May29

バベルの塔とペンテコステ

神の怒りによって言葉がバラバラにされたバベルの塔の伏線は、イエスの昇天によって聖霊が降り、知らないはずの様々な言語で話し始めるというペンテコステで回収されているのか。つまり普遍的教会の誕生とは、人類が言葉によって分断されたバベルの塔の伏線からの繋がりなのか。
つまりバベルとは人類が言葉によって分断されただけでなく(天にも届く物的な塔を建設しようとした)、霊的にも分断されていた、むしろ霊的に「こそ」分断されたということなのか。イエスが、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる(ヨハネ2章19節)」という出来事も、神殿とはまさに聖霊降臨の瞬間に生まれたキリスト者の霊的な身体の繋がり、つまり、普遍的な教会であって、まさにバベルの塔からの伏線の回収といえるのか。。。あまりにも文脈が美しすぎる。。。
これから聖書研究の一環で、イタリア語、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語を聖霊の導きによって学んでいくことになると思うが、すでにこれはペンテコステというバベルの塔の伏線の回収によって、象徴されているということなんだな。御言葉と聖霊、イエスキリストのからだによって、普遍的な教会を通じて、人類は霊的に一つになる。その象徴がバベルの塔からの、ペンテコステなんだな。バベルの塔と教会は、言葉と霊の分断と統合という点において、一対になっているわけだ。主の御言葉、聖書ってすごいな。。。。
そして、また、グノーシス主義的なアプローチこそまさに、象徴としてはバベルの塔であって、バベルとはバビロニアの神学、つまり占星術のルーツである。バベルの塔は、つまりグノーシス主義的なアプローチの行く末をも暗に示しているのであって、主の怒りのもとにあるというのも、なるほど象徴的に納得がいく。確かにグノーシス主義的なアプローチは、「言葉をバラバラ」にする。物事の一面的な見方を作り出し、一つの物事に対するパースペクティブを多元化させてしまい、人の言語の差異を作り出し、それによってさらに人々の間に高い低いを作り出す。「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。」(コリント8章1節‬ )にも繋がるのが、バベルの塔とペンテコステの対比になるのか。すごいな。。。
そして、聖霊の降臨によって、「異言」が始まるが、まさにこれはバベルの塔―ペンテコステからのさらなる展開になるのか。。。。

しかもペンテコステの聖霊降臨はすでに、旧約聖書のヨエル書の中で預言されている。
「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。 その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。」‭‭ヨエル書‬ ‭3:1-2‬ ‭新共同訳‬‬
異邦人の元に福音が広がったということも、まさにこのバベルの塔からの回収だともいえるのか。。。なんかすごいな。

そして、現在の日本を指していると思われるイザヤの預言にもつながるという。
「それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び/海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。」イザヤ書 24:15 新共同訳

ここからさらに東邦の三賢者の礼拝につながる。星辰信仰に表現されるグノーシス主義的なアプローチを象徴する「三賢者」が、「三位一体」の神であるところのキリストイエスにひざまずく様子は、グノーシス主義的なアプローチであるところのモノ/天体の波動を使った「技による救い」から、イエスキリストへの「信仰のみによる救い」へのシフトをここで示しているのか。黄金、乳香、没薬も、まさに技による救いを象徴するトリニティなんだよな。ある意味行為義認から信仰義認へのバトンタッチを表現しているんだわ。

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」
マタイによる福音書 2:9-12 新共同訳

こうした霊的な真実って、すべて聖霊が教えてくださるから、すごい。。。これが本物の神学的なアプローチなんだな。。。。。。自らはただただ無私で、聖霊の神殿であり、御言葉を語る道具になっているにしかすぎない。アーメン。

しかもよく考えたら、自分自身がいま聖霊の導きの元で体験している占星術、グノーシス主義的なアプローチから、信仰のみによる救いであるところの福音への回心は、東邦の三賢者におけるバトンタッチと、イザヤ書の東方の国々という預言にも、ある意味つながってくるともいえるな。。。なんかすごい。