Jul07

人間関係に関するイエス様の御言葉

そもそも和を以て貴しとなすという国民性の上に、さらに多神教、汎神論的な信仰形態を持つ日本において、真逆の一神教的なクリスチャンとしての信仰告白をすること自体、多神教ゆえに攻撃されることはなくとも、わりと誤解されたり、距離を置かれて避けられたりする。そもそもクリスチャン人口はわずか1パーセントしかいないからね。あと日本の仏教や神道自体がそもそも国家神道の終焉や400年にわたる檀家制度という仕組みによって形骸化してしまっている上に、オウム事件などもあったので、そもそも「宗教」というものそれ自体へのフォビア、アレルギーがある。

でもこうしたことはすでにイエス様もよく分かっておられて、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」とマタイの福音書の中で告げていらっしゃる。キリスト教を信じるということは、もともと本来決して人間関係の和をもたらすことが目的なのではなく、原罪からの解放、魂の救い(永遠の生命を得ること)にこそ重要な目的があるので、こうした側面も日本人の国民性から見ると、違和感を感じる部分なんだろうなと思う。

まぁでも割と、柔軟な国民性でもあるので、今の国際化する時代においては、明治時代の福沢諭吉のように柔軟に近代思想のコアを導入していける雰囲気もある気がする。実際に今人に福音をお伝えしていく中で、そういう手ごたえはすごくある。なぜなら、そもそも個人個人が、ニューエイジ的文脈に依存するくらい、魂の救いを求めている時代だからね。救済へのニーズがあれば、それは広がっていくものだと思う。

あと、そもそもニューエイジ的文脈にいる人って、すでに人間関係の和の中にいない人が多いから(波動で好き嫌いを選ぶ、自分と価値観の合う人とだけ付き合う傾向、価値観が会わない人とは決して肘を付け合わせてお互いの違いを超えて語るのではなく、人間関係の距離を置いてスルーする傾向)、いまさらかつての日本人のような「和を以て貴しとなす」という発想の中にいる人も少なくなっていると思う。ニューエイジ的信仰を持っている方が、よっぽど分離を経験するからね。
僕の上の世代のニューエイジャーは特に、好き嫌いがはっきりしていて、互いのテリトリーを守るために喧々諤々としていた印象。わりと僕の世代で横のつながりが出てきたようにも思う。でもそうはいっても、やはり個性が強い人々なので、結果的にほどよく距離ができていったように思う。決してニューエイジ自体が語るような、ワンネスの中にはない。

そのあたりのことは今後皆色々感じる部分はあるんじゃないだろうかなと思う。そもそもニューエイジャーって、わりと社会に適応できない個人主義的な人、自分の価値観が割とはっきりとあって周囲となじめない人がすごく多いし、彼らがいう「ワンネス」の人間関係を体現している人ってあまり実際のところ見たことがない。ワンネスはあくまで未達の願望であって、決して彼らが体験している人間関係の現実ではない。

そういう意味では、イエス様が「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 」と語られた御言葉のほうが、むしろよりリアルな感じがあると思う。そういう意味でも、ちゃんと前もって体験するリアリティを伝えてくださっているわけで、誠実な教えだなと思う。

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。 こうして、自分の家族の者が敵となる。 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭10:34-39‬ ‭新共同訳‬‬