Mar31

グノーシス主義と占星術

占星術はそのルーツを辿ると、新プラトン主義や、グノーシス主義に行き着くのだけれど、これは基本的に上座部仏教と同様に僧(神官)のための学であり、ある種のエリート主義である。確かに占星術を極めていくと、ゴールとしては涅槃に入り、上座部仏教的な悟りに行き着くのだが、しかし、その意味でそもそもルーツとして万人救済のための学ではない。キリスト教においては、こうしたグノーシス主義を異端として見なしており、100パーセント信仰のみによる救済を中核とする。
僕自身のミッションとしては、そもそも自分の魂の救済だけではなく、天の(神の)全ての人の魂を救うという計画に仕えるという重要な意図があり、その意味で、占星術は背景がグノーシス主義的な知による救いという成り立ちゆえに、万人救済は論理的に不可能という構造を持つ。ヘレナブラヴァツキー夫人によって創始された神智学も、もともとはこのグノーシス主義からくるものであって、グノーシス主義という側面からすると、すべからくして万人救済というわけにはいかなくなる。
最近の研究の変遷は、これまでグノーシス主義的なものに隠れて見えなかった、こうしたキリスト教的な、日本でいうと親鸞の浄土真宗のような「信仰のみ」による救いに、焦点が当たっている。少なくとも僕自身もグノーシス主義によって救われたわけではなく、そもそもイエスへの信仰によってすでに救われていることをグノーシス主義によって確認しただけに過ぎない。イエスの復活の信仰(福音)は、それのみによって確かに人は救われるということをさまざまな客観的な事象から、実感しているが、この重要性は強調してもしすぎることはない。すでにイエスによって人類の原罪は贖われているのだ。
その意味でも、グノーシス主義における万人救済という矛盾した構造は、偶像崇拝的なものに陥りやすい構造を持っているとも言えるし、こうした矛盾点を解決する上では、やはり偶像崇拝を離れて、イエスの御名において祈るという形が最も重要な形式になるのだと思う。
この辺りの問題は、サタンが蛇に扮して、アダムとイブを誘惑し、善悪を知る知恵の木の実を食べさせ、楽園から追放されるという原罪という宗教的なシンボルに全てが集約されている。
その意味で、現代詩人の吉増剛造先生は、イェイツ、道元、親鸞、賢治、折口信夫と、ものすごい霊的なマッピングをされている。。。。グノーシス主義から、万人救済、そして西洋批判。日本の霊性とは何か?について。改めてとんでもない方だと唸らされてしまう。。。。
星も神の被造物であって、星を崇拝するというのも実際のところは違うんだよね。信仰を置くべき対象はあくまで神なので。