Apr01

ありのままの自分を受け入れること

いわゆる「ありのままの自分を受け入れる」とは、キリスト教で言うと、自分を罪人として受け入れるということ。アダムによる原罪(メンタル界から物質界への下降、その結果、人間は死を体験するようになった)を背負っている以上、罪人でない人はいない。そして、一人によってその後のすべての人が罪人になったということは、また同様に一人によって、すべての人の罪は赦されるということでもある。神の子として生まれ、我々の罪のためために死なれた、イエスの御名によって自分の罪を認め、そして、祈るということは、自分が罪人であることを正面から受け止め、悔い改め、そして、それがイエスの御業によって、神との和解ができるということである。
「ありのままの自分を受け入れる」という言葉一つには、これだけ深い意味とプロセスがある。決して、セルフィッシュに生きるという意味ではないし、また赦す主体は神であって、一方的な恵みによるものであって、決して自分自身ではないということも大事。自分が自分を許すのではなく、主によって赦されていることを実感することで、結果的に自分を許せるようになるということ。