Jul03

汎神論的な世界では、契約という概念が成り立ちえない

一神教世界において、人間同士の「契約」という概念が成り立つのは、相手と同じ神を信じていることが聖書によって保証されているから。自分の神に誓うということは相手の神に誓うということと同一であるから。そして、その神は愛の神であると同時に、裁きの神(義の神)でもある。愛し合うことと、もし契約に反した場合には、裁きにあうことが、共通のフォーマットになっているので、個人間で何の前提もなく、契約に基づく社会的信頼形成が取りなせることになる。これが特に西洋における社会の礎となる考え方。

もし汎神論的に、相手の神と自分の神とが別の神であるのならば、そもそも相手の神に誓ってはいないのだから、約束を破っても何も問題ないということになる。そして、実際に日本において、結構こういう感じで実際に安易に約束は破られることは多いし、破った当事者も、相手の信じる神には約束していないということで、そこまで罪悪感を抱くということもない。また時によって、約束を破った当事者も自己防衛として、相手の神概念を否定する、つまり相手の人格を否定する方向に向かうことすらある。ゆえに最初の段階から神概念が一致していないため、その相手は一方的に約束を破られた上に、さらに人としての信頼を裏切られたとより強く印象付けられてしまうことになる。
それゆえキリスト教圏から見ると信じられないくらいの、日本特有の労働環境や、ブラック企業の問題などが生じる。汎神論的な世界においては、社長が信じる神と、従業員が信じる神とは違うからである。
またその逆に、働いていた職場を安易に何の断りもなしにバックレてしまったり、社員がおふざけでやったことが、ツイッターやYouTubeなどで拡散され炎上するという社会問題などになる。訴訟社会である海外だとほぼ確実に何の疑いもなく損害賠償の対象になり、情状酌量がつくことなどまず考えられないので、従業員も怖くて馬鹿なことは絶対にできないわけだ。ある意味、経営者と従業員の裁きの神が同じなのである。

また、汎神論世界における約束事は、人間的な感情的な繋がりに基づくものになる。
そして、十戒のような神の言葉の上にではなく、人のもろく揺らぎやすい感情の上に成り立つことになる。そして感情的な判断は、「義」に叶うものではないので、常に不正と隣り合わせにある。
そして、なんとなれば村八分的な「多数決」で、異質な神を排斥することになる。これが日本特有の「恥」の概念である。恥は人と違うこと、メインストリームと違うことによって生じる感覚だが、非常に汎神論的な世界観に基づく感覚だといえる。

そのため、旧約聖書の記述の中でも、もし自分の神と相手の神とが違う場合、一度相手の神に誓わせるということをする。自分の神に誓わせても全く意味がないばかりでなく、自分の信じる神を冒涜されるからである。しかも冒涜されたからといって決して自分の神は相手に対する裁きの権限を持っていないということになる。
借入金や家の契約をするときに出てくる「連帯保証人」という制度も、実は日本特有の商習慣だ。むしろこれは世界の恥といえる制度である。日本人がいかに契約を順守しない国民性なのかが明確に表れているわけだし、そもそもこの悪法に基づいて、どれだけ多くのその本人が犯した罪そのものと関係ない人が苦しみ、時に死に至らしめられたのだろうかと思うと、嘆かわしい。
要はそもそも汎神論的な世界では、神概念が共有できないから、相手の神に誓わせているということになる。汎神論的な世界においては、そうでないと機能しない。これが村八分や、五人組といった日本特有の「恥」を中心とした社会構造であるといえる。

むろんこうした「恥」を中心とした生き方は、経済的にも、精神的にも、決して人として独立した生き方にはならない。基本的に会社に依存して生きていくしか方法がない。しかし、グローバリゼーションの中で、終身雇用制が崩壊し、実力主義の社会に移行していっている今、そうもいってられなくなっていっているというのが多くの日本人が抱えている問題である。

結局のところ、ビジネスが長い期間うまく行っている人の特徴は、キリスト教などを通じて、聖書的なヘブル的な価値観を知っていることで、こうした共通するフォーマットを持っている人同士で、ビジネスを行っているという理由から。ゆえに感情的な要素に左右されずに、しっかりとした信頼と、ビジネスの構造を形成することができる。プロテスタンティズムから資本主義が生まれたように、また、ユダヤ人がビジネスが上手なのも、結局こうした神概念が背景にあることを知らないといけない。

決してニューエイジ的、ニューソート的な引き寄せの法則が富を生み出してきたわけじゃないという世界的な常識を、まずは汎神論優位主義から離れて知っていかないとね。むしろ汎神論的な世界に基づて、ヘブル的な価値観を学ばないまま、ニューエイジ的な「好きなことだけをして生きていく」「好きな人とだけ付き合う」といったような甘い考え方で生きていると、ほぼ確実に人生は破滅の方向に向かっていくのだろうと思う。
わりと、ブログやSNSなどで引き寄せの法則などでニューエイジ的思想に触れて、安易に会社を辞めて、一人で事業を始めたものはいいものの、うまく行かず転落していく人は多いので、この前提はもっと社会の中で共有し、また、警鐘していくべきテーマなんじゃないかと思う。