Apr25

キリスト教グノーシス派が異端であるわけ

また、キリスト教の教派が、正統か異端かを分けるポイントのひとつに、神学的構造が、「三位一体説」をとるかどうかということがあるが、グノーシス主義の大きな問題点は、霊なる善の神と、肉なる悪の神という二元論的な世界観をとることによって、そもそもこの世の神の三位一体の人としての位格が、集団救済論として十分に機能しえない部分にある。
キリスト教グノーシス主義は、3世紀前後に非常に栄えていたマニ教やミトラ神学、拝火教(ゾロアスター教)の影響から生まれたものだが、そもそもマニ教やミトラ教、拝火教の教義において、この世界が悪の神(アーリマン)によって作られた以上、肉体を持った人としての位格を持った理想的な神は、理論上存在しえないのだ。
つまりその構造上、「技による救い」を否定して、「信仰のみによる救い」という集団救済型の救済論をとる限り、絶対にサタンが入ってしまうことを防ぐことができないのだ。
ゆえに、グノーシス主義は、仏教がそうであるように、出家したお坊さんのみ救われ、個人救済および技による救いによるものでしか、ありえないのだ。ちなみに、日本の仏教は、本来の釈迦が唱えた上座部仏教と異なり、マニ教や、ミトラ神学、拝火教(ゾロアスター教)、景教(キリスト教ネストリウス派)の影響を大いに受けているので(弥勒信仰や菩薩道などがそうである)、上座部仏教の個人救済論だけでなく、集団救済論も教義の中に入ってくる。日本人が今後、イエスを救い主として受け入れる可能性が非常に高いのも、日本の仏教がそもそも大乗仏教であり、それは集団救済論に基づいているので、純粋な個人救済論であるところの上座部仏教と違って、比較的キリスト教の集団救済論との相性がいいということがあげられる。特に、浄土真宗は、例えば悪人正機は、原罪と悔い改めのことであり、極楽浄土は、天国のことであり、他力本願は、信仰のみによる救いという概念と同じで、イエスなきキリスト教といわれることも多いくらい教義には類似性がある。
日ユ同祖論をとれば、日本神道のルーツが、ユダヤの旧約の民だともいえるし、また同時に日本は仏教国でありながらも、上座部的のような個人救済ではなく、大乗的な集団救済であるという部分は、新約聖書の世界背景に非常に近いものといえる。これは、日本人の霊性や今後の目覚めというものを考えるうえで非常に重要なものになると思う。つまり、三位一体の人としての位格であるところの、神の子イエスの、人としての在り方を4福音書に学ぶということは、日本人の霊性の在り方を大いに変容させる要素があるといえる。
そのような意味においても、イエスの福音のみならず、再臨についても預言されているたイザヤ書の中で、日本および日本人のことを指していると思わしき箇所は非常に重要なものであると思う。
「それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び/海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。」(イザヤ書24章15節)