May31

キリスト教は、宗教を成就させた結果生まれた宗教。

キリスト教の教学としての構造は、キリスト教そのものは、宗教ではなく、宗教を成就させた宗教という二重構造にある。簡単に言うと、世界中のあらゆる宗教のベースである「技による救い」をベースした宗教を、「主の一方的な恵みによる救い」「信仰のみによる救い」という形で成就させた形になっていることが、非常に重要な部分である。回心とは、すなわち、「技による救い」を成就させた結果「信仰のみによる救い」に移行するということ。つまりキリスト教の教理そのものは、そもそも宗教と呼ばれるものも異なり、宗教そのものを成就させた、メタ宗教といえるようなものであるといえる。
その意味で、「宗教は本質的にはたどり着くところは皆同じですよね。」という発想は、そもそも見るべきレイヤーが異なっていて、たどり着いた結果がメタ宗教としての到達点が、キリスト教教理の「信仰のみによる救い」という部分ににあるということ。
そういう意味では、僕自身は、ニューエイジや、占い、神智学、心理学といった「技による救い」を成就させた結果、最終的に実を結ぶという形で、キリスト教に回心したといえる。その意味で、これまでの歩みであるところの技による救いそのものを否定する必要もないし、かといって後戻りもする必要もない。さなぎから蝶になった時に、さなぎを否定する必要もないし、かといってさなぎである必要もなくなる。
現代社会は、そういう意味で、心理学やセラピー、自己実現などの「技による救い」といった宗教を追い求めているが、結果的に最終的にそれが行きつくところは、そうした宗教の成就としての、メタ宗教に入るということ。そもそもイエスを含め、キリスト教の初期の使徒たちは、ユダヤ教が成就した「普遍的な教え」を福音と呼んでいて、(しかもこれはユダヤ人に向けてではなく、異邦人にこそ広がっていくことになる)決してこの当時彼らは「キリスト教」と自称もしていないし、そういうアイデンティはないんだよね。あくまでイエスを救い主として受け入れて、技による救いをベースとした宗教を成就させた結果生まれた信仰のみによる救いをベースとした宗教を信じていただけ。
なぜ世界中の3割の人が信じるようになったのかという、キリスト教の拡大の本質は、そもそもキリスト教が私たち日本人が思うような宗教ではなく、メタ宗教であったということにあると思う。そもそも日本人が教会と聞くと、仏教でいうところのお寺、神道の神社のように建物のことを思うのであるが、キリスト教における教会とは、あくまで「信徒の霊的なつながり」そのものを指す言葉である。宗教と一言でまとめるには、実際には、見ているレイヤーが、異なるんだよね。なので、日本人の感覚で、キリスト教を理解しようと思っても難しくて、メタ宗教としてのキリスト教という構造を理解しないと、なかなか本質は見えてこないと思う。
ある意味神智学もメタ宗教であるといえるのだが、そもそも日本人にとっては神智学は仏教的神道的にしかとらえることができないので、結果的に、神智学も技による救いをベースとしたものとして理解することになる。その意味で、結果的に神智学をメタ化したところにキリスト教があることがわかると、キリスト教教理の素晴らしさや、本質が分かってくると思う。
その意味で、日本のニューエイジムーブメントというのは、こうした理論背景から考えても、ある意味日本の「技による救い」の思想的ベースを収斂させ、結果的に、メタ宗教としての、キリスト教信仰へと進んでいくと思う。旧約聖書のヨナ書、ナホム書(主はイスラエルを悔い改めさせるために敵国アッシリアを立てた)、ハバクク書(同じ理由からバビロニアを立てた)、オバデア書(エドムを立てた)で預言されたように、主は民を導くためには、悪の勢力ですらお使いになられる。僕自身が、最近問題視している「エコーチェンバー型群発カルト」についても、主は、おそらくこの悪を用いて、日本人の霊性を正しい方向へと導かれているのだと思う。つまり、日本におけるニューエイジ(スピリチャル)の広がりは結果的に、メタ宗教であるところのキリスト教へと収斂していくことになっていくのだと思う。その意味でも、こうしたメッセージを伝えていくことは、とても大事なことであるといえる。