Apr26

信仰のみによる救い

グノーシス主義(密教)を突き詰めていくと、最終的には霊的身体論に落ち着き、ブッディ意識の目覚めとともに時空間の制限を超える体験をすることで、釈迦が体験した悟りの状態になる。物理次元のあらゆる常識が崩れ、パラレルワールドを自由に行き来できることに気づいたとき、その時全ての因果を離れることが体感でわかる。個人という意味においては確かにそこにおいて救われるのだが、あくまでそれは個人的な救済でしかなく、結局のところ、それを他の人に伝えようと試みたり、まして集団救済論という枠組みになると、「技による救い」だとどうやったって不可能で、イエスが神の御子として整えてくださった「信仰のみによる救い」という部分に頼るほかはない。こうした経験を、おそらく浄土真宗の中で親鸞もしたんだと思う。


「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。 なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」
エフェソの信徒への手紙 2:8-10 新共同訳