May09

三位一体論と異端

キリスト教における父と子と聖霊の三位一体論とは、ほかのマニ教やミトラ教、ゾロアスター教などの技による救いをベースとした異教やシンクレティズム宗教との混交を避ける上で、鉄壁の守りを成す教理だ。これは行いによらない、主の恵みに依拠する絶対他力信仰をベースとする救済宗教として、サタンや悪霊の影響から人を守る上に置いて、絶対に外してはいけない教理であり、ゆえに三位一体を取らない宗派は、異端として審問されてきたということなのか。すごい。
現代においては、ニューエイジ や、神智学なども、技による救いをベースにした教理であり、一神教や三位一体論の否定(汎神論的シンクレティズム)に基づくものなので、れっきとした異端となる。ニューエイジや神智学をベースとした教理が、SNSなどで伝言ゲームのように伝達されるに従って、サタニックな影響が現れていき、自ずと変な方向に進んでしまうのは、基本的教理が本質からずれているからなんだな。そういう意味で、正しい聖書理解はさまざまなニューエイジ 系のカルトに見られるような取り返しのつかない間違いを犯さないためにも、必須の知識だと言える。基本的な聖書理解がないゆえのニューソートやニューエイジ 受容という日本特有の特殊な霊性の問題は、危機感を持つべきこと。
おそらく聖書の中に書かれている反キリスト(666)とは、このニューエイジ 的シンクレティズムの中でしばしば中核的な存在として据えられるマイトレーヤ(神智学ではキリストマイトレーヤ と呼ばれ、キリストの再臨であるとされる)のことを指している。つまりニューエイジ文化においてシンクレティズムの結果生まれる弥勒信仰だ。
666とは、シンクレティズム宗教の日本において信じてきただけに残念なことではあるのだが、これは弥勒であり、日月神示の中で書かれる国常立尊(クニノトコタチノミコト)とは、サタンのことである。日月神示では、弥勒のことを567と表現するが、これは獣の数字666の天上界の6から1を引いて、人間界に1を足して、地上界では完全数の7になるように整えた数。ゆえに666が567となる。釈迦如来の入滅後56億7千万年後に弥勒如来が来臨するという数字も、この567である。むろん日月神示の中でも、国常立尊が、サタニックな存在であることは決して否定はしていない。もちろん、マイトレーヤがキリストであるということもない。
本来、弥勒信仰は、マニ教やミトラ教などの影響を受けて、形成されたものなので、日本に渡ってきている仏教はオリジナルの仏教(上座部)ではなく、かなりシンクレティズム化が進んだ教理で、実質はマニ教だと言える。そもそも自力救済理論である本来の上座部仏教と、他力信仰が入る大乗仏教は、理論的には両立しあえないのだが、日本に入ってきた段階でベースがマニ教的なシンクレティズム宗教になっているので、すでにいわゆる仏教ではなくなっている。まぁ、もともとが、技による救いなので、サタニックな影響は自力で抑えられるから今までは問題はなかった。しかし、70年代以降グローバル化が始まった段階、アメリカからニューエイジ文化が入ってきてからはそうもいかなくなって、実際にオウム真理教事件や、ライフスペース事件をはじめとしたカルト宗教による問題は、平成を象徴するような事柄になった。そうしたことが起きた後も、ニューエイジ 文化が「スピリチュアル」という(形容詞なのに名詞として使われる)不思議な名称で台頭する背景には、そもそもこうした福音理解がないことによるサタンの影響が出やすいシンクレティズムおよび汎神論的な日本の特殊な宗教的環境があると言える。
まだキリスト教圏内において、比較的純粋な動機で始められたクリスチャンサイエンスだった頃の本来のクリスチャニティ から、三位一体説を取らなかったことで、異文化における受容の中でクリスチャニティ から外れてしまったことによって、確かにサタニックな影響を受けたカルト的ニューエイジ のグルが出てくる土壌というのは準備されることになっていると言える。
日本においてもニューエイジ のグルだったドリーンバーチュー女史などが、ニューエイジ のサタニックな破壊的影響に気づいて、そうなってしまった自分のルーツを真摯に見つめて(悔い改めて)、福音派に回心したことも、日本のニューエイジ 世界はもっとこうした問題について真剣に向き合うべきテーマなのではないかと思う。日本においてはいまだになぜこうした問題が起きているかという前提となる理解がないので、ドリーンが何に対して危機感を持っているかということを理解されているとは言えないと思う。ゆえに作者がオラクルカードはサタンの影響が出てしまうので出版禁止と宣言しても、いまだに日本ではそうした事実を知っていても平然と販売され続けている。
少なくともちゃんとクリスチャンサイエンスのベースとなっている聖書は読むべきではないだろうかと思う。三位一体論や一神教、原罪やイエスキリストによる贖いという救いの教理や、信仰のみによる救いなどは教養として知っているべきだと思う。
こうした問題は何も今に始まったことではなく、そもそもアトランティスの時代からあったもの。グノーシスを伝えれば、人類は救われるのか?フリーエネルギーを伝えれば、人類は救われるのか?宇宙人の存在が明らかになれば地球は幸せになるのか?
いかに最初に唱えた人が純粋な動機で始めたものであっても、世代に渡る伝言ゲームの中で、じわじわとサタニックな影響が現れ、結果的には当初考えていた救いの理論から程遠い現実を引き受けてしまうことになる。
そういう意味でもしっかりと福音や聖書を学ぶことは、過去の失敗を繰り返さないためにも非常に重要な要石であるといえる。つまり神と人間との関係について私たちは我田引水にならず、しっかりと真摯に学ばないといけないと思う。