Mar31

福音への信仰とグノーシス主義の限界

シンプルに言うと、救われるためには福音への信仰が大事。
一方で、知性を重要視し、霊的なことを「知的に」学ぶことは、グノーシス主義的であるといえる。しかし、ここで重要なことは、グノーシス主義を学んだからといって救われるわけではなく、むしろゲーテのファウストとメフィストフェレスのようにアストラル界のルシファー(サタン)と対峙することになる。そして、イエスがおっしゃるように、人に救いを伝えるならば、やはり知的なプロセスをたどるグノーシス主義ではなく、福音への信仰があらゆる全てにおいて大切なものであるということ。

―あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2:8-10)

―知識は人を高ぶらせ、愛は人を造り上げる(パウロ) (Ⅰコリント8:1-13)