Apr24

次の10年。

日本には福音の信仰が開花するための種子がしっかりと埋まっている、ということを日々確信する。ニューエイジやスピリチャルブームがここまで広がって、いい部分(物質主義からの脱却)も悪い部分(サタンの介入)も色々形になっている今、神の計画の一部として、福音や聖書理解を通じた日本の霊性の開花は、これから確実にやってくると思う。これは10年前に、当時はまだ全然知られてもいなかったセラピー的文化が、日本において現在のように非常に一般的なものになると確信した感覚と全く同じだといえる。ニューエイジの次は、福音と聖書だと思う。日本において、主の御名があがめられる時が近づいてきた。

2010年に書いた記事「ヒーラーがいない世界」
http://www.ondorinohane.com/blog/2010/05/post_603.php
まさに、今はヒーラー(セラピスト)の存在が当たり前になったからこそ、次第に、ヒーラーがいない世界(イエス様を救い主として受け入れる時代)に突入しつつある。

この時は、「自分を愛する」ということを軸として伝えていたし、それでも十分意義があったのだが、今やそうしたメッセージはとても一般的なものになった。と同時に、実はサタンはこの「自分を愛する」というコンテクストに入ってきやすい。一歩間違えたら「自分を愛する」ということは、ただのナルシシズムになってしまうのだ。つまり自分を愛するという意味は、本質的には「主が自分を愛するように自分を愛し、そして人を愛する」という意味であって、これは主の祈りの中で言うところの「私たちの罪をお赦しください。私も人を赦します。」「ありのままの自分は罪人であるということを受け入れる、そしてその原罪はイエスの復活の御業を信じることによってあがなわれる」という意味において有効な概念だ。

その意味でも、そもそもこうしたニューソートや自己啓発、人間性心理学によってもたらされた思想背景のさらに奥にある、キリスト教的な価値観の「主を愛する」という方向へとさらに進んでいく必要がある時代に入ってきたと思う。

「それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び/海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。」(イザヤ書24章15節)