Jul08

宗教と哲学

海外で「哲学と宗教」という場合、これはあくまでヘレニズム主義(ギリシャ主義)とヘブル主義、人間中心主義と(一神教的)神中心主義という両極の視点を意味する。日本の場合、ヘレニズム主義(ギリシャ主義)であるところの哲学は明治維新以降の近代化の中で積極的に取り入れたが、べブル主義という宗教的スタンダードは取り入れることに現時点で400年もの間ずっと失敗し、安易な汎神論/多神教優位論に陥り続けているといえる。今もなおトクガワナイズされている状態。むしろヘブル主義については、食わず嫌いで、忌み嫌ってさえいる。例えるならば、宮崎アニメ万歳と言ってそのまま思考停止してしまっている状態。無論、宮崎アニメが世界に誇る素晴らしい文化であることはいうまでもないことだが、そのことと自分が世界が宗教と呼ぶときの基本的な物差しであるヘブル的な世界観を知らないこととは慎重に分けるべきテーマである。
哲学には心を開くが、宗教は蚊帳の外にある。これらが日本人特有の宗教嫌いだといえる。
これまではそれでもよかったのだろうと思う。しかし、インターネットを通じて国と国の障壁がなくなり、個々人の心の中で自分の文化を相対化しなければならなくなった今、哲学と宗教という問題に差し掛かった時、ここが非常に重要な盲点になっている。ヘブル主義を知らずに生きるということは、世界のスタンダードの物差しに半分を知らずに生きるということ。例えるならば片目をつむってスポーツをしているような状態だ。
それ故に、割と世界では軽蔑の眼差しに近いものを向けられることの多いニューエイジ 思想を、ヘブル主義を知らないことで、そうとも知らず舶来品としてありがたがるという滑稽な傾向にある。
SNSによって参入障壁が格段に低くなり、個人でビジネスを始める人も増えてきているが、商売の基本となるヘブル主義(ユダヤ的価値観)への無知ゆえに、スタートした最初からすでに失敗したまま走り続けてしまう人も多い。ヘブル主義(ユダヤ的価値観)を知らずに個人事業をするということはすでにその時点で失敗しており、トクガワナイズされた状態で、黒船と戦おうとしている状態だと気づくべきではないかと思う。ましてニューエイジ 的文脈から、何も知らずに突っ走ることは自殺行為でしかない。
西洋占星術も勘違いしている人が多いが、海外ではあくまでわりと社会的には尊敬どころか、軽蔑されている対象であるという常識を知らないのだろうか? もしこうしたヘブル主義的視点があれば、オウム事件のような日本のニューエイジ 特有の問題は防げたはずだ。
少なくとも海外のニューエイジャーはそうした社会からの軽蔑の視点を意識した上で、選択的にその文脈に抗って強く生きている。ゆえに正統性を保とうと理論化、アカデミック化していこうとする。こうしたダイナミズムが「哲学と宗教」といったときに前提となるフレームだし、ヘレニズムの時代やルネッサンスの時代といった西洋文明の礎となった文化創造の軸になっている。海外で哲学と宗教という時、哲学とはすなわちソクラテスであり、宗教とはすなわちアブラハムである。ソクラテスから生じた哲学は知っていても、アブラハムから生じた宗教についてあまりに無知すぎる。しかしこうしたことは今後距離的文化的障壁が少なくなっていくこれからの時代は、非常に重要な視点になっていくと思う。ニューエイジ 思想は決して世界のスタンダードではないことを、まずは知ることが大事。