Apr10

ラテンの気質と、アモーレの感覚

やはり時代が変わったね。これまで占星術をベースとして伝えてきたことを、福音をベースに伝えていく時がきているね。日本のスピリチャリティ(そしてそれは世界においても重要な位置を占める)において、福音の大切さを説くべき、次のフェーズに入る時がきているね。
ラテン系の人が明るいのって、そもそもカソリックの影響下にあって、プロテスタントと異なり「技による救い」もある程度許容してきたことで、実際に神の救いに預かっている実感を伴ってきたからこそ、細かいことは気にしない=既に神によって自分も周りの人たちも赦されているという実感があるからなのではないかと思う。
日本人によくただの女好きと誤解されやすい、イタリアのアモーレの感覚も、むろん主の愛(アガペー)、宗教的感情が前提にある。イタリア人のアモーレは、(神が私たちを愛するように)あなたのことも愛しているの意味なのだ。神の無償の愛は分け隔てがないわけで、その意味で、宗教的感情の延長線上に、恋愛感情をおくのが、アモーレの感覚。むろんギリシャ・ローマの長い歴史と文化の元で、美しいものを愛する(そしてそれは普遍的な宗教心とも深い関係にある)という感覚もそれを手伝っている。また、特にギリシャ彫刻に見られるように神によって造形された人間の肉体も、聖なるものであり、それを愛で愛することは、積極的なアモーレの表現の中に含まれている。
宗教改革の中で技による救いを完全に放棄したプロテスタントにおいては、救いとは人知が介在するところではなく神の一方的な裁きよって行われるものであり、つまりは予定説に基づくものなので、自分が救われているかどうかは生前に知る由がない。ゆえにせめてもの思いで、質素にストイックに生きることでその安心感を得ようとする精神から、ベースとなる精神性の違いが生まれてきたのだと思う。
言語的な差異も非常に重要で、そもそも宗教改革はドイツから始まったのだが、英語をはじめとしたゲルマン語族が、バチカンの権威から離れて、プロテスタント化していったのも、ようは一般庶民にとって、言葉の壁が存在することによって、ラテン語ベースのカソリックよりも、ルターやカルバンのようなゲルマン語族のプロテスタンティズムのほうが、宗教的な教育を受け取りやすかったということ。
また、同時に、同じラテン語族の中で、フランスの国民性だけが突出して、他のラテン語の国に比べて(細かいことを気にしないラテン気質から一線を引いて、人間の理性を重んじ、議論好きで、合理的な精神や、個人主義を重んじるという意味において)異質な理由はフランス革命期に共和制によって、宗教的権威を否定し、市民の手による革命によって王室を打倒し、合理的精神を追い求めてきたという歴史にもあるといえる。
その意味で、日本における普遍的な宗教教育という側面において、英語だけでなく、ラテン語族の中でもイタリア語を学ぶ大きな理由は、バチカンで日常的に話されているというだけでなく、そもそも言語的なエネルギー(国民性を含む集合意識、日本的に行くと言霊)として、ゲルマン語族にはない宗教的な意識、技による救いをある程度許容し、楽観的な人生観を持つ意識ベースを学ぶという意味において、コミュニケーションや、言語取得ということ以上の、深い意味合いがあるのではないかと思う。つまりは、イタリア語を学ぶことで、ゲルマン語とはまた違う形で、主の救いや福音のすばらしさを実感できる側面があるのではないだろうか?と思う。むろんそれは言語だけでなく、文化全般においてもいえるだろうが。しかし文化の根底に言語がある以上、決して軽視できないと思う。
このあたりの「技による救い」「信仰による救い」の問題は、アメリカ型資本主義社会と社会における幸福を分析するうえでも非常に重要な要素になるね。カソリック圏内における資本主義の在り方と幸福感は、またアメリカや、戦後それに追従した日本とはまた異なる位相にあるからね。結局資本主義社会を規定したものは、技に救いにあったのではないだろうかと。日本やアメリカがニューエイジ型の信仰形態、自己啓発的な形での新宗教の普及の形態をとっていくのも、ここに深い関係があるかと。これは、またあらためて分析する。
イタリア語はもちろんのこと、キリスト教神学をしっかりと根底から学んでいくことも、今後の研究の上では非常に重要な要素になってくるね。
つまりどんな国にあっても人間である以上、救いの確信(仏教だと悟り)を得たいということなんだよな。その確信の仕方が、技による救いなわけで、これは文化的な背景によって、宗教儀礼に求めたり、商業的な活動に求めたり、日々の労働に求めたり、学問に求めたり、ボランティアに求めたり、芸術活動に求めたり、千差万別。つまり生かされているだけでなく、技による救いを通じて、生きる意味、確信を得たいということ。
また、おそらくバチカンのおひざ元であるイタリアの離婚率は低いんだろうなと思って調べてみたら、やはりそうだった。先進国で離婚率は高くなっているとはいえ、やはり宗教観によってだいぶ事情は異なるんだね。アモーレの国だからといって、決して軽い結婚観なわけではない。むしろ結婚については非常にストリクト。おそらくマンマが強いのも、日本のかかあ天下じゃないけれど、宗教的な愛に基づく関係性であって、決して恋愛感情だけで成り立っている関係性ではないことが、社会的にもしっかりと考え方のベースにあるからこそなんだろうね。むろん家と家との契約だった日本人の結婚観と異なり、あくまで主の愛に基づく結婚観なので、夫婦間の愛の表現は日本人のそれよりももっとずっと豊かなことには間違いがないが。
https://moomii.jp/couple-family/italian-marriage.html