Jun04

キリスト教世界におけるへブル主義―ヘレニズム主義の両極性

主にアメリカで勃興している福音派の流れ(さらにこれからおそらく日本にも入ってくると思う)は、アメリカがヘレニズム主義的自由主義(左)に偏りすぎたために、伝統回帰でへブル主義(右)へと移動しているからなんだよな。でもそもそも、キリスト教の成り立ち的で考えると、そもそもへブル主義的なユダヤ教と、ヘレニズム主義的異邦人世界とが出会った中で、アウフヘーベンする形で成就したものが新約聖書の世界であって、へブル主義だけに偏りすぎても、また、新約聖書が描かれた時代において成り立ったユダヤ人社会と異邦人世界との中庸を見失ってしまうことになるんだよな。近代自由主義神学という偏りの反省から、カール・バルトの神学(新正統主義神学)が生まれ、(あるいは別の経路で言うと、この時代に同時にグノーシス主義的、シンクレティズムとしての神智学運動などもここで生まれたんだと思う)、時代を経て、アメリカ的福音主義という形でへブル主義がかなり強調された神学が起こるという、キリスト教世界も歴史的に見れば、右と左とを常に時代とともに行き来している。逆に言うと、そもそも教理の中に、へブル主義―ヘレニズム主義という両極性を内包して、なおかつそれが「福音」という形で、成就しているというのが、世界中で3割の人が信じうるだけの救済論として非常に完成度の高い教理になっている背景でもある。

つまり、キリスト教世界というのは教理的に言うと、へブル主義―ヘレニズム主義という両極と、集団救済論でいうところの「すでに/いまだ」という終末的緊張の中で、バランスをとりながら思想という側面でも発達してきたということなんだな。