Jun08

セルフブランディングという自己崇拝と、資本主義的な価値観

エコーチェンバー化して関係性が分断され、細分化していく流れを食い止める方法がわかってきた。やはり「友だちの友だちは友だち」「自分を愛することが大事」なんじゃなくて、「犠牲の愛、献身の愛」「汝の敵を愛せよ」というクリスチャ二ティが1番大事。結局自分の罪や、人の罪を赦さない限り、人間関係はうまくいかないよ。信頼って実直な愛あるコミュニケーションの中でしか生まれない。
特にSNSがインフラ化する社会においては、アフォーダンスとして気づかない間に人の考え方は「セルフブランディング」的発想に向かうし、自ずと自己崇拝的コミュニケーションになっちゃうんだよね。よくない、よくない。
商用利用可能になったアメブロとかが顕著なんだけど、このセルフブランディングの文脈に、さらに資本主義的価値観が組み込まれる。そもそも自己啓発的やニューエイジ的文脈が定義するほど、等身大の人間そのものには価値がないわけで(聖書的な原罪の概念)、商品化、パッケージ化されたセルフイメージは自ずと実体経済(本来の価値)から離れてバブルへと向かわせ、そのうちそうしたバブルは崩壊する。バブル期の土地神話みたいな感じで、自己が持つ価値を過大評価しすぎているんだよな。皆がだれも疑わないような熱狂の中にある時には気づかないけど、冷静になればよくわかるはず。
そもそも人の価値の中心を経済的尺度に持って行くこと自体に無理がある。経済的な価値によって測れる人間的な価値は、あくまで周辺的なものであって、中心ではない。そういう意味で聖書的な意味で等身大の罪人である自分を、受け入れ、悔い改めたほうがずっとシンプルに、健全に生きられる。人間性心理学と、SNSの構造がある意味相性がいいため、バブル期の土地神話のような変なバブル現象を引き起こしているんだよな。まぁ、こうしたバブル構造も、エコーチェンバー化してるから、バブルの真っ最中に、周囲から伝えても気づきにくいんだけどね。
やっぱクリスチャニティの精神で表現されるような、「犠牲の愛、献身の愛」「汝の敵を愛せよ」といった誠実なコミュニケーションが、一番なんだと思う。

「富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る。」
‭‭箴言 序‬ ‭11:28‬ ‭新共同訳‬‬