Apr06

暗黙知から形式知へ

今新しく占星術を学ぶための教材の準備をしているのだが、そもそもセラピストやヒーラーになるためには、基本的に前段階として、仏教、神道、キリスト教の基本的な構造を学んでもらったほうがいいね。もう少し突っ込んだ段階だと、ユダヤ教やイスラム教はもちろんのこと、マニ教や、ミトラ教、ゾロアスター教、バビロニア神学などの知識もあったほうがいい。マニ教やミトラ教の知識がないと、そもそも現代占星術のベースとなった神智学運動の理解も難しい。また、そもそも日本の仏教が上座部仏教と異なり、マニ教やミトラ教などの影響を受けた大乗仏教であるという自己認識もできない。般若心境が「お釈迦様の教え」という誤った認識を持つ人が多いのもこのため。そもそも般若心境は、釈迦の教えを乗り越えるべく(大乗仏教化)するために、作られた教典。つまり、正確に言えば、般若心境は、釈迦の教えを否定するために生まれたもの。宗教学のベースがないと、実践においても変な方向に進んでしまうし、常識として持っているべき教養は、暗黙知から形式知に変えた方がいいね。上手くいく人の当たり前を知らないと、いつまで経っても同じ失敗をグルグルしてしまう。
そもそも人類史的に癒しを提供してきたのは神であり、宗教であるから、まずはその屋台骨をしっかりと知ることは何においても大事ということは、ちゃんと暗黙知から形式知に変えないとね。
冷静に考えて、そもそも義務教育の中で、宗教学は高校の倫理で人物名等を少し触れるだけで(そもそも日本において高校は義務教育じゃないし、ゆえに倫理は選択科目なんだけど)、ちゃんと扱ったと言えるほどの内容は扱っていないからね。確かに文系の大学で、神学とまではいかなくとも、比較宗教学などを学ばないと、そもそもの世界宗教の教義の内容については知らないのがある意味当然なのかもね。
こういう教養的なベースがないからこそ、それが神から来るものなのか、魔からくるものなのか、見極めがつかないし、サタンは非常に巧妙なので、多くの場合サタンの影響を受けた変な変性意識を取り入れて、エゴが肥大化しちゃうのね。
そうなる人と、そうならない人の違いを数多く見ていくなかで、普遍的な宗教教育を幼児期や学童期に受けていたかが、本当に重要な違いになっていることが分かってきた。オカルトがスピリチュアルに変わって、敷居はだいぶ低くなったがゆえに、この類の霊的な諸問題は今後も非常に重要な課題になっていくと思う。
その意味でも、基本的な宗教教育を受けずに(つまりキリスト教におけるプロテスタンティズムの派生としてニューソートやニューエイジにつながっていくクリスチャンサイエンスが生まれているというベースを知らずに)ニューエイジやニューソート系に触れるのは結構危ない側面があるということ。福音を知らずに、ニューソートやニューエイジを信奉するのは、福音なきキリスト教で、もはやそれはサタンの教えでしかない。福音を知る機会が少ない、日本においては非常にこうした問題は、想像以上に深刻なものとして捉えた方がいいともいえる。
つまりシンプルにいうと、福音なき、引き寄せの法則は、サタンの教えになりうるということだね。当たり前すぎて、意識すらしていなかったけど、そもそも引き寄せの法則よりも、福音を知って信仰することの方が途方もなく大事。そうでないと非常に危険。
どこか気持ち悪いニューエイジャーというのは、このあたりが抜けているんだと思う。
神は、愛の神であると同時に、義の神でもあるからね。なんでもかんでも許容しているわけではない。我々が悔い改めるように、義に基づいて、愛を持って、試みをお与えになる。試みを通じて、自らの罪を意識し、イエスの御名を通じて悔い改めることで、赦される。それが主がお与えになった、人類への無償の愛ということ。そして、その神の無償の愛のように、自分に罪をなすものを赦し、またイエスの御名において祈ることで、自分の罪をも赦されていることを感じながら、互いに愛しあいましょうということ。おおもとの福音からくるところの「無償の愛」が意味するところが何かをわかってなければ、人を無償に愛することも無論できない。
何でもかんでもいいわけじゃないし、ましてイエスの福音を知らずになぜ無償の愛を受けられるといえるのだろう?(仏教は悟りと慈悲の教えであり、いわゆる無償の愛という教えではない。仏教においては愛別離苦というように愛は離れるべき対象である。何より法華経の教え以外は、すべからく技による救いなわけで、決して信仰による救いではない。)
その辺りの問題は日本のニューエイジ文化の重要な主の試みになっているように思う。