Jun06

自由主義神学の反動形成としての心霊主義や神智学運動について

神智学運動の勃興はいうなれば、近代化に伴う自由主義神学の反動形成なんだな。新正統主義のカールバルト が出てきた段階で、キリスト教神学としてはひとまず自由主義神学の行き過ぎはひと段落して、収集がついたともいえる。
神智学運動にはダーウィンの進化論も大きく関係しているし、当時の行き過ぎた自由主義神学の台頭によるキリスト教神学界の混乱が、逆によくわかる。そりゃニーチェも神は死んだというよな。ある意味その当時はサタンや悪霊でもなんでもいいので、霊的存在につながりさえすればいい(心霊主義)みたいな、キリスト教世界の神学的危機、霊的混乱があったんだな。ようは当時のニーチェの神の死は、同時にサタンや悪霊の死を意味したわけだ。
ある意味今の世界は逆に、高度な情報化で、非物質的世界になって抽象度が上がってきたことで、むしろ神が復権した時代に入ってきた。それ故に、キリスト教神学のリアリティもより正確に、深く理解できる時代に入ってきていて、オカルトや心霊主義である必要もなくなってきているということ。霊的な物事は、キリスト教神学で全部ちゃんと扱える。そもそも霊的なエネルギーの実在は今の日本人の多くは感じているので、日本のニューエイジからキリスト教神学への移行は、主に「聖霊論」から入るといいんだと思う。キリストイエスの死と復活による罪のあがないを信じれば、聖霊が内住すると言う理論は、今の多くのニューエイジャー にとっては、エネルギーとして実感できるし、無防備にアストラル界に入ってしまうアチューンメントと異なり、悪霊が一切内住しない絶対的な安心感と、シンプルさ、完璧さに、皆驚くんじゃないだろうかと思う。そうすれば、ロマ書の信仰義認の素晴らしさや、集団救済論の完全性の高さに驚くと思う。こうした完全性を知るに従って、ニューエイジ的な文脈に生きることが次第にバカバカしくなると思う。