Mar11

ジェネラティビティについて

この数年ずっと、非地位財と、余暇の研究をしてきたのだが、やはり根本的に仕事が大好きなんだなと実感。特に今年35歳になり、壮年期に入って、エリクソンの発達心理学でいうところの青年期のアイデンティティの形成というテーマが終焉し、ジェネラティビティにメインの課題が移行していくのを肌で実感している。これまで自分自身のアイデンティティの確立のための仕事という焦点だったものが、だんだんジェネラティビティの獲得のための仕事というテーマに移行していく。
エリクソンのアイデンティティという言葉自体が、心理学が一般化した70年代以降に使われて行って一般化していった言葉なので(僕らの世代は特に2000年代にリバイバルブームだった岡本太郎や、映画かもされたみうらじゅんの漫画アイデン&ティティなんかから大きな影響を受けている、音楽だとMr.Childrenの影響は非常に大きい)、ジェネラティビティというワードはそこまで知られていないが、アイデンティティという言葉でアイデンティティを形成してきた世代にとっては、ジェネラティビティという言葉はより使いやすい用語として受け入れられていく余地があるといえる。

ジェネラティビティは、心理学者エリクソンの概念で、次世代育成能力を意味する造語。青年期がアイデンティティ・自己同一性の獲得(親密対孤独/獲得すべき徳目が「愛」)がテーマだったものが、壮年期に入ると、世代(ジェネラティビティ対停滞/獲得すべき徳目が「ケア」)が非常に重要なテーマ性を帯びてくる。
上の世代の価値観と、下の世代の価値観を繋ぐことで、ケアの徳目を獲得していく。ここに中軸を置くことに、次第に人生の基軸が変わっていくというのが、壮年期の重要なテーマとなっていく。
ジェネラティビティは、必ずしも出産や子育てという枠組みだけではなく、むしろ、仕事や文化的活動などの生産活動とも深く関係しているとても普遍的なテーマを持ったものとしてエリクソンによって造語されている。

世代の違いを感じるのは、今の時代はだいぶ社会が優しくなったなと感じること。そもそも僕が青年期は小泉政権下で、国を挙げてアントレプレナーシップ(起業家精神)を持つことが推奨された時代だったし、団塊世代のもとで理不尽に酷使され苦労していたロストジェネレーション世代を見て育ったので、そもそもリーマンショック後の一つ下の世代のように、純粋な気持ちで会社に安定を求めることは、当時の雰囲気ではどこか人生を諦めるような雰囲気があった。なので、3年間は我慢して勤めて、そこから、考えようという人も多かった時代。当時、ブラック企業という言葉は存在しなかったし、そもそも企業の就労環境がブラックなのは当たり前だった。
むろんリスクをとって出発したとはいえ、「自己責任論」が台頭していた時代だったので、起業したってなんのサポートもないし、IT技術周りも、起業コストがかなりかかった時代。とにかくリスクをとったのちは、なんとか食いつなぎ、這いつくばって生きていくしかなかった時代。
今の自分の生き方や、逆境における精神的な強さが鍛えられたのも、間違いなくこうした当時の社会背景がある。あの時、リスクをとって起業していなけば、おそらく今のような生き方はますます選択として難しかったことはいうまでもない。若いうちのリスクは進んで取るべきという先人の教えは間違えていなかった。
しかしこのあたりの価値観はどうやったって、今のミレニアム世代には伝わりようがないだろう。と同時に、これは上の世代にとっても、深い部分では、共感しにくい部分があると思う。つまり、これまで上の世代だけを見ればよかったポジションから、次第に下の世代も生まれてくることで、ジェネレーションおよび、ジェネラティビティを理解する環境が増えてきているということ。このあたりの世代間ギャップを感じるにつけて、次第に、ジェネラティビティの能力を高めていく必要性を感じるようになってきた。

しかし青年期から壮年期に移り、ライフサイクルのかじ取りもまた変化していく過程の中で、アイデンティティの形成(自己同一性の獲得、愛と親密さの能力)という意味で正しかった選択も、次第に、ジェネラティビティの獲得(ケアの能力)という新しいパラダイムに移ることで、映る景色も変わってくる。
特に、仕事における生産性の軸が、アイデンティティの形成から、ジェネラティビティの獲得という焦点に移ることで、いろいろな仕事の仮説が変わってくる。と同時に、そうしたパラダイムの変化で、仕事がさらに面白くなってくる。
特に青年期におけるアイデンティティの形成においては、愛および、親密さ対孤独というテーマは非常に重要なテーマとなるが、無事アイデンティティがしっかり形成され、壮年期に入ると、そのテーマ性は人生において次第に影響力が小さくなり、ジェネラティビティというテーマに入っていく。ジェネラティビティの対義語は停滞であるため、アイデンティティの形成の終焉はすなわち、停滞の始まりであるともいえる。
ある意味、青年期にアイデンティティを形成し終わったことで、外側に愛親密さを求めずとも、すでに愛、親密さの中にある状態になるといえる。その意味で、獲得したアイデンティティをもとに、人生の主要なテーマもケアの領域、ジェネラティビティ対停滞というものに移行していくことになる。
とはいえ、今の時代は変化が非常に速いので、必ずしも、年齢的に壮年期に入ったからといって、青年期のテーマが未解消のまま進むことも十分にあるし、また、幼児期の未解消のテーマが青年期以降においても存在する状態は、インナーチャイルドという領域で扱うことが多い。必ずしも理想的な状態で進むわけではもちろんない。ゆえにエリクソンの心理学があるわけだ。今ここの自分をしっかり理解するところから、人生の地図が見える。
いい歳のとり方というのは、いうなればそれぞれのライフサイクルとしてやるべきことをやるべきときにしっかりとやること。その時の課題を先延ばしにしないこと。言うは易く行うは難しだが、大事なことだね。そういう意味で、人生に「いつか」はない。今、しかない。決断は大切だね。