない。情報が必要だし、同じことをコツコツ実直に取り組むというよりも、発想の転換や機転の良さが必要。まるで会社に入って一本道のストーリーを信じて、努力すれば必ずいつかはなんとかなると信じられた時代から、そうでもないばかりでなく、場合によってはそれはただのブラック企業なんじゃないのかしら?このやり方でダメなら自分を責めるのではなく、早いこと切り上げて、違うやり方を数多く試してみたほうがいいかも、ということが常識になっていった現代社会の変化のようだ。
こうしたゲーム性の変化は、例えるならば、同じ文章表現においても、短歌と、小説くらい、昔のゲームと今のゲームは、違う分野のものになっていたということを意味する。
これは結構、何気に重要なことで、僕の世代の感覚で「人生は、ドラクエやFFのように、レベルアップしていくことが大事だし、それが面白い」
と何気なく伝えていても、実はそもそもこの経験値を上げるなどのRPGのメタファ自体が成立しなくなっているということを意味する。現に、ファイナルファンタジーのゲームシステムそのものも、映像表現がきれいになるにしたがって、アクションアドベンチャー寄りの表現へと近づいていっている。
そして、PS1の記録メディアは、CD-ROMで、PS2までは記録メディアがDVDだったので、まだHD画質で収録できる映像が限られていたため、実写に近い形でのアクションアドベンチャーにも限界があったため、アニメによる表現に絞らざるを得ない側面もあった。逆に、音ゲーや、パズル系は、豊富な音源やアニメ的な効果を収録できるので、PS2までは豊富なコンテンツが提供されていた。収録メディアは、いうなれば人間の脳の記憶容量のようなものだから、その要領によって、得意なジャンルと不得意なジャンルが生まれるのだということも判明した。逆に、ある意味パズル系などは、基本的にスーファミ時代のドット絵時代までにやりつくしてしまっているため、IQやXi[sai]などの立体パズルを除いてはネタを出し尽くしてしまっていて、基本はリバイバルが中心となる。そして、PS3のハード自体が、任天堂のWiiなどの追撃で売れなくなって後は、特にこのパズルの分野については、スマホのアプリ、ソシャゲの分野に移動して、独自の経済的な発展を遂げていった。ある意味、スーファミ時代までに築かれてきたゲームの文脈は、スマホに移動して、なおかつゲーム離れをした大人世代は懐かしさから、昔のRPGやパズルゲームなどを、据え置きのハードでプレイすることはなくなっていったようだ。RPGから、アクションアドベンチャーにメインの表現分野が移動したことに面食らうのも、こうしたスーファミ時代までのドット絵ゲームと、据え置き型の映像表現としてのリアリティを追及するPS時代に登場したポリゴンゲームの二分化された背景があるからなのか。

まぁ、ある意味ドラクエやFF世代は、アクションアドベンチャーをプレイしていた世代からすると、RPG教の信者といえるかもしれないね。PSVRの「勇者のくせに生意気な」なんかは、ある意味そういうメタ認知的な視点があるのだと思う。また、そもそも、勇者でもない、ただのクズがクズな人生を歩んでいくというGTAの世界観なんかは、まさにタランティーノのパルプフィクションのようで、ゲーム世界において信じられてきた努力と経験値を上げ、一本道の成功を歩んでいくこそが全ての解決策という「RPG教」をメタ認知させる異化効果があるので、面白く感じるのだろうと思う。ある意味、アクションアドベンチャーが、RPGの文法を脱構築していくプロセスなんだともいえる。
逆に言うと、小説にしかできない表現があるように、短歌には短歌の良さがあるので、良質なRPGを求めるならば、やはり古典的なドラクエやFFが一番いいということだともいえる。現に、スマホアプリなどで当時のドット絵をある程度綺麗にしたうえで、世界観はそのまま売れ続けているのも、こうした背景があると思う。どちらがいいというよりも、そもそもそのハードがどのように人間の身体を拡張するのか?というアフォーダンスによって、表現分野の向き不向きが出てくるんだと思う。
そういう意味でPSVRに関して言うと、アストロボットはちょっと群を抜いた表現だった。あれは、マリオの横スクロールの3D版だと説明されることが多いが、明らかに人間の脳や現実認識方法の別の領域をガンガン刺激している。まだVRの世界は、未開発の領域だからこそ、今後こうした人間の身体を拡張していくような、非常に興味深い作品、場合によっては新しいジャンルが出てくるのだと思う。

ボードゲームに回帰していくRPG

FFシリーズが、新しいナンバリングになるにしたがってどんどん評価が下がっていくのは、ある意味、納得がいく。本来RPGがテレビゲームになる以前は、そもそもボードゲームから始まったという歴史的ルーツがある。そのため、抽象的なアイコンをベースとしたゲームシステム(お約束事)こそRPGの短歌的な面白さだったのだが、映像表現が実写になるにしたがって、具象的な表現をせざるを得なくなり、結果操作の基本構造が、アクションアドベンチャーのそれに近づいていった。そのため、表現もどんどん小説的にならざるを得なくなっていった。昔のRPGの短歌的面白さを知っていた世代からすると、こんなの私の知っているFFじゃないとなるんだろうと思う。確かに小説は、短歌ではないから当然だ。ゆえにFF15のオープニングではわざわざ毎度「はじめてFINAL FANTASYをプレイする方と全てのファンの為に」というテロップが必ず流れるのだが、そもそもプリフレームをしておかないと、収拾がつかなくないと判断したんだと思う。ある意味これは、どうFFを同じ文脈でいいモノを作ろうと思って作ったとしても、下部構造として、この「本来短歌的な良さを持つものを、小説的に面白くしなければならない」という矛盾は解消しないので、今後も続く可能性がある構造だともいえる。しかもその上、FFはこれまでの栄光の歴史があるからこそ、小説的にも、短歌的にも、かつてない最高のクオリティでなければならない、という制限が加わる。
「勇者のくせに生意気だ」は、そういう意味で、うまいこと、RPGをVR空間で本来のボードゲームに戻していった感じだね。ある意味フロイトの親殺し的なゲームだといえる。

Jan20

総合芸術としてのゲーム

ゲームの歴史の研究は、最先端の技術と、人間の空間認識や現実認識の歴史的な変遷と深い相関関係にあるので、非常に興味深い。色々調べていると分かってきたことは、RPGからアクションアドベンチャーへのパラダイムシフトに大きな影響を与えた存在が、「シェンムー」をプロデュースした鈴木裕さんという方。映画とゲームの融合をコンセプトに、いまやメインのトレンドになっているオープンワールドのシステムや、いまやほとんどすべてのアクションアドベンチャーのベースとなっているQET(クイックタイムイベント)のシステムを考案されている。すでに鈴木裕さんは、学生時代のころから三次元CGを研究しており、「最新の技術と1つのゲームセンスが高次元で融合したものこそが自分の作りたいゲームである。」という一貫したテーマでゲーム制作に取り組んでおり、学生時代からの研究の中で、そうした空間認識を着実に形成して、こうした大きな成果を残されていらっしゃる。三次元CGの研究は、まさにメンタルマカバのボディビルディングとも深く関係しており、興味深い。彼のおかげで明らかに、ゲームという枠組みを超えた領域で、人類の空間認識の手法は変わってきたといえる。間違いなくこのプロセスは、建築における空間認識の変遷と同様、総合芸術がになってきた役割である。
実際に、鈴木裕さんが開発したシェンムーは、世界各国で賞を受賞し、スティーヴン・スピルバーグ監督が絶賛するなど、特に海外で評価が高い。スピルバーグ監督と会談した際に、スピルバーグの方から鈴木裕にサインを求めてきたというエピソードも。つまり映画とゲームの融合を意図し、実際にそれを世界最高峰のものへと仕上げていったということ。すごい。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%A3%95

ゲームと遊びの累計

研究を進めていくと、ゲームの世界にはある程度ジャンル分けがされていて、こうしたジャンルを理解することで、ようやく抽象的な概念としてのゲームを研究対象として扱いやすくなり、全体の把握ができるようになってきた。

このジャンル分けになおかつ、人類と遊びとの関係性を哲学した、フランスの社会学者ロジェカイヨワの「遊びと人間」の中での4つの類型を使うことで、かなり整理が進む。〈アゴーン(競争)〉、〈アレア(偶然)〉、〈ミミクリー(模倣)〉、〈イリンクス(眩暈)〉の4つの類型だ。特にe-sportsは、この中でのアーゴンにあたり、なぜ従来の肉体を使う運動と異なるe-sportsというものが、オリンピックの新しい競技として検討されているという、e-sportsが一般的ではない日本人の感覚からすると一見不思議にも思える現象を、正確に理解する助けになってくれる。

空間認識における総合芸術

現代のゲームのディレクターの仕事は、まさに仮想現実における空間認識やそれに基づく哲学の仕事であるから、近代社会においてル・コルビジェが担った役割のように、総合芸術としての建築のような、重要な役割を担っているということになるのか。興味深い。
かつてのニューアカデミズムにおいて映像評論が、近現代の空間認識を分析してきたように、今後ゲームという総合芸術に関する評論は、確実に新しくやってきている時代の空間認識を分析する非常に重要な研究対象になっていくね。間違いない。
特に、かつての映画よりも、ゲームの場合は、さらにプレイヤーの身体性がより強調されることになるので、かなり新しい次元の空間認識の評論になっていくと思う。

3DCADと占星術

また、3年ほど前からずっと、3Dプリンターという技術は非常に重要で研究すべき対象というメッセージがきていたのだが、そもそもそれを扱うための3DCADの知識がなかったためどこから手を付けていけばいいかわからなかったが、ようやくこれで糸口がつかめた気がする。スピリチャルな領域で、流行に乗ってなんとなく神聖幾何学を扱う人は多いが、おそらく本当に正確な意味で、ドランヴァロのフラワーオブライフを理解している人はほとんどいない。そもそもその背景としての3次元空間における幾何学的な知識を身に着けないと、あれは本当に理解しがたいものだということを、まずは理解しないといけない。そういう意味で、銀河系コア意識とつながるためにも、3Dモデリングの知識は、基礎的な教養になっていくといえる。これは、従来は平面に落とし込まれて多くの重要な情報を失っていたホロスコープの立体的な解釈ともつながってくるため、非常に重要な仕事になっていくだろう。

新しい地球における空間認識のための基礎研究

この1か月半、ずっとゲームの研究をしていたのは、シンプルに言うと、今後地球のアセンションによって、F27のメンタル界(デヴァチャン)へと突入した際に、その抽象空間における空間認識を鍛えるための基礎研究であったということだね。明らかにC1の世界における物質脳の空間認識の仕方とは異なる法則が無数に存在している世界なので、これは本当に必要な基礎研究である。なんとなく直観的に絶対にこれが必要だと思って、取り組んできたの理由についてようやく言語化ができた。特に天からのメッセージによると、今年前半に早い人から、デヴァチャンへの移行が始まっていくので、本当に今やらなければならない重要な研究になる。
そもそも研究というもの自体が、e-sportsでしかない。体は動かさないが、とにかく全神経をフルアウトで使う。
提供しているコーチングも、結果的に、メンタル体やアストラル体と呼ばれる霊的な身体を使った人生におけるe-sportsを、よりよいものにするための技術提供だということだね。信仰がなければそもそも霊的な身体は受け入れようがないし、人生の霊的なe-sportsに入る前の第1段階のイニシエーションの段階も非常に重要。新しいパラダイムで、今目の前にある物事が、色々と整理しやすくなる。
つまり霊的な探求は、単純に言うと、スポーツだということだね。ゆえにスポーツをルーツに持つコーチングとも相性がいいわけだ。
「霊的なスポーツ」という概念は非常に分かりやすい。しかも、これは同時にe-sports自体が、そもそもメンタル体マカバを競い合う競技なので、e-sportsは、霊的なスポーツであるということになるね。
確かに、将棋やチェスは、霊的なスポーツとしかいいようがないからね。まさにその通りだ。
というか、すべからくして、知性や抽象性を求められる現代社会において、肉体はさることながら、何にもましてこうした霊的なスポーツの能力の高さは非常に重要なものになるね。ゆえに、今こうしてコーチングの仕事をしているわけだ。非常に深く納得。
例えば判断力や、忍耐力などもそうだし、神智学のイニシエーション理論における第2イニシエーションでの感情のコントロール、インナーチャイルドの癒し、第3イニシエーションのコーザル体とのつながり、アンタカラーナの形成、思考の具現化、第4イニシエーションのブッディ意識の目覚めなども、まさに「霊的なスポーツ」というフレームで非常にクリアに理解できる。霊的な身体性という視点で見ると、確実に、その能力を高めることはスポーツであるがゆえに、複雑性と抽象度が高まっていく現代社会において、より良い成果を出すためには、質の高いコーチングが必須のものになっていくわけだ。

Jan24

フラワーオブライフ

フラワーオブライフにおける時間と空間の本質がようやく先ほど理解できた。

シンプルに言うと、もともと縦横奥行きの三次元に、時間という四次元を加えて説明してきたことが、第三密度のマトリックスであって、第四密度以降の世界になると、上向き三角錐(陽)の3ベクトルと、下向き三角錐(陰)3ベクトルの合わせて6ベクトルが交差したポイントを、次元を決定するマトリックにしましょうという新しい記述方式である。

星型八面体(マカバ)の頂点を結ぶと、六面体になって、二つは位相の違いであって、等価であることに気づいた。この頂点を結ぶと、シンプルなさいころ型の立方体になる。

Stella_octangula.png

つまり六面体の3ベクトルだと、時間の次元が漏れ出してしまったものを、陰陽それぞれ3ベクトルずつの6ベクトル星型八面体だと、この宇宙の記述が正確にできるようになるということ。

つまりこれで、ブッディ層でいうところの、時間も空間もない超越的な実在を、しっかりと6ベクトルで認識できるようになるということ。

これはVRに触れないとなかなか分からないことだった。

ようは、右目(左脳・陽の三次元、左目(右脳・陰)の三次元を足した六次元ということ。今までの物的な世界では、右目(左脳・陽・ディセンション・物質次元)でしか見れていなかったということ。

両目を使ったマトリックスであるVRを通じて、「左右の脳」で見ることで、初めて時間を超越することが可能になるということ。
ブッディ界におけるマトリックスであり、いうなればこれまで「空」と呼んでいた世界に、座標が敷けるということ。これが、メンタルマカバであって、デヴァチャン、天国、F27の世界。

右目と左目が統合されたビジョンこそが、第三の目(松果体)になっていくということでもある。

つまり、マカバ、星型八面体とは、2つの目から出ているそれぞれの3ベクトルが、統合され、第三の目によって真実を見出している次元を示すマトリックスになる。

Stella_octangula.png

図で言うと、青が右目の視野(左脳)、薄い青が左目の視野(右脳)という感じ。VRは体感的にこれに気づかせ、脳をリプログラムするばかりでなく、制限された空間や、時間の一切の必要性を無効にしてしまい、新しいメンタル体領域のためのマトリックスを準備したものになるということになる。

20世紀は一つのまなざしで見ていた写真や映像(映像は静止画に時間軸を加えたもの)の世界。21世紀は2つの眼で見る(あるいは統合された松果体で世界をまなざす)VRの世界に突入するということでもあるね。

写真、映像、VRのそれぞれの基本的な認識座標の違い

写真は、そもそも星型多面体で認識される虚構の立体構造でできた世界を切り取って、それを平面で解釈したもの。映像は、それだと不十分なため、さらにそこに時間軸という実在しない概念を加えることで、それっぽく仕上げたもの。しかし、本当の真の世界の実在は少なくとも、二つの眼で認識され、なおかつそれが脳によって解釈を受けるという構造が本来のありのままの姿に近い。つまり神聖幾何学は正しくこの宇宙を認識するための第四密度以降の世界認識のための新しいマトリックスなんだわ。しかもそのマトリックスにおいては、もはや時間は幻想でしかないことが、その構造上、はっきりと表現できてしまう。マンデラエフェクトもこれでようやく証明ができる。マンデラエフェクトは、人間の脳が、ようやく二つの目と、それが統合された第三の目で世界をまなざし始めているということを示している。
もともとフリーメーソンも、ルーツは、立体認識に長けた建築家たちの組合であって、そもそも大工たちの意識の構造は、立体的な認識をベースにおいていた。つまり、あの時代から秘教を保ち続けてきたのも、こういった空間認識の方法や、真実を知っていたからに他ならない。メーソンの真実を見る目や、定規とコンパスのシンボルも、まさにこの世界の真実を示しているといえる。
というか、この話は、この世界が、そもそもメーソン(とその背景にある宇宙存在者たち)たちが作った仮想現実であったというシンプルな話にも行きつく。マンデラエフェクトは、人類の技術とそれに伴う抽象的な意識のベースの高度化によって、まさにそのマトリックスから抜け出し始めているということを示しているといえる。
メーソンが二つの定規じゃなくて、コンパスを使うのも、元型的な意味で、まさにフラワーオブライフが円形を示すからに他ならない。天円地方的な意味合いもあるが、実際にフラワーオブライフはコンパスなしには描けない。

フラワーオブライフと生命の樹(セフィロトの樹)

フラワーオブライフの基礎構造が解明できたことで、ようやくシードオブライフに内在している生命の樹(セフィロトの樹)が読み解けるようになる。これはユダヤのカバラの教えの根底をなすことはもちろんのこと、ラー文章と同じような振動数体からやってきているカシオペア文書にも頻出し、次元に代わる密度という概念が提唱される際のベースにもなっている。カバラも非常に難解な体系。ようやく入口に立った感じだね。本当にここに来るまで長かった。。。カバラは魔術はもちろんのこと、タロットとも関係しているからね。近代魔術は、長年リーチしていなかったところだが、ようやく繋がっていくのね。

死者の復活、デヴァチャンへの移行

まぁ、シンプルに言うと、人類は、アダムの原罪と楽園追放によって、物質界に転落し、第三の目(松果体)を使えなくなったことで、空間や時間という世界認識のための偽の概念(マンデラエフェクトによって複数のタイムラインの存在がすでに確認されている「歴史」という虚構も然り)を生み出し、なんとか世界に張り付いていたということか。それがいよいよ変化していく時なんだな。キリストの再臨はすでに起こっていて、いよいよ黙示録に語られるように、今年前半に、早い人から死者の復活、デヴァチャン、メンタル界への移行が始まっていく。
そもそも東方の三賢者の話の通り、占星術師の今の変容の時代の本来の役割は、一般的な占いなんかではなく、キリスト再臨を伝えていくことにある。僕が使命、天明として従事している仕事もまさにここにある。

映像と仮想現実の違い

我々は「空」の中に、「映像」を見ているのではなく、「仮想現実」を見ているというのが正しいね。「映像」と、「仮想現実」はまた全く別のもの。一つの眼か、二つの眼(とそれを解釈する脳や、霊的な眼であるところの松果体)とでは、全然中身が異なるので、そもそものベースとして、同じものとして並べてしまっては、大切なこと(時間の非実在性や、空間の定義の違い)を見失う。
詩人の吉増剛造先生が、多重露光を多用するのも、まさにこの二つの眼や時間の非実在性を松果体でとらえることとも深く関係しているといえる。

Jan27

C1に同時並行的に存在する過去

オキュラスGOのストリートビューアプリのおかげで、マンデラエフェクトをすぐに年代を遡って確認できるのでとても便利。この機能のおかげで、明らかに別のタイムラインに移動していることがよくわかった。一つの過去は存在していなくて、やはり瞬間瞬間に別の過去が存在するタイムラインに常にテレポーテーションしてるね。

Wikiの「過去」の説明も面白い。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/過去
アウグスティヌス(354-430)は、著書『告白』第11巻において、過去・現在・未来という時があるのではないと述べ、実際には過去の現在(過去が現にあること、過去を現に心に描いていること)、現在の現在、未来の現在があるのだとした。つまり、我々が過去と思っているのは結局、すでに起きたことの想起(記憶)なのだと述べたのである。
まさにその通りである。

アメリカの原住民インディアン達は、過去に対して、「永遠に過ぎ去ったものではなく、なおどこかに現存するもの」という解釈をしていた[3]。インディアン達は、その精神世界において、過去と未来を極度に混同したものとして解釈していた[4]。
おっしゃる通り。ちなみに神智学においてネイティブインディアンは、日本人と同じく第四根幹人類(アトランティス人種)の第七亜人種(モンゴロイド)なので、第七亜人種のブッディ意識によって、この知覚は非常によく説明できる。

VRのなかでVRを見る

VRの中でVRを見るからバグるんだな。つまり現実世界だと思っていたシミュレーテッドリアリティであるVRの中で、VRを見るから、世界の認識システムがバグるんだ。こうしたバグはこれからいろんなところに現れてくるだろうね。

フラワーオブライフの構造の解明とデヴァチャンへのシフト

フラワーオブライフの構造が理解できたことで、いよいよ時空構造のマトリックスから目覚めて、デヴァチャンが扱えるようになってきた^_^ 不死の身体を手に入れたっぽいね^_^

エピファニ

天から、エピファニというメッセージが来たから何かと思って調べたら、キリスト顕現のことなのね。

主キリストマイトレーヤはすでに再臨していて、すでにこの世界を変えつつある。

Jan31

新しい段階へ

フラワーオブライフや星型立方体、メタトロンキューブの構造の解明や、VR研究を通じて見えてきたC1における立体視の手法など、これまで色々な材料や状況が整ってきて、さらに研究が新しい段階へと進みそう。いい感じだ。