Jun28

日本における天職という概念の誤謬

天職はもともとは、キリスト教神学におけるvocationという言葉からきている。もともとはラテン語のvocare(呼び出す)の過去分詞からで、「神によって召し出された」という意味だった。Vocationは、本来は聖職者だけに使われる概念だったが、宗教改革の中で、ルターやカルヴァンは、万人司祭の考え方に基づき、聖職者に限らず、すべての人の仕事が、神から召命された仕事であるという概念を打ち出した。
主に仕えるように、自らの仕事に仕えなさいという意味が、vocationということになる。
この概念がアメリカにわたり、ニューエイジや心理学などと融合したものを、日本はキリスト教の要素だけを脱色することで、キリスト教神学における主の召命を前提としない日本独特の天職という概念ができあがっていった。さらに、ここに戦後の日本のマモン崇拝(経済中心主義)が入り、自己実現=天職=お金持ちという謎の三位一体が出来上がった。これによって「自己実現するための天職がある、そして天職に付ければお金持ちになれる、お金持ちになるためには自己実現するしかない」という訳の分からない構造になって広がることになる。
もともと天職とは主の栄光を讃えるというキリスト教神学をベースにして提示された概念で、現代心理学(主にアブラハムマズローの人間性心理学)を中心とした自己実現という神話とは相いれないもの。
このあたりの混乱を知らず知らずのうちに受け入れて、訳の分からないチャンポン的職業観として生まれたのが、日本独特の天職という概念だといえる。このあたりは、日本のニューエイジ文化の中でさらに混乱をもたらす要素になっていると思う。
あくまで天職という概念は、へブル的な意味において、主に仕える、主の召命があること前提で成り立っている。決して天職で自己実現をしていくのではなく、天職は主の栄光を讃えるために、僕(しもべ)として仕えるものであるということはしっかりと理解する必要があると思う。
「ワクワクしていたら、天職に出会える」とか訳の分からない言説に惑わされない方がいい。それよりもまずは主をあがめ、主を畏れること。そして、主に仕えるように、人に仕えること。無償の愛の精神で生きること。これに尽きると思う。
聖書的にはこの天職を、嗣業(しぎょう)と呼んでいる。日本の聖書文化にしか用いられない独特の表現。相続地という意味だが、土地というのはつまり当時の職業(農業)とダイレクトに結びついていた。その意味で、神から受け継いだ賜物という意味合いが含まれる。