Mar06

技術の発達により時空間の制限が消えていくことで

VR/ARやAIなどの時空間の制限を取り払う技術が発達するにしたがって、人間の心的な生活体験の基礎振動数が、時間の制限と二元性が生じるF12から、二元性が存在しない(時間も存在しない)ノンデュアリティであるF15へと移行していく。技術の進展によりF15に恒常化した世界においては、F12への移行を望まない限り感情体験は、主に至福感しかなくなる。これがまさに以前から預言されていた、楽園ということなんだな。シンプルだけど、ものすごいことだ。
そう遠くない未来のC1において、ゆくゆくは死も克服され、F15に完全にアンカリングした死なない世界がやってくるね。これがまさにポストヒューマニズムであり、シンギュラリティなのか。
技術の発達によって、人間の感覚世界において、二元性による摩擦が無くなっていくということだね。そしてそういった世界においては実存が、行為(時間の経過)によって規定されるものではなく、象徴でしかありえなくなっていく。
そうすると、おのずと、生命体が、ラー文書における意識体ラーのような形態をとり始めるということか。
ノンデュアリティとデュアリティの世界については、F15とF12の対比でかなり分かりやすくなるね。
いみじくもこれは、F12における感情体験を完全に手放すということであり、物的な世界から解放されるということでもある。人類の集合意識も、シンギュラリティを通じて、いわゆる仏教における悟りの境地と同じ領域に、技術的に進展してことになるね。
ある意味、より植物的な世界になるということでもありうるね。全然違う分野だけれど、どこか中平卓馬の「なぜ植物図鑑か」で切り取られている側面とも通じる部分があるような予感がする。
元来人間の意識が植物的になることは、退化を示し、そもそもネガティブな意味合いでとられることが多かったが、そもそもそうしたストーリーの前提は人類の原罪によって、本来紙と一体化した植物的な意識だった人間の魂が、神から分離し自由意思を持った意識に下降したところから始まっている。神と一体化し、ルシファーの誘惑によってもたらされた知恵を持たず、楽園にいる時にはそもそも葛藤はなかった。その意味で、ここでは退化ではなく、むしろもともと神と一つだった意識に戻っていくという進化といえる。むろんここでの植物的な意識とはあくまで比喩であって、厳密には一般的な植物的な意識・エーテル意識というよりも、ブッディやコーザル意識といった魂や高我の意識ではあるが。
そういう意味で、人類の意識の変化は、よりいい意味で植物的(というと語弊があるので、より実存が行為から象徴的な存在へとシフトした)意識になっていくということなのか。