May31

救済論と終末論、「すでに/いまだ」の終末的緊張について。

キリスト教神学を学ぶと、救済論と終末論は常にセットになっていることがよくわかる。そして、この教理の背景には、「すでに/いまだ」という終末的緊張が常にあることがわかる。ニューエイジ的な思想においては、ハーモニックコンバージェンス(1987年8月16日)、ノストラダムスの大予言(1999年7の月)、2012年アセンション、カーディナルクライマックス(2008年~2015年)と、常に具体的な日付とともに終末が語られるのだが、そこはさすがキリスト教先輩という感じで、キリスト教においては2000年もの長きにわたって、常に「すでに/いまだ」を繰り返してきている。それゆえ、キリスト教においては、次第に終末の具体的な年月を予言すること自体がそもそも異端的教義ということになった。それは神のみぞ知ることであり、また実際にパウロもそのように第二テサロニケの中で伝えている。
20世紀最大の神学者であるカールバルトも、ローマ書講解の中で「(終末にキリストが地上の裁きのために天国から降りてくるという)再臨が『遅延する』ということについて……その内容から言っても少しも『現れる』はずのないものが、どうして遅延などするだろうか。……再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒(めざめ)が遅延しているのである」と述べている。
こうしたことから考えてみても、救済論と終末論は常にセットであり、また、「すでに/いまだ」の終末的緊張はどんな時代でもあることが分かる。
僕の世代だと、2012年アセンションで流行った、ニューエイジ的な終末思想はこれからも、手を変え品を変え、具体的な年月を指定して煽り続けていくということになるのだと思う。次は2044年あたりかな?そういうのに振り回されないためにも、集合的救済論としての啓示宗教であるキリスト教神学の根幹をしっかり学んで広く普遍的な視野を手に入れることは、とても大事なことなんだと思う。