Jun06

主を愛することと自己開示

心理学では自己開示の大切さについて語られることが多いが、
素直に自己開示したり、謝れたりすることは、
そもそも「主」という主語がない限りなかなか難しいものである。
クリスチャンの文化の中では、「罪の告白」ということは
「主の恵みによる愛と、赦し」と常にセットになる考え方。
主に赦された人が、自らの弱さを誇れるのは、自分ではなく、
その主を誇るから。
ゆえに、自らの罪を告白し、主に謝るように、
人にも謝れ、主に自己開示するように、人にも自己開示できるようになるということ。
大事なことは、人生の主語は、自分ではなく、主にあるということ。
このことが自己開示をとても楽にさせる。
常に主との関係性の中で、小さな自分を振り返る視点こそが、
主に愛されるために必要な姿勢。
自分で自分を受容するという心理学的な考え方は、
しばしば自己義認に陥り、その後、霊的な危機に陥ることが非常に多いように思う。
あくまで心理学の根本は、そのベースとして「セルフ」を扱う、
非クリスチャン的な考え方だということを強調しなければならない。
もともと心理学を創始した学者のほとんどがユダヤ人であって、ユダヤ人であるということは無論キリスト教ではないということは大事な点。
そのベースにキリストイエスで成就した、「無条件の赦しの愛」「信仰義認」という価値観がないため、あくまで「技による救い」をベースとした枠組みの中での学問になるからね。
大切なことは、主が自分を受容してくださっていることを知り、
主を賛美すること。主こそ我が誉れ。アーメン。