Apr25

神と子と聖霊の、三位一体がなぜ重要なのか。

神と子と聖霊の、三位一体がなぜ重要なのか。
日本語において、仏というと、必ずその背景には仏教の開祖である「釈迦」という一つの確固としたパーソナリティが存在する。しかし、一般的に日本語で、「神」と表現すると、一神教的な意味においては、こうした単一の象徴的なパーソナリティが存在しないゆえに、「人としてどうあるべきか」というモデルが存在しなくなる。
ゆえに日本語において、「私は神のようでありたい(もしくは私は神だ)」というと非常に横柄な意味合いが含まれる。むろん一神教においては神は創造主、人間は被造物なので、「私が神」であるはずがなく、それは楽園にて蛇がアダムとイブを誘惑したやり方(善悪の知識の木の実を食べれば、あなたも神のようになれる)と同じだ。
その一方で、日本語で「私は仏です」というと、お釈迦様という明確なひとりの人格を通じて、こうした横柄な意味合いは大いに否定され、人間としても理想的な人物像であるべきだという意識が働くようになっている。逆に言うと、キリスト教圏の人に、仏教における仏の概念を説明しても、釈迦の人格を知らない限り(しかもそれは聖書のように単一的な書物で残っていない)、正しく理解することは難しいと思う。せいぜい目の前にいるモンク(お坊さん)や、チベット密教のダライラマなどの有名な僧を見て、理解するしかない。(むろん、「信仰のみによる救い」や「偶像崇拝の否定」という聖書的な世界観をフィルターにしているので、厳しい仏道修行のような「技による救い」という要素は理解できないため、あくまで表面的な理解にとどまらざるを得ない。カルチャーで言うところのヨガや瞑想から入るか、せいぜい本格的な接点としては、現代思想の領域で鈴木大拙の禅(ZEN)の思想を理解しようとするくらいしか、理解しようがないと思う。)
キリスト教にて「イエスキリストの御名において」と祈る理由は、まさにここにあるといえる。つまり、仏教においては、仏という言葉の中にすでに「仏教の創始者、仏陀の御名において」という意味合いが既に含まれているのだ。
父なる神という位格と、神の子(人)という位格、そしてさらに聖霊という位格が、一つの神格の中に含まれることで、はじめて一神教の神に関する正しい認識を持つことができる。
その意味で、日本の場合は、釈迦がどんな人だったかは、お坊さんの説法や、日本のお寺の文化などで、なんとなく釈迦がどんな人かを知る機会は多い一方で、そもそも神の御子イエスがどんな人だったのかということを知る機会が、非常に少ないといえる。
そこにさらに輪をかけて、日本神道の多神教の神の概念が入ってくるためにより話が複雑になる。なぜなら日本神話における神は、あらくれものの須佐之男命のように、必ずしもギリシア人やルカの福音書が考えるイエスキリストのような、人間として完全で理想的な人格を備えた神ではないからだ。ゆえにその意味では、キリスト教のサタンも、一つの神として受け入れてしまうという土壌がある。これは、そもそもキリスト教の神と、日本の神とを、同じ言葉で翻訳してしまっていることに大きな間違いがある。
こうした問題点を持ったまま、技による救いや、繁栄の教学を強調しながらも、イエスキリストによって示される神の三位一体性について触れない、クリスチャンサイエンスから発展したニューソート、およびニューエイジが入ってくることで、日本の霊性というのは、サタン的なものに大いに汚染されてしまっている状況だといえる。
こうしたことを構造的に防ぐためにも、大事なことはイエスキリストについて正しく知ることだ。幸い(釈迦がどんな人だったかという文章が散逸してしまっている仏教と異なり)キリスト教における理想的な人格としてのイエスキリストは、新約聖書の中の4つの福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)を読むことで、どんな教派においても正しく統一的に理解できる。

なお、聖書を現代的に読みやすくしたリビングバイブルを底本とした、それぞれの福音書の動画がYouTubeにあるので、それを観ると非常に分かりやすい。

【マタイの福音書】https://www.youtube.com/watch?v=s44IDy3emkI (ユダヤ人の王としてのイエス像)
【マルコの福音書】https://www.youtube.com/watch?v=YsAkNmbxc4U (ローマ人に向けて描かれた、しもべとしてのイエス像)
【ルカの福音書】https://www.youtube.com/watch?v=joqnK7A9dQM (ギリシア人に向けて描かれた、理想的な人間としてのイエス像)
【ヨハネの福音書】https://www.youtube.com/watch?v=fhAfypcxQ8Q (全人類に向けて描かれた、神の御子としてのイエス像)

聖書のアプリのおすすめ(新共同訳だけでなく、リビングバイブルも選べ、なおかつ音声で読み上げもしてくれる)
https://www.bible.com/ja/app

まずはイエス様がどんな人であられたかということを知るということが、日本人が一神教の神(特に三位一体としての神)を正しく理解するうえで、非常に重要な要素になっているといえる。
ちなみに日本神道においては、神道における最高神であるところの天照大御神という神格における、人としての位格(人ととしてのあるべき理想像)は、天皇陛下によって象徴されてきた。日本の「和」の心とは、すなわち天皇陛下において象徴されている。ゆえに私たち日本人は、天皇陛下によって、人としての生き方を学び、自らを律していくことができる。また皇室が万世一系のものであるということも、世界に類を見ないことである。本当に誇りに思うべきだと思う。
また、日ユ同祖論をベースに取ると、まさに天皇陛下こそが、実は古代ユダヤの失われた氏族につらなるものであり、実は私たち日本人のルーツに旧約聖書の世界があり、またその上で、ユダヤの民において新約が与えられたということは、すべからく日本人がイエスを救い主として受け入れることは、大きな必然性を持ちうるということも、非常に重要な要素であるといえる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96