人は一人では生きれない
それぞれが違う形を持ち、
二度と同じ人は
生まれてこない。
だから生きることは
愛おしく、
死ぬことは、
つらい。
それぞれに
得意不得意があり、
それぞれに
それぞれの舞台がある。
失敗することも
成功することも
ある。
人は一人では生きていけない。
なぜなら
人は、ひとりひとり違うから。
違うからこそ
生かしあえるから。
人は一人では生きて行けない。
補おう、
愛そう、
支えあおう、
人は、一人一人違うから。
人は、一人では生きては行けないから。
それぞれが違う形を持ち、
二度と同じ人は
生まれてこない。
だから生きることは
愛おしく、
死ぬことは、
つらい。
それぞれに
得意不得意があり、
それぞれに
それぞれの舞台がある。
失敗することも
成功することも
ある。
人は一人では生きていけない。
なぜなら
人は、ひとりひとり違うから。
違うからこそ
生かしあえるから。
人は一人では生きて行けない。
補おう、
愛そう、
支えあおう、
人は、一人一人違うから。
人は、一人では生きては行けないから。
こんにちは。ユピテルジョージです。
今日は、文化の力についてお話したいと思います。
1960年代からの世界的な近代化
1920年代のシュルレアリスムなどの新しい文化
60年代末の世界に広がった大学闘争
70年代、80年代と高度経済成長期の新しい文化
90年代の多元化多様化したポップカルチャー
振り返ってみても
自分たちの祖母祖父が生きてた時代まで
つまり実際に耳で
「私の時代にはこういうのがあったんだよ」
という現実感として
とらえられる時代幅でも
文化の変遷と
そのダイナミクスは
ああ、すばらしい時代があったのだなー
と感じられる時代のエネルギーがあったと思います。
さて、当の自分たちが生きている
2000年代の文化、ときかれて
まだあんまりピンとくるものはないなー
というのが
100年幅の時代単位で
振り返ってみても強く感じるところです。
果たして
自分たちの孫に
私の時代はこういう時代だったんだよと
誇れるかどうか?
僕は正直
まだこの時代に
誇れるものはありません。
IT革命で訪れるとされた新しい時代も
経済の効率化と個人主義の台頭による
実力主義、能力主義という名の下で進んだ
深刻な経済格差を生み、
他者への想像力をはぐくむ土壌はだんだんとなくなり
想像力の欠如からお互いを傷つけあうことが多くなってきた
荒んだ社会状況。
IT革命の波で、
生活のゆとり、そしてそれによる心のゆとりも、
果たして本当に生まれたのかというと
携帯機器などの便利さで、表面的なコミュニケーションは
どんどんと自動化簡素化されいき、
もっと泥臭い他者への想像力をはぐくむ時間は
どんどんとすくなくなり
ひとりでいる時間も多くなり
実際には鬱病が深刻な社会問題になるほど
心のゆとりは、むしろなくなりつつある
現在。
そうした生活レベルで
なにかしっくりこない感覚を
多分誰しもが少なからずもっているだろう
2000年代後半の今。
生き生きしている!
楽しい!
命が燃える!
と純粋に思える文化が
今この時代にあるかというと、
??
と思わざるを得ない。
もちろん、
個々断片には
面白いもの
楽しいことというのは
確かに存在している。
しかしそれは生活にゆとりをもって
かなりの感度のアンテナを毎日のようにはっていなければ
なかなか見えてこないし、
社会に住む誰しもがそこに届くことができるような
普遍性な開かれた道筋が明確にあるかというとそうではない。
忙しい毎日のなかで
いったい誰が
人間が活き活きと生きる上で必要不可欠な
文化的な幸福に
いきつくための
扉を開いてくれるのだろうか?
これだけ情報機器が
発達している時代になっているにもかかわらず、
意外にもそれがうまく生かされていないのではないだろうか。
パソコンが爆発的に普及し始め、インターネット社会が到来し始めた
10年ほど前、そのわくわく感、新しい時代が訪れるという期待感を胸に
自分の外に向けて、さまざまな可能性に開かれていくと思われたはずの
高度情報化社会の波が、落ち着きを見せ始めた今、
意外にもその期待とは裏腹に
むしろ自分だけの興味や視野のなかに閉じていくような
あるいは自分の世界に安住し、むしろ停滞さえ生んでしまうような
ベクトルを生んでいるのではないだろうか。
だから、
2000年代後半の文化は?
ときかれても
それはこうです!といえるようなものが
なかなか見当たらない。
こうしたところからも
この時代の文化の「まとまり」がないのではないかということを
最近強く感じるのです。
そして、そのある種の「まとまり」のなさは、
どこに起因しているかというと
それはなんでも語り合え
損得を超えてお互いを補い合い
助けあるような物理的な「公共の場」がない
というところに大きな原因のひとつがあるのではないかと
感じています。
お互いの利害を超えて
さまざまな価値観をもつ人間が多様に集まり
語り合い
時に傷つけあうこともあるが、
しかしその分間違いなく
違いを超えた理解をしあえるような
「場」
生きていることはすばらしいことなんだ
と
素直に、でも
しっかりと
実感できる
「場」。
互いにお互いを育てていけるような
「場」。
そういうものが
2000年代後半の今
生き生きと日常を豊かに生きるために
非常に大切なものになるのではないかと
感じています。
現代社会が「場」として機能していない。
2000年代後半の
日本の文化をもりたてていくのは
こうした多様な人間が集まり
お互いを成長させていくような
共同の「場」を
協力して作り上げていくことではないか
と思います。
こんにちは、ユピテルジョージです。
先日、神戸の繁華街三ノ宮に行って
これは東京ではなかなかないなという光景を
目撃したので、そのご報告を。
一日目、
本屋に行こうと繁華街をあるいていると
鶏
が繁華街を歩いていました。
よく見ると、
とさかに
きれいなピアスを空け
ひょこひょこと
町を闊歩。
そしてさらによく見ると
2本の足の爪には
真っ赤な
マニキュア。
目を丸くしてみていると
どうやら
となりにいたおじちゃんが
鶏を
ペットとして
飼っている
ようでした。
鶏をつれていたおじちゃんに
お話を聞いてみると
「ぴーちゃん(鶏の名前)は
わしがひよこでかってきたときから
育ててるんや。
この子は自分を鶏やおもっとらへん。
人間の子やおもっとるねん。
寝る布団も一緒や。」
翌日。
また繁華街を歩いていると、
今度は、
犬が2匹、
ならんで歩いています。
よくみると、
一匹の犬の首輪のリードを
もう一匹の犬が
咥えて
散歩をしていました。
犬が、犬の散歩か。
関西は、日常の会話のなかでも
お笑いの「ぼけとつっこみ」
が普通に現れてくるほど
関西独特の笑いの文化が浸透していると思うのですが、
日常生活における
そういった発想の斬新さ、
そして、それを実際に
臆せず、日常生活で形にしてしまう
ユーモアのセンスと
あるいみ笑いへのど根性とも呼べる
執念は
関西ならではだなーと
感じました。
暗黙知と形式知
という言葉をご存知でしょうか。
もともとは
マイケル・ポランニーという
ハンガリーの物理化学者、社会科学者が、
『暗黙知の次元』
という書籍で論じた考え方なのですが、
日本には
経営学者の野中郁次郎氏によって
広く紹介されました。
暗黙知とは、
職人が、彼の親方から
言葉ではなく身体を通して
いわゆるコツやカンといった形で
伝えられていく行くような
知恵を表しています。
言葉にならない(形式化されていない)
暗黙の知恵なのです。
例えば、唐突ですが、
貴方は自転車に乗れますでしょうか。
小さい頃自転車に乗れるようになるまでは
何度も繰り返し倒れて乗り方を体で学ばなければならないのに
ある日
一度、自転車に乗れるようになると
それから二度と意識しなくても
いつでも乗れるようになりますよね。
そこで、どうやれば
乗れるようになるのか
言葉で説明しろ
といわれたら、
いよいよ
困ってしまいます。
えーーと、コツです。
一度コツがわかったら
それからずっと乗れるようになったのです。
というしかないのです。
タイヤが二つで
どれだけスピードを出しても
倒れないバランス感覚を
どうやってもてるようになったのかなんて
一度載れるようになると
まったく意識することは
ないのですが。
暗黙知とは、
そういうものなのです。
さて、その暗黙知ですが、
占いをやっていても
人間の中には
このような
様々な「暗黙知」が
隠れていることがわかってくるのです。
続きは
また明日。
さて、昨日お話しした
暗黙知
ですが、
占星術の鑑定のときにも
やはりこの
暗黙知の存在を
強く感じることが多々あります。
それとなく
出来ていること
しかし、
どうして出来るのか
聞かれると
すぐに言葉にできないようなもの。
西洋占星術では
こうした暗黙知を
木星(私は・・が得意)
月(私は気がついたら・・している)
といった惑星で
自分でも気付かないうちにうまくできる
心の要素として
象徴させています。
以前にも同じような話を
『得意分野の心理分析』の記事にてお話ししました。
そして、このような
暗黙知
がどこで形成されるかを考えてみると
どうもそれは
身近な人間関係、
特に、
最も身近で日常的な人間関係である
家族(特に両親)との関係でじっくりと
形成されていくことが
多いようです。
毎日の家族との関係のなかで
じっくりと形成されていくものなので
もはや意識をせずとも
自分の中で一つの無意識的なレベルでの
行動パターン、心理パターンとして
暗黙知として
身につけていくことが多いのです。
さて、この暗黙知を
実際に鑑定では
対話を通した
ご本人の「気付き」を通して
すこしずつ形式知化していきます。
自分でも気付かなかった
しかし、確かに言われてみたら
自分はそれをしているということ
を
気付き
それにひとつずつ言葉や概念を
与えて行くことで
暗黙知を
ひとつの自分が意識的に使うことができる
長所、あるいはひとつの武器として
形式知化できるのです。
実は、暗黙知のままでいると、
出来て当たり前なので、
それが直接的に自分自身への
自信に繋がることはあまりないのですが、
暗黙知を形式知化していくと
自分にはこれができる
という自信を少しづつ持つことができるように
なります。
貴方の中には
どんな「暗黙知」が
眠っていますか。
こんにちは、西洋占星術師ユピテルジョージです。
今日は、
ギャラリースペースを
一時的なカフェにして
そこで手作りアート(絵画・手作りロウソク・テキスタイル)
手作りオーガニック料理
手作り書籍
本の朗読
など
心あったまる
様々なアート作品の展示
そしておいしい料理を提供する
代々木上原でやっている
Bashoというイベントにいってきました。
そしてその場では、
多くの人との
心あったまる交流を
楽しんできました。
そこで感じたことは、
「居場所」というのは、
場そのものだけでなく
多くの「人のつながり」という
ものによって
創られるものだな
ということでした。
安心できる場
とは、
同時に安心できる
人間関係が存在する場
なんだな、
ということを
感じました。
人が安心する為には
安心できる人間関係って
とても大切なんだな、
という想いは
暖かいそのBashoの人々の
存在によって
尚強く
印象づけられました。
昨日の日経新聞の社会面で
このような記事がのっていた
小4から中1 4パーセントが「うつ」
小学4年ー中学一年の一般児童・生徒
738人に、意志が面接して診断した
北海道大研究チームの調査で、
うつ病とそううつ病の有病率が
計4・2パーセントに昇ったことが8日、分かった。
―以下省略
(日経社会面2007年10月9日朝刊)
小学校でも
鬱病かー・・
自分自身が
小学校時代を振り返ってみて
思うのは、
まだなにも経験のない
子供は
誰のまねをしていたかいうと
それは親の真似であり
また
大人の真似であった。
さて、それが今度
自分自身が
大人になってみて
感じるのだが、
後世に続く
子供達のためにも
日常から意識して
生きるお手本
あるいは生きる姿を
ちゃんと
見せて行けるだろうか
そして
本当に
正面から子供と向かい合い
心から対話できるのだろうか
と考えると、
そのような
日常的な空間、
そしてそのような意識
は
最近はとみになくなってしまったのかもしれない
と感じています。
その理由として挙げられるのが、
地域コミュニティの喪失。
単身世帯が増えて
またご近所さんとの付き合いも
相当の努力をしないと
築けない
ような環境に最近なっているのですが、
子供たちからすると、
身近な大人がいなくなりつつある今
どのように世の中に関わって
自らを成長させて行くのか
そして
だれが一体
「大人」の姿を見せることができるのか
と考えると、
すぐには答えは見つからず
もっとちゃんと
考えないといけないなと
考えさせられました。
昔に書いた記事ですが、
ある日の出会い (前編)
ある日の出会い (後編)
外で絵画を描いていて
そして興味をもってくれたゆういちくん。
その日から
ゆういちくんとは、
毎日会うたびに挨拶をしている。
ゆういちくんのご家族のみなさんとも。
上に書いたように
漠然と社会に対して
批判をするのは簡単だけれど
自分の身に置き換えて
考えてみると、
ああ、こういうところから
自分の日常から
変えて行かなければならないんだな
と感じます。
住み心地のよい世の中をつくる。
そして、子供が
大人が輝く姿をみて
かっこいいなー
とわくわく出来る
世の中。
今は理想ではあるが、
でもいつか
そういう世の中を
一歩づつ
つくっていきたいなと
思う。
最近、切実に
社会において増えているもの
それは、
うつ
と
自殺
だ。
この2つは
とても切実な
現代的な病だといえる。
ユピテルが鑑定の中で
思うことは、
うつも
自殺も
どちらとも
共通した基盤があるということだ。
それは未来が見えない
未来を自分の力で築けない
という基盤だ。
はっきりいって
これが極限まで来ると
とても恐ろしい状況になる。
「生きている意味がない」
と感じることは
「生きている人間」
にとって
これほどまで苦痛なことはない。
それが切実であれば
切実であるほど、
そうなのだ。
こればかりは
実際に自分がそのような状況に
なってみない限りは
本当に分からない部分で
あると思う。
「生きる意味」
は個々人によって
まったく違う。
ひとりひとりの
生きる意味があり
「生きる意味はこれだ」
なんて、ひとことではいえない。
けれど、大切なのは
「生きる意味そのものは
やはりあり、
そしてそれは
人間が生きるためには
とても大切なものである」
ということだ。
「生きる意味」
これは日常生活のなかで
そんなに表面だって
あらわれることはない。
あらわれるとすれば
それはかなり非日常的な状況
のなかで立ちあらわれるか
ある意味で自分が危機的な状況に
陥ったときに
ふっと現れてきたりする。
恋愛であったり、
仕事であったり。
経済的な問題であったり。
ユピテル自身は、
「生きる意味」
それは確かに
ひとりひとりに存在していると思っている。
しかしその
「生きる意味」
は
個人の表層意識というよりかは
かなり
深い魂のレベル
で記憶されているものだとおもう。
魂の深い奥の部分、
それは、これまでの人生の
経験の沈殿物が
地層になったものであるかもしれないし、
そして、
あるいは
いわゆる
前世の体験、魂の記憶
に基づいている。
現代に
うつと
自殺が多いのは
やはり
歴史的な変動期のなかで
この「生きる意味」
と向い合わなければならない
状況が
日常生活に
溢れはじめているからだと思う。
「生きる意味を問う」
ということは、
実は本質的には大変危険な行為でもある
とユピテルは思う。
なぜなら、
それは、
生きる意味を問うということは、
つまり自らの生活が
そこで劇的に変わる可能性を
常に秘めており
そして精神的に
新しい「生きる意味」を獲得する際には
必ず
人間は
生まれ変わらなければ
ならないからだ。
生まれ変わる
ということは
一度
精神的に
死んで
そして
生まれ変わる
ということだ。
(もちろんこれは肉体的に死ぬ
ということではない。
精神は象徴的な死のプロセスを
経ることで再生できるが、
肉体は死ぬと二度と
再生しない。)
鬱の苦しみ
自殺の苦しみ
そういったものを
支えあって行ける
人間関係というものは
ないだろうか。
生きる意味を
感じ
生きる喜びを
感じられる
世の中を
つくれないだろうか。
これは
現代の
切実な問題である。
そして
極めて日常的な
問題であると思う。
明日(正確には今日)から
旅に出かけます。
伊勢・熊野・高野山
といった
日本の霊場を
訪れる旅です。
そのため
このブログも
しばらく更新できないと思います。
1週間ほどの旅になりますが、
再開まで
しばらくおまち下さい。
3月のセッションのご予約は
20日以降になります。
どうぞよろしくお願いします。
伊勢・熊野・高野山と
1週間の旅を終えて
神戸に滞在しています。
道中
多くの神々・霊的存在に会い
また
多くの自然に触れ
パワーアップしてきました。
明日は12星座別週間プラネットセラピーを
掲載します。
どうぞよろしくお願いします。
こんにちは、
プラネットセラピスト
ユピテルジョージです。
今週の
12星座別週間プラネットセラピーを
お届け致します。
牡羊座
こころの中で
いろいろなことを
考えていくようです。
自分の本音
自分の感情の動きに
耳を澄ませてみましょう。
意外なヒントが
眠っていることでしょう。
牡牛座
多くの人とコミュニケーションを
とっていくなかで
新しい世界を
垣間見ることになるようです。
自分の行動範囲に
制限をつけず
色々な価値観を
多様に味わい
受け入れていってみましょう。
双子座
他者関係にも気を遣いながら
じっくり
しっかりと
自分の基盤をかためていく
ことになりそうです。
相手の感情に配慮した
コミュニケーションを意識しながら
自分の足場をしっかり
固めていきましょう。
蟹座
ことばの大切さを
感じることになりそうです。
思いを伝えるときに
どのように自分の言葉を使うのか
どのように
素直な気持ちを
相手に伝えていくのか。
そうしたことを考えさせられる
週になるようです。
獅子座
他者との対話
が大きなテーマに
なりそうです。
こころのふれあい
を大切にしながら
相手との関係性を
深めていく。
そうしたことを感じることの多い
週になるでしょう。
乙女座
今週は
じっくりと物事を
考えさせられる週になりそうです。
じりじりと進む様相なので
あせらず
一歩ずつ
じっくりと進んでいきましょう。
息抜きも
ときには大切です。
天秤座
じっくりと
進んでいく週に
なりそうです。
週の前半は
遅滞が生じやすいですが
後半にかけて
少しずつ足どりも
軽くなっていくでしょう。
蠍座
他者との
語り合いの中で
自分の進むべき方向性が
見えてくるでしょう。
他者とのかかわり
対話
を大切にしましょう。
射手座
ひらめきが
生じやすい
星回りです。
直感を大切にしましょう。
何かのビジョンが
あなたのなかで
パッと浮かんでくるようです。
山羊座
情熱は
大切です。
コミュニケーションのなかで
世界が広がっていくようです。
自分の言葉で
しっかりと思いを伝えましょう。
水瓶座
じっくりと
ものごとを
味わっていくような
感覚が強くなる
週のようです。
地道な経験の中から
色々なことを
感じられる
週になるようです。
魚座
他者関係のなかで
気づかされること
学ぶべきことが
多いようです。
コミュニケーションを
大切にしましょう。
コミュニケーションを通して
世界をじっくりと
広げていきましょう。
伊勢神宮の
神鶏です。
日本神話のかの有名な
天の岩戸開きの伝説。
アマテラスが
天岩戸から出てくるときに
鳴いたのが
神鶏
長鳴き鶏です。
アマテラスは
太陽神。
占星術の世界では
太陽は
「私はこうなりたい」
という自己実現の方向性を表します。
私のサイトの名前
雄鶏の羽根
というのも
この日本神話と関係しています。
悩みというのは
岩戸がくれしている
アマテラスのように
自らが世界を照らす太陽神であることを忘れ
暗い洞窟の中で深く
内省をしている状態。
悩みが晴れる時
アマテラスは
自分が太陽神であることを再び認識し
世界に
そして
心に太陽が再び昇ります。
私のお仕事というのは
この
長鳴き鶏のように
それぞれのひとの
こころのなかで
太陽が昇る
お手伝いをすること。
一緒に
朝日を登らせましょう。
太陽のように
優しくすべてを包み込むような
光を
見つけましょう。
コケコッコー
春ですねー。
春は英語でSpring。
Springって
いい言葉ですね。
Spring 春
a spring バネ
a spring 泉
春、バネ、泉
全部、springです。
たくさんの花が萌え出てきたり
縮こまったバネが
ビヨヨーンとはねたり
泉から
こんこんとわき水が出てきたり。
占星術でも
春の始まりを支配する星座
牡羊座の特性は
こうしたSpringを
感じさせる
星座です。
エネルギッシュで
情熱的で
思い込んだらまっしぐら。
日本語でも
春という言葉は
「張る」
という語源からきているようです。
日本語も英語も
意外と発想は同じですね。(笑)
春。
張り合いのある季節の
到来です。
春、感じてますか?
ビヨヨーン
求める答えが見えず
進むべき方向が見えず
そんなとき
ついつい答えを自分の外に求めようと
人はしてしまいます。
本の中
友人に話したり
偉い人の話を聞いたり。
でもあなたにとっての本当の真実は
あなただけしかもってないのです。
貴方の真実は
本の中にでもなく
偉い人の話の中にでもなく
友人のアドバイスの中にでもなく
自分の内側にあることがおおいのです。
一人一人は違う人間だから
一人一人に異なる真実がある。
ということは
貴方の真実は
貴方の中にあるということなのです。
![]()
昨日
初めてオラー写真を撮りに行ってきました。
知り合いの霊能者から
そして自分自身の直感から
私のオーラカラーは
オリーブグリーン(緑と黄色が混じった色)とは知っていたのですが
意外にも
赤が入っている。
どうしてかなー?と思い
聞いてみると
肉体的な疲労時には
赤が入るのですよーと
インストラクターの方に
教えてもらった。
なるほど、
この日は
朝から重い荷物を持って
歩き回っていたので
相当疲れていたんだな。
どうりで
今日の朝も起き上がれずダウンしていたのだ。
こんどは
疲労していないときに
行ってみよう♪
ちなみに
グリーンは調和、癒し
黄色は自己表現、知性
それらがまじったオリーブグリーンは
調和と元気と光を与えるということで
ヒーラーに向いている色だとか。
霊性の色は、紫なので
ヒーラー=紫だとおもっていたのですが
意外に緑系も
ヒーラーの色なんですね。
どちらかというと
紫は
ヒーラーというよりも
宗教者や芸術家の色なんですって。
緑や黄色のほうが
多くの人と関わることが好きなので
ヒーラーにむいているのだとか。
意外な発見もあって
初めてのオーラ写真は
いい経験でした。
![]()
水と木。
毎朝起きたら
太陽の光をたっぷりと浴びた
この水を飲むのが
私の習慣。
中に入っているのは
竹炭とクリスタル。
竹炭は、水の浄化能力に優れていて
クリスタルの波動はこころを
癒してくれる。
こうして
おいしくてやわらかい水ができあがる。
太陽の光を浴びた水を飲む
という習慣を知ったのは
高校時代に
料理研究家の
程 一彦さんの講演会をきいたとき。
彼は毎朝
こうして太陽の光を浴びた水を
飲んでいるんですって。
となりにあるのは
熊野本宮大社でいただいてきた
梛(なぎ)の木。
梛は
風が止む
凪に通じ
空間を
穏やかにしてくれる作用があります。
部屋に植物があるというのは
いいですよね。
![]()
幸せの緑の巾着が届きました。
セッションで活躍する
クリスタル達を
包んでくれる持ち運びようの巾着です。
緑は私のラッキカラー。
いわゆるラッキーカラーというのは
その方の魂の光の反映なんですね。
緑のテーマは
平和・調和・人間関係・癒し
仕事をするにあたって
この世はまだまだ光が足りないなと感じます。
意外と人は
孤独だし
一人で問題を抱え込んでしまうんですね。
そうしたときに
少しでも気持ちが楽になるように
サポートできたらと思うのです。
生命は全て繋がっています。
貴方はひとりではありません。
泣きたいときは
泣きましょう。
笑いたいときは
心からの笑顔で。
それだけでずいぶん
楽になるもんです。
それだけで意外と
ひととつながれるもんです。
地球上に
多くの光が降り注ぎますように。
優しくて
あったかい
光が
ひとびとの胸を
満たしますように。
多くの人々の
魂が
より色鮮やかに
より活き活きと
喜びと満足に溢れ
今日よりも
よい一日が
人々の胸に
舞い降りますように。
人々が
飢えることの無いように
おなかも
こころも
満たされ
お互いが助け合って行けますように。
光が
もっともっと
地上に
降り注ぎますように。
丁度このサイトが
オープンしてから
一年が経ちました。
これからもますます
よりよい
占い
プラネットセラピーを
届けられるように
貴方のもとに
光を届けられるように
ますます精進して参ります。
ともに
幸せの扉を
ひらいて行きましょう!
2012年をひとつのエポックにした
人類の大規模な意識変化
アセンションに向って
様々な現象が現在色々なところで現れています。
色々な人に会って
話をしていくなかで
わかってきたのは
大きな境目だったのは
昨年、07年の10月と
今年、08年の2月の大きな
二つの
時期だったようです。
この時期、
仕事や恋愛などで
大きな変化を感じた方も
多かったのではないでしょうか?
私も
この2月から
不思議な現象が起こり始めていて
日本の神様
アマテラスの声
を主に
様々な
天上の神様の声が
聞こえるようになってきました。
とっても
優しく
落ち着く
しかし
本質をついた
神様の声です。
その後、
その神様の声と対話して行く中で
色々な霊的事実が
わかってくるのですねー。
まず
この地球上には
いま
様々な
神々、
もう少し詳しく言うと
アセンデットマスターと呼ばれる
神々の集団が大勢で訪れていて
ひとりひとりの
自己実現
より善くいきる為のエネルギーを
求める人に
しっかりと
送っているという事実です。
最近、
セッションの際に
瞑想と祈りの時間を
最初に設けることに
しています。
そうすることで
そうした神々に
見守ってもらいながら
言葉のやり取りだけでは
補えない
こころのエネルギーの部分を
しっかりと
補給していただくように
しているのです。
こうした祈りのエネルギーというのは
目に見えない力ですからね
最初は
信じられないのですが
実は
ちゃんと存在している
神々から送られてくる
生命のエネルギー
魂の食物なんですね。
この神々の祝福のエネルギーが
送られている間
体や心が
あったかくなったり
焦る気持ちが
ふーーーっと
落ち着いてくる方が
大勢いらっしゃいます。
そして
先日
神々に
私の持っているクリスタルに
祝福のエネルギーを
送ってくださるように
お願いしたら
なんと
不思議なことに
それまで
あまり光の少なかったクリスタルに
みるみるうちに
光が届き
![]()
大変綺麗に
輝いて行くのですねー。
なんとも
不思議な現象ですが
こうしたことからも
私たち
人間というのは
肉体レベルで生きているだけではなく
こころをもち
霊的に生かされ
そして
神々に見守られている
という事実を
知ることができるのですね。
私たちヒーラーの仕事というのは
こうした天界からの
霊的な光のエネルギーを
おろして行くという
いわゆる
ライトワーカーとしての
仕事になります。
ひとりひとりが
自己実現を果たし
よりよい
豊かな社会を
築いて行ける
礎になるように
日々
修練の毎日です。
![]()
今日
6月6日で
ユピテルは24歳の
誕生日を迎えました。
自分で言うのも変ですが
昔から
やたら貫禄がある性格なので
いつも年齢を言うと
ええ、見えないと驚かれるのですが
着実に年をかさねています。
よく
名は体を表すということを
考えます。
先日榎本真弓さんというデザイナーさんに
お会いし
ポストカードをいただきました。
事前に名前を調べてくれて
漢字を使ったポストカードを
プレゼントしてくれたのです。
私がいただいたのは
本名の譲治の
譲。
むかしからこの名前に
育てられるようにして
生きてきてるんですよねー。
皆さんも
自分の名前に関して
そんな感覚ありませんか?
名前によって
育てられているという
感覚。
譲の字は
ゆずる
あたえる
give
という意味を持ちます。
今でも覚えています。
お風呂場で
母親に
どうして僕の名前は
こういう難しい漢字を書くの?
ときいたところ
譲る
というなんとも
こどもには難しい
概念を
教えられたのです。
それから
譲るってなんだー
ということを
無意識にも
色々と考えていたのですね。
最近になって
ようやく
わかってきた
譲るという概念は
つまりは
ただ単純に与えるということだけでなく
「分かち合う」
ということなんだということです。
電車の席で
お年寄りに
席を譲るのも
ただそれがモラルだから
単純に一方的に与える
という
ものではなく
代わりに健康な自分が立ち
自分よりも
立場が弱い人
いいかえれば
補いあえる関係の人と
ともに
その自分の持っている若さ
あるいは健康という特徴を
そして同時に
先に生きているものに対する尊敬と
自分達が豊かに生きる土台、先の時代を築いてくれた
先人達への感謝を
分かち合うこと
なんだと思うのです。
分かち合うと
何ができるか?
それは
関係です。
豊かに分かち合うと
豊かな関係が
うまれてくるのですね。
電車の中で
席を譲るということは
結構勇気がいるんですね。
これはどうしてかっていうと
関係が
できるから。
もし断られたらどうしようとか
逆に怒らせてしまうんじゃないだろうかとか
偽善者に見られるかもしれないとか
照れくさくなって
譲った後にその席から離れてみたり
関係って
結構重荷になるものなんです。
だって
そのひととの関係を引き受けることでしか
本質的には
譲ることってできないんですから。
これがただ
与えることと
譲ること
との大きな違いです。
譲ってのは
常に
関係性がともなうんですよね。
でも、
豊かに譲った時
こんなに
豊かな関係性が生まれる
行為もないんですよね。
そこには
思いやりの心や
立場を超えた理解
信頼
というものが
形成されて行くのです。
譲るという
とても
人間的な行為を
これからも
私の心の中で
豊かに育てて行きたいと
思います。
24歳の
所信表明でした。
![]()
6月6日の誕生日
多くの人に
祝っていただきました。
本当にありがとうございます。
色々な人からお祝いメールを頂き
そして
大学時代の大親友からは
大学時代のおおくの友人達を
思い出の大隈講堂前に
呼んでくれて
20人以上の友人に
祝われるというサプライズもありました。
こうして
私がこうして今あるのも
そして頑張っていられるのも
多くの人の支え
協力
見守りがあってからこそ
いまの自分があるんだなと
胸に
じーーんときました。
本当に色々な
お祝いの言葉をいただいて
こころがほっこり
しています。
特に
何人かの人に
いわれて
胸に残ったのは
24年前の今日
産まれてくれてありがとう。
という言葉。
産まれてくれてありがとう。
じーん。
いまここにいきている
生命を
全肯定する言葉。
じーん。
ときてしまいます。
ほんとうに
いい言葉ですね。
みなさんも
貴方の大切な人に
投げかけてあげてくださいね♪
いまここに生かされているということ
いまここに
生命をもって
色々な人とともに
生きているということ。
そのことを忘れずに
生命ある限り
輝いて行こうと思います。
本当に
ありがとうございます。
こころあったまる
プレゼントが
机に乗り切らないくらい
あります。
こんなに幸せな
誕生日は
はじめてです。
誕生日を迎えて
こんなに
沢山の人に支えられて
いきていたんだ
と
思うとともに
これからも
お互いに支えあい
助け合いながら
これからも
ともに
心の豊かさを
ともに
幸せを
分かち合っていきたいなと
思うのでした。
先日秋葉原で起きた
きわめて残酷な事件。
絶対に許されるものではないし
一生
そして
何代生まれ変わっても
彼の魂は
自分の犯してしまった行為によって
その地獄のような苦しみと罪を背負い
深い孤独の中のなかで
ずっと
生きて行くことになるでしょう。
今日の
凶悪犯罪の犯人像に
見え隠れするもの。
それは
愛情の飢饉
そしてその
叫び声です。
最近とみに増えている
一見、原因不明
理解不能の凶悪犯罪
そのおおもとの原因は
愛情の飢餓感に
あると思います。
そして
愛情の飢餓の
根本の原因は
他者とのコミュニケーション
そしてそれは
おおくの場合
育った
家庭でのコミュニケーションが
上手く機能していなかった
というところに原因があることがおおいです。
戦後の日本
特に高度経済成長以降の日本は
物質的な目に見える成功を
追うあまり
大切な
目に見えない
人間関係や
愛情といったものは
その華やかさの裏に
陰を潜めてしまいました。
家庭は
生きて行くのに必要な
健全な自己承認と
愛情の欲求を満たす上で
とても大切な場所です。
認めてほしい
誰かに愛されたい
その飢餓が彼を
あの残酷な事件に走らせて行ったのです。
犯人のあの凶悪な犯罪は
けっして許されません。
彼は一生苦しむことになると思います。
しかし一方でおおくの人が
あの事件に反応し
そして語り合っています。
あの事件は
ひとごとではない。
自分達の日常に
常にそうしたものは
潜在的に存在している。
そのような想いが
人々にあるからです。
日本を席巻している
愛情の飢餓感の問題。
この愛情の飢餓感から
脱する為に大切なのは
まずは
自分を愛し
他者を愛し
生きている喜びを
ともに分かち合うことです。
そして
立場を超えて
ともに認めあうことです。
同じひとつの社会に生きている以上
あの事件は
決して
他人事ではありません。
私たちは
同じ社会に生きる人間として
こうした
加害者を出さない為にも
被害者を出さない為にも
日々の中から
無関心を取り払い
隣人の顔色に気付き
優しい声をかけなければなりません。
ひとりひとりの
意識で
世の中は変わって行きます。
皆さんの隣に
困っている人がいたら
孤独に震えているひとがいたら
声をかけてあげてください。
そのひとつひとつの
優しさが
世の中を少しずつよくしていくのです。
秋葉原で犠牲になった
おおくの方々に
哀悼の意を捧げます。
二度とあのような
事件を起こしてはいけません。
原因は
この社会にうずまく
愛情と思いやりの欠如です。
私たちは
志半ばで
無惨にも命を奪われた
人々の分も
しっかりと
生きて行かなければならないのです。
しっかりと
世の中をよきものに
していかなければ
ならないのです。
支えあって
補いあって
生きて行きましょう。
ひとりひとりの
日常に
天からの光よ
一人一人の胸に
届くように。
人々が
自らの
内なる神性に気付き
そして
その神聖なる光よ
光の架け橋となり
光のネットワークとなり
おおくの闇を
照らし出すように。
一人一人の心の中に
ねむる
魂の光よ。
雄鶏の鳴き声とともに
この世の朝を
知らせたまえ。
夜明けは近い。
光よ届け。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが
ユピテルジョージの占い工房『雄鶏の羽根』
を全面リニューアルをしました。
より多くの方に
癒しの光を届けたいという想いから
セッション料金も以前よりも
親しみやすい価格に改訂しました。
また今回のリニューアルより
2回目の以降のお客様を対象に
電話セッションも
お受けいただくことができます。
新しいユピテルの占いを
多くの方に
より親しみやすく
沢山の人に喜んでもらえればと思います。
そうそう。
今回から12星座別週間占いも
独立した記事として
掲載し
とっても読みやすくなりました。
ワクワク感が
増します
新しくなった雄鶏の羽根
これからもどうぞよろしくお願いします!!
![]()
1週間前くらいに
友人にもらった
ハーブ栽培セットで種まきをしてから
早速ひょこひょこと
可愛い芽が出てきました。
ワイルドストロベリーという
ハーブで
無事に
実がなると恋が実るそうな。
丁度ハーブを育ててみたいと
思っていた矢先に
もらったプレゼントだったので
嬉しかったです。
ほんとうにごま粒のような種から
緑の綺麗な若芽がでてくる
その生命力に
感激。
種が流されないように
毎日霧吹きで水をやるのです。
たくさんの苗木から
ダントツに
ニョキッと
背を伸ばしていたのが
このひと。
アップルミントという
ハーブで
たまに
天気のいい日に葉っぱを頂戴して
フレッシュハーブティーにして
飲んでいます。
下の方の葉っぱが
ちいさいでしょう?
これは
摘み取った部分から
新しく若葉が生えてきているんです。
植物の成長
普段あまり意識しないだけに
こうやって暮らしの中で
身近に感じられると
なんかいい刺激をもらいますね。
河口龍夫氏の展示会を観に
栃木の宇都宮美術館まで行ってきました。
河口龍夫氏の展示会を見に行くのは
東京・神戸・名古屋に続き
これで4回目。
「見えないもの」「関係」
を追求する河口氏の作品は
ものごとの本質を矢じりのように突く
エネルギーに充ちています。
同じ作品でも
展示空間が違うと
また
作品が語るものも少しずつ
変わってきます。
作品と対話する中で
毎回新しい発見があります。
今回も充実した
対話となりました。
企画そのものも
さることながら
宇都宮美術館は
いままでいった美術館の中でも
とても
質の高い美術館でした。
建物もいいし
レストランも美味しいし
ミュージアムショップも
とても素敵。
友人に聞くと
宇都宮美術館で催される企画展は
いつもとても面白いとのこと。
美術展示だけでなく
レストラン
販売など
それぞれのセクターが
本当に充実していて
ああ、ここで働いている人は
お客さんの為に
本当に色々と考えているだなーと
思いました。
![]()
写真は
宇都宮美術館の屋外にある
野原。
![]()
フラワーエッセンスの勉強をしているので
こうした自然の緑に
目がいきます。
![]()
螺旋状に咲く、不思議な花。
アートと
ミュージアムレストランのランチと
自然。
最高に幸せな
気分になります。
引っ越しを無事に終えて
ほっと一息です。
以前よりも
より都心に近くなったので
これから
よりバリバリ
働いていくことでしょう♪
早速
自宅をいごこちのよい
空間にしようと
いろいろと工夫中。
お気に入りの部屋なので
仕事も勉強も
はかどるだろうな。
住む場所も変えて
心機一転
お客さんのために
身の回りの人のために
精進して参ります!
きゅー(変な鳴き声)
引っ越し後
ようやく自宅のネット環境も整い
自由にブログも書けるようになりました。
一安心。
忙しいのも相まって
なかなか更新できていませんでした。すいません。
いよいよ梅雨明しましたね。
もうじき、8月で
天気も夏本番といった感じです。
先日はヒマワリをかってきて
部屋に生けました。
今日も、元気に咲いています。
さて、今日も頑張りますか♪
引っ越しをして
丁度今日で1週間。
御陰様で
この引っ越し後の1週間は
お客さんのたえない日々が続いています。
きっかけは
ハッピーで自分らしい結婚へと導いてくれる
ハピ婚相談所の
大安ケイコさん
吉日ヒロコさんのブログで紹介していただいた
ことでした。
大安ケイコさんのブログでご紹介された記事はこちら
http://plaza.rakuten.co.jp/taiankeiko/diary/200807040000/
吉日ヒロコさんのブログでご紹介された記事はこちら
http://plaza.rakuten.co.jp/kitijituhiroko/diary/200807020000/
来られるお客様の
一人一人の方の
お話をじっくりときき
お話をしていると
こうして色々な方に喜んでもらえると
この仕事を続けてきてよかったな。
もっともっと
お客さんに豊かになってほしいな。
お客さんの幸せをサポートしたいな。
と思えてきます。
こうしたところから
じっくりと
この世界を住みやすい
安心感のある
豊かさにあふれるような
世界にしていきたいと
思います。
ひとりひとりが
幸せを感じられる
社会づくり。
身近なところから
着実に。
生きている意味を
味わいながら
豊かに生きれる社会を
着実に
つくっていきたいと思います。
本当に親身に
結婚に至るまでの親身なサポートをしてくれる
相談所なので
幸せな結婚をされたいと
心から願う人は
是非、ハピ婚相談所の門を
たたいてみてはいかがでしょうか。
ハピ婚相談所のサイトはこちら。
http://www.2525kekkon.com/
大安ケイコさん
吉日ヒロコさんが
幸せな恋愛、幸せな結婚をサポートする
ユニットで書いた本もあります。
幸せな恋愛、幸せな結婚を掴みたい!!
という貴方。是非読んでみてくださいね。
![]()
昨日家に帰ると
なにやら大きな箱が届いています。
なにかすっごくいい予感が
胸をよぎります。
![]()
おそるおそる
箱を開けてみると…
![]()
なんとも素敵な小箱が。
ロゴがキラーンとしています。素敵。
そしてその小箱を開けてみると…
…
![]()
!?
!?
あけたとたん
わーー!と声を上げてしまいました!
このお花、絵じゃないですよ。
全部ほんものの生きた花なんです。
実は数日前
昨日の記事でご紹介した
吉日ヒロコさんとお会いしていたのですが
その帰り際に
「色々とスピリチャルなお話を聞かせてくれて
とっても勉強になったから
是非お返しをしたい!」
「ユピテルさんは花が似合うので
お花をお贈りします!」
といってくださっていたのです。
こんなに
素敵なフラワーアレンジメントは初めてです。
その後、数時間
吉日さーんありがとう!と
感謝の気持ちを連呼していました。
吉日さん、素敵なプレゼントをありがとう!!
いまも目の前で
光を浴びて
きらきらと輝いています。
富士山の麓でのイベント
星の種祭りから帰ってきました。
いやぁ、大自然。
富士山。
キャンプ。テント。
牛、神社。
3日間、
とってもゆったりとした時間が
流れていました。
ヒーラーの方や
占い師の方
ミュージシャンの方など
多くの出会いもあって
本当に
収穫の多い
イベントでした。
![]()
![]()
![]()
以前このブログで紹介した
地球暦の作者、杉山開知さん。
開知さんの地球暦のワークショップは
本当に面白かったです。
非常にわかりやすく
どのように宇宙が生まれ
そしてどのように太陽系が生まれ
そして
私たちの地球がどのような惑星かを
大変分かりやすい語り口で
教えてくれました。
![]()
ワークショップの最初には
宇宙の話=難しい話という先入観を
とり払ってもらう為に
なんと太陽系の惑星を回る
100ほどの小惑星や衛生の名前を
素敵なメロディーに乗せて
歌いあげてくれました。
![]()
地球暦×13の月の暦とのコラボレーション暦
が出来上がったそうです。
色々な方とお話ししながら
また
富士山の雄大な自然とも
対話しながら
英気を養う
3日間でした。
3日が経ちます。
帰ってきて
色々することもあったので
ようやく今晩ほっと
一息です。
新幹線で
新大阪についたとき
丁度おなかが減っていたので
そば屋に入ったのですが
(当たり前だけど)
お店の人が
こってこての大阪弁で
あー、関西に帰ってきたなー
としみじみ思いました。
慣れ親しんだ
神戸の街も
少しずつ変わって行きます。
帰るたびに
街並みが変わるんだよなー。
こちらに帰ってきて思いますが
やっぱり関西と関東は
流れている時間や空気がぜんぜん違うし
物事の捉え方
感じ方も
関西でいるときと
関東でいるときと
変わってくるんですよね。
環境が人に与える影響というもの
とっても大きなものがあるんですね。
こんにちは、ユピテルです。
こういうお仕事をしていると
私たちの世界というのは
沢山の愛に充ちた
高次元の存在に見守られながら
存在しているのだなということを
日々色々なシンクロニシティーや
魂の大きな流れを感じるにつけて
分かってくる
あるいは分からされるようになります。
愛が満たされない
寂しい
悲しい。
でも、大丈夫。
沢山の愛に充ちた存在が
貴方を見守っています。
まんべんなく
ひとりひとりの存在を見守っています。
沢山の愛と
沢山の幸せと
沢山の喜びと
沢山の光が
貴方を包み込むことを
心から祈っています。
あなたは
ひとりではありません。
辛い時
悲しいときは
祈りましょう。
愛に充ちた存在は
貴方を見捨てることは
ありません。
どんなにつらくみえるときも
貴方を見守っています。
ここ数日で東京は
めっきり秋の空気に変わりました。
夏が終わったなー。という印象。
空気が変わると
自然にこころも
それにあわせるように変化して行きますね。
秋はちょっとセンチメンタルになりますね。
皆さんは今秋は
どんな秋にしたいですか。
訪れはじめた秋の空気とともに
のんびり歩んで行きましょう。
以前より
08年9月、10月は、
社会的にも変化の大きい月になるでしょうとの
メッセージを伝えてきましたが、
11月に入り、
エネルギー的には
ようやくひとつの山を越えました。
以下、11月の流れについて
高次の世界からうけとったメッセージをお伝えします。
是非参考にしてください。
11月は、エネルギーの流れ的には
12月の一斉の大きなエネルギー変化に向けての
準備期間となってきます。
9月10月とくらべると
いくぶん落ち着いた雰囲気になるでしょう。
世の中に対する悲観的なムードも少し和らぐでしょう。
時には休息も大切なのです。
08年12月は、この9月と同様に
大きな変容のエネルギーが流れてきます。
12月の変化は、主に来年以降のテーマとなってくる
「共同作業」「分かち合い」にむけての
もっとも重要な変容ポイントの
一つになってくるようです。
さて、この大きな変容の月である
12月を前にした
準備期間である
11月の大きなテーマとして挙げられること、
個々人の中で意識して行くといいことというのは、
世の中の急激な変化に流されることなく
自分自身の中に
自分自身の色彩、
自分らしい在り方、
自分らしさの軸をしっかりと見つめることが
大切
ということが挙げられます。
大切なことは、
必要以上に人と比べないこと、
旧来の価値観に固執しすぎないこと、
そして、
それぞれにそれぞれの
価値観があり
長所があり
短所があり
それらをふくめて
本当の姿が有ることを
受け入れて行くこと
です。
そしてそのために大切なことは、
まずは、
いまここにいきている
自分の姿を
しっかりとみつめ
そして
長所も短所も含めて
自分自身という存在を
しっかりと受け入れて行くこと。
私たち一人一人は
同じなようでいて
みんな違う個性をもった存在です。
活発でアクティブな人もいれば
穏やかで安心するオーラを持った人もいる。
ひとの話を聞くのが上手い人もいれば
物事を提案企画して行くことが得意な人もいる。
赤の人が、赤が正しいと言い張って
緑の人の批判をしても仕方が無い、
大切なことは、赤が赤であること
緑が緑であることを受容し
その上で、どのようにお互いを
認めあい、ささえあっていくか。
それは、緑の人にとっても
同じです。
それぞれに
それぞれの正しさがあり
何が正しいと行った
絶対的な価値観というものは
あるようでいて、ない。
だからこそ、それぞれが
それぞれの善意に基づいて
100%理解しあうことは難しいけれど
お互いの違いを認めあいながら
そして
自分自身の本当の姿を受け入れながら
自分らしくあるためには
どうすればいいのか、
そして同時に
他者とどうあるべきか、
ということを実感するような
月になるようです。
長く書きましたが、
11月は、
少し落ち着いてそれぞれが
それぞれの
ほんとうのありかたを
見つめ直すような
時期になってくるようです。
そうして、
自分と落ち着いて
向い合うことを通して
12月は
その結果として
様々な側面で物事が
急速に進展して行くような
ながれになってくるようです。
是非参考にしてくださいね。
参考記事
『09年10年に向けてターニングポイントとなる9月』
『見えない大学に』
『9月の到来 福田首相の辞任』
『秋分からの動向』
『年末までの流れ』
もっているものを
分かち合いましょう。
惜しみなく与え
惜しみなく受け取り
惜しみなく分かち合いましょう。
もっているもの、
といっても
ものに限りません。
あなたの長所
あなたの個性
あなたらしさを
分かち合うことも
大切です。
ときには
惜しみなく
受け取ることも大切です。
それは相手を
しっかりと受けとめる
ことだからです。
惜しみなく与えられた時
そのときは
しっかりと
感謝の気持ちを伝えましょう。
わたしたちは
互いに補いあう存在です。
それは私たちが
それぞれに個性を持ち
それぞれに
それぞれがないものを
お互いに持っているからなのです。
もっているものを
分かち合うとき
そこには相乗効果が生まれます。
分かち合いは
かけ算です。
分かち合いの中では
与えた方も
受け取った方も
両方ともが
豊かになるのです。
私たちが本気で
お互いを支えあう時
そこには
相乗効果が現れます。
そんな時代が
もう目の前にきているのです。
互いにお互いを尊重し
そして認めあい
そして愛や思い遣りを分かち合う。
分かち合いは
かけ算です。
お互いが
豊かにいきるための
かけ算なのです。
私の好きな曲のひとつに、
世界中を巡って
ひとりひとりを抱擁していく
インドの聖者
アンマ(ヒンドゥー語でお母さんという意味)
の歌う
「万人が」という歌があります。
すごくシンプルでいて
すごく胸を打つ詩とメロディーです。
初めてその歌を聞いたのは、
昨年の5月ですから
こころの奥で
もう1年半近く
ずっとリピートされ続けている歌です。
私は、辛くなった時、
目標を見失いそうになった時
この歌を思い出します。
とてもシンプルだけど
とても本質的なことを
歌っている歌だと思います。
============
『万人が』
万人が、怯えず眠れるよう
せめて一夜、怯えずに
万人が、飢えずに満ち足りて
せめて一日、満ち足りて
暴力のない日が、一日でも
傷つく人なく 平穏に
老いも若きも、貧しい人のため
一日だけでも、身をつくす
それが夢、わが祈り
愛 が答え、 愛 が道
============
参考記事
『夢の持てる社会をつくる』
大いなる光の存在よ。
沢山の愛と
沢山の光と
沢山の豊かさを
ひとりひとりの胸に与えてください。
貧しい人が
一日でも飢えずに
安心して暮らせるように
愛を注いでください。
私たちの
魂の絆を
思い出させてください。
私たちが生きる
この地上に
沢山の愛と光を
与えてください。
全ては愛であり
全ては光であることを
思い出させてください。
今日という一日が
平和でありますように。
今日という一日が
私たち
ひとりひとりの生命にとって
かけがえのない
一日となることを
沢山の愛と光をもって
見守っていてください。
愛と感謝を込めて。
私たちの想像力は
現実を構築する力をもっています。
私たちの思いは
皆
愛というエネルギーで響きあっています。
共同創造の扉を開きましょう。
共同創造の礎を築きましょう。
ひとりひとりが違うのは
それは
ひとりひとりの愛し方があり
ひとりひとりが皆
パズルのピースのように
お互いを認めあいながら
お互いを支えあいながら
お互いを愛し合いながら
存在する為の
ひとつのおおきな宇宙の仕掛けなのです。
私たちの想像力が
本当の意味で
時代を動かして行きます。
愛と情熱を持って
新しい時代を築いて行く
そんな時代の幕開けが
もう目の前に来ています。
おかげさまで、
先日の癒しフェスタは
沢山のお客様にお越しいただき
大盛況でした。
お越しいただいた方々におかれましては
お忙しい中遥々足をお運びいただき
誠にありがとうございました。
さて、このブログで書き忘れてしまったのですが(汗)
昨日は新月&旧暦の新年
という
ものごとを始めるのに
とてもいい日でした。
(終わってから書くなという感じですが。すいません。^^;)
新月のお願い事、
まだ書いていないという人は
是非過去のブログの記事を参考に
願い事を10個
書いてみてくださいね。
ほんとうに不思議なくらい
願い事が実現化して行きますよ。
最近の全体的な星の配置や
エネルギーの変化をみても
1月に入って
じっくりと
新しい方向性に向い始めているようです。
最近の私は、
昨年セッションを受けられた方との
再会のセッションが多いです。
みなさん、やっぱり
初めて受けられたときよりも
それぞれの当時のテーマをクリアしたり
すすめられたりしていて
その方の雰囲気もずっと変わっていたりするので、
それぞれの道を
いろいろありながらも
しっかりと歩んでいらっしゃるのだなぁと
実感し、
ちょっと感慨深く感じています。
御縁というものは
とても有り難いものだなと
つくづく実感します。
昨日は、春分。ここ数日は
だんだんと春の陽気が訪れてきています。
いよいよ
春が来ましたね。
春が来る、というだけでも
なんとも気持ちが
うきうきしますね。
新しいことも始めたくなる
時期です。
さて、西洋占星術でも
春分は、
12星座の始まりである
牡羊座の始まりに
太陽が入宮する日でもあります。
牡羊座は、
新しい物事への挑戦
情熱や直感に基づき
新しいビジョンを描き
それに基づき
新しいスタートを切る
というイメージがあります。
さて、今日は、
数ヶ月前から
天使界から受け取っていたメッセージを
お伝えします。
以下の大きな変化については
今年の年明けほどからメッセージを受けていたのですが、
天使界から
ようやくこちらのブログのほうでお伝えしてくださいとの
メッセージをようやくうけました。
さて、この来る5月は、
社会全体として(特に経済という側面で)
とても大きな変化の時期に
入ってくるようです。
天使界に
今回の5月の変化の特徴はどういったものですか?
と尋ねると、
「新しい時代に向っているという、『集合的な気付き』が訪れます。
『集合的な悟り』と言い換えてもいいかもしれません。」
というメッセージが返ってきました。
これまで昨年私がよくメッセージを受けていた
昨年9月の変化(リーマンショック)や、
12月(自動車産業の急速な低迷)の変化とは何が違うのですか
と尋ねると、
「それは、もう『後戻りができない』といった点で、
より具体的な構造変化が起きてきます。
特に日本の場合は、労働環境の構造的な大変化といった点で
より具体的にあらわれてくるでしょう。
そのため、もう慣れ親しんだ旧来の考え方や
旧来のやりかたを手放すことを余儀なくされ
新しい時代にむかって進み始めなければならないという考え方を
現実レベルで集合的にシェアする時期にはいってくるでしょう。」
というメッセージが返ってきました。
具体的なレベルでは、どのようなことが起きてくるのでしょうか?
と尋ねると、
「5月以降、ワークシェアリング(仕事の分かち合い)の議論がより
具体的なものとして議論され、そしていくつかの企業では実際に
実施されることとなるでしょう。それによって
日本人の労働にたいする考え方が、より新しい時代の新しいエネルギーの
ありかた(分かち合いの考え方を根本とするありかた)に
適応する形で、大規模な構造的変化を経験するでしょう。」
とのメッセージでした。
それに付随して、以下のようなメッセージが
届けられました。
「ワークシェアリングの実践を通して、
働き過ぎや、雇用の不安はより安定的な方向へと向って行きます。
一方で、それらが実践されるに従って、
ワークシェアリングよって生まれた
余暇の時間を使って、それぞれが自分自身のもつ
可能性により気付き、より人生を豊かなものにしていく為の
自己投資や、仕事とは別の(あるいは仕事として)自己実現の為の
ライフワークに取り組む人が増えてきます。」
「いま起きてきている大規模な変化の軸は
こうした意識の変化に基づくものとなっています。」
「私たちの本当の豊かさは、物質的なものに依拠するものではなく
より精神的で、目に見えない
関係性や、支えあい、分かち合いと行った
目に見えない豊かさと
繋がって行くことが大切になってくるのです。」
「私たちの『外』に、豊かさがあるのではなく、
私たちの『中』に、本当の豊かさがあるということを
知り、そして、経験する為の
ひとつの学びをいま集合的に経験しているのです。」
うーーむ、
深いですね。。
不況の時代だからこそ、
物質的なものだけにたよらずに
こころをより豊かにすることを
経験する。
そう考えると、
今日の不況も、
非常に大きな学びの機会といえますね。
愛の為に、愛をもって接してくれる
天使界に心より感謝を表して、
今後の活動も、
精力的に頑張って行きたいと思います。
天使さん、いつもありがとう。^^
いろいろな人からお話をききますが
先日の新月から、色々と新しいスタートが
さまざまな人の間で始まってきているようです。
やはり、どちらともスタートの意味合いが強い
新月+牡羊座の力は強いですね。
さて、そんな中
私にもとっても不思議な出来事が。
先日の新月後に
申し込みをいただいたお客様のうち
3名の方からそろって
【急に、ユピテルさんの顔が浮かんだので
申し込みをしました。】
とのメッセージが添えられていました。
これまでこうしたことはあまりなく、
この数日でこうしたメッセージが連続して寄せられたので
それはびっくり。どっきり。
きっと私たちは見えないところでも
御縁の力で繋がっているということなのでしょうね。
ありがたいことです。
昨年の12月16日にチャネリングしたメッセージ。
過去のブログを読み返していて
とても重要なメッセージだったのだなと、
改めて認識し、再度ここに掲載します。
『共同創造の礎を築く』
私たちの想像力は
現実を構築する力をもっています。
私たちの思いは
皆
愛というエネルギーで響きあっています。
共同創造の扉を開きましょう。
共同創造の礎を築きましょう。
ひとりひとりが違うのは
それは
ひとりひとりの愛し方があり
ひとりひとりが皆
パズルのピースのように
お互いを認めあいながら
お互いを支えあいながら
お互いを愛し合いながら
存在する為の
ひとつのおおきな宇宙の仕掛けなのです。
私たちの想像力が
本当の意味で
時代を動かして行きます。
愛と情熱を持って
新しい時代を築いて行く
そんな時代の幕開けが
もう目の前に来ています。
http://www.ondorinohane.com/blog/2008/12/post_367.php
日に日に温かくなり
時には夏さえ感じさせる季節になってきました。
私は夏がとても好きなのですが
だんだんと、
(少し気が早いですが)夏に向って
季節や様々な生命が動き始めているのを見ると
心が躍らずにはいられません。
さて、以前より今年は
『分かち合い』が大きなキーワードと
なってくるでしょうとの
メッセージをお伝えしていますが、
皆さんの周りはいかがでしょうか。
私自身はというと、
そして
4月に入ってから
御縁がつながるスピードも
増している気がしていますし
先日のワークショップ以降
また新しい情熱が
自分の内側に宿り始めているのを感じています。
私自身6月うまれですから
春から、夏に向けて、
この季節とっても好きなんですよね。
さて、最近思い描くビジョンというのが
個々が輝き、共にそれぞれのリズムが
ひとつになって響きあう
GROOVEというビジョンです。
GROOVEというのは
ジャズの用語なのですが、
個々の演奏がひとつひとつの個性を出して
輝いているのと同時に
全体として一つの大きなうねりや響きを
生み出している
そういう状態を
GROOVY!な状態
あるいは、GROOVEしている!
といわれています。
転じて、私はこのGROOVE感は
豊かな人間関係のためにも
必要なものだろうと思っています。
元気があると、元気が他の人にも
移って行く。
しかも、互いの個性を殺すこと無く
互いに愛し合い
認めあい
響きあいながら!
元気が無くても皆と一緒にいると
一緒にGROOVEしちゃって
元気になってしまう。
私自身、このGROOVEする感覚というのは
とっても大切だと思うのです。
さて、このGROOVEする
状態を作り出す為に大切なことは
なによりも
自分の人生を心から楽しみ
喜びの波動を出して行くことでしょう。
そうすれば
GROOVE!することが出来るはずです。
さぁ、一緒にGROOVEしませんか♪
縁あって、
私のブログを数多くのサイトの中から
見つけていただき
縁あって、
大切な友人から
私のセッションのことを
紹介されて、
縁あって、
私と会う機会があって、
縁あって、
ブログを読んでくださって、
縁あって、
更新が遅れがちな^^;
12星座占いを楽しみに待ってくださっていて、
縁あって、
勇気と大切なお金を出してくださって
セッションにきてくださって、
縁あって、
はるばる遠方より
大切な休みをさいていただいて、、、
今日はなんだか
そうしたさまざまな御縁に、
しみじみと
ありがたいなぁ、、、
と感じました。
今、私自身は
6月6日の誕生日を前にして
これまでのきた道を振り返りながら
本当に自分が大切にしたいこと
本当に自分がやりたいこととは
何なのだろうと
考え直しています。
占星術師として
独立して2年がたとうとしており
今一度
自分の立ち位置を
確認しています。
そして今も昔も
変わらず
自分が情熱を注いでやっていきたいこととは
縁あった人の
そして周りの人の
自己実現の
サポートをしていきたいということです。
その人が持っている可能性を
引き出していきたい
そして
その人の手で
幸せをつかむための
サポートをしたい。
いま、こうして
多くのお客様に
恵まれて
そうした立ち位置に
以前よりもより
現実的に
いることに
お客様に
友人に
そして
家族に
そして
天上で
私たちのひとりひとりの成長を
みまもっている大いなる愛と光の存在に
心より感謝しています。
ありがとう。
愛してるよ!!
元気ですかー!
元気があればなんでもできる!
今週は、仙台でのイベント
そして、土曜日のワークショップの準備と
多忙を極めていました。
そして今日は
皆既日蝕!
皆さん、御覧になることはできましたか?
東京では雲の隙間から
太陽が欠けて行く姿が
時々見ることができました。
そして、なにより
仙台でのイベント!
いやーー、楽しかった!!
仙台という街に
心からほれてしまいました。
というのも、
イベントを通じて出会った人がとっても温かいこと
そして
自然があり、
そして夏なのに東京に比べて
涼しくて過ごしやすい気候。
イベントも熱く語ってきましたよ。
いろいろさらけ出して
語ったつもりです。
仙台で出来た貴重な御縁を
これからも大切に育てて行きたいと
思います。
FAITHの皆さんこれからもよろしくお願いします!
そしてイベントに来てくださった皆様
本当にありがとうございました!!
さて、今週の土曜日は
占星術ワークショップです。
こちらもまだお席がございますので
是非ご応募お待ちしております!
(ご応募は前日までOKです!)
それでは最後に!!
1・2・3
……ダーーー!!
夏ですね。
夏って言う季節好きなんですよね。
先日の仙台のイベントあたりから
生まれ変わったかも。
楽しみながら仕事をするという
スタンス
追求して行こうと思います。
わっしょい〜
7月8月と
自分の仕事のフェーズが
いろいろと新しい方向に向かい始めていることを
感じています。
これまでとは違った視点から
自分の仕事を
見つめ直して
より広い視野から
よりよいサービスを提供できるように
最近いろいろ考えています。
今後のキーワードの
ひとつが
「より多くの人に」
定期的に開催している
ワークショップや
先日初めて100人規模の前で話させて
いただいた仙台での
トークセッションなど
よりおおくの人に
元気になるメッセージをお伝えする
1:多の仕事も精力的にやっていきたいなと
思っています。
豊かな関係性の
輪が広がっていくといいな。
そんなこんなで、
私は今日も元気にやってます。
今後も色々やっていくので
皆さん是非、遊びにきてねー!
先日、東京国立近代美術館で開催されている
河口龍夫展 言葉・時間・生命に行ってきました。
河口龍夫氏は、60年代から現在に至るまで
「見えないものと見えるもの」「関係性」
「時間」や「生命」といったテーマをもとに
現代芸術の最前線を走り続けている作家です。
今回の展示会は、
時間・言葉・生命という3部構成になっていて
まず会場に入るや否や
《Dark Box》と呼ばれる作品が
私たちを出迎えてくれます。
![]()
この《Dark Box》という作品は
わたしたちが手に触れることも見ることもできない
「闇」という存在を
丈夫な鉄の箱で
封じ込めたもの。
毎年、光一つない
暗闇の時間を狙って
この丈夫な鉄の箱のなかに
そこに存在する「闇」を
封印するという作品。
鉄の箱に封じ込められた
さまざまな時代の数々の「闇」が
私たちを出迎えます。
(今年の2009年の「闇」は
この開期が始まる展示初日の夜に
封印されたそうです。)
ところで、この鉄の箱を開くと
当たり前ですが、その封じ込めた「闇」は
消えてなくなってしまいます。
封じ込められた闇は
こうし封じ込められているからこそ
わたしたちのこころや思いの中で
豊かにあらわれ
私たちの想像力を喚起させるのです。
こうした河口氏の象徴的な作品群は
私たちにいろいろな想像力を喚起させる力があります。
河口龍夫氏の作品群の力強さは
実際には、何十年前にも作られているものでも
私たちの目の前に現れた時に
そこに古さを感じず、
常に新鮮で新しく
そうした意味では作品自身が生命力を帯び
呼吸し
「今」に生きているというところに挙げられます。
作家の手を離れて
自ら呼吸し
自立した世界観を保つからこそ
常に
今に生きている
のだと思います。
そういった意味では
作家のエゴを離れた
非常に象徴的で、普遍的な力を帯びたものであり
しかし同時に《Dark Box》がそうであるように
どの作品も、
決してその入口が決して難解ではない
むしろだれにとっても開かれた「入口」が
そこに用意されている作品だということ。
来る人すべてに
精神の冒険の扉という
もう一つの世界(目に見えないものでなりたつ世界)へのいざない
を与えるものであるということ。
私たちが毎日の生活の中で
非常に大きな影響を受けているにもかかわらず
日常の中で気付かずに通り過ぎるような
しかしとても本質的な
「みえないもの」の存在に気付かせてくれる作品群が
「今」に息づきながら
来る人に
日々の生活から離れて
悠久の時間へと旅立つ
精神の冒険へと
いざなってくれるのです。
(次回に、続く。)
「河口龍夫展 言葉・時間・生命」
【会場】
東京国立近代美術館[北の丸公園・竹橋]
The National Museum of Modern Art, Tokyo.
〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1
TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
■東京メトロ東西線竹橋駅1b出口より徒歩3分
【会期】
2009年10月14日(水)~12月13日(日)
休館日:月曜日、ただし11月23日(月・祝)は開館し24日(火)は休館
開館時間:午前10時~午後5時(金曜日は~午後8時)入館は4時30分まで
【入場料】
850円(600円) 大学生:450円(250円)
()内は20名以上の団体料金
無料観覧日:11月3日(火・文化の日)、11月12日(木・天皇陛下御在位20年慶祝行事)
詳細はこちらより
先日ご紹介した
現在、国立近代美術館で開催されている
河口龍夫展。
今回の展示は、
言葉・時間・生命の3部構成になっています。
今回の展示で特に圧巻だったのが
最後の「生命」のパート。
「生命」をテーマに展示された作品群は
その作品が互いに見えない力で響き合いながら
「見る」もの、あるいは
見ることで「関わる」ものを
待っています。
その展示空間には
私たちが「生命」とよんでいる
「何ものか」への強靭な想像力が
ひとつの磁場として存在していました。
私たちは
この3部構成の展示会に足を踏み入れるや否や
なにか非常に胸に訴えかけるものを感じるのは
もしかすると(ここからは私の主観です。)
第1部の「言葉」のパートで
(逆説的ですが)
私たちは「あたりまえの言葉」をはぎ取られ
第2部の「時間」のパートで
私たちは「あたりまえの時間」をはぎ取られ
「言葉」と「時間」という「2重のあたりまえ」を
はぎ取られた「生身の体」で
「生命」という
その会場に充ちた
ひとつの磁場に近づくからかもしれません。
そうして
私たちは「生命」という無限に続く
ある種の営みへの
「精神の冒険」に投げ出されます。
言葉と時間のあたりまえをはぎ取った
その水平で出会う
作品群は
悠久の時間のなかに存在する
未だ言葉にならない対象
(あるいはそれを生命とよぶのかもしれませんが)
として現れます。
第3部の生命のパートの会場に入って
しばらくして「自然に涙がでてきた」のは
そういうことなのだろうかなと
感じる。
しかし、こうした作品への考え方や見方も
ひとつの精神の冒険へと誘う
河口氏の作品との関係性から生まれてきた
私なりのひとつの物語なのでしょう。
河口氏の高度に象徴化された作品群は
見る人の心に「何か」を強く訴えかけます。
そして、その「何か」をひも解くのは
私たちひとりひとりの
「感性」であり「価値観」。
展示された作品群を通じて
鏡のように照らし出された
私たちの「感性」や「価値観」は
象徴としての強度のある作品群と対峙させられ
私たちの意識に上っていきます。
あなたがこの象徴群を通じて
何を感じるかをひも解くことは、
きっとあなたがが深い部分で
あなた自身に対して
そして世界に対して
どのように関係するのかを
ということを問う
ひとつのイマジネーションの旅でもあると
いえるかもしれません。
河口龍夫展の会期は12月13日(日)まで。
ちなみに明日文化の日は、無料観覧日です。
是非、足を運んでみてくださいね。
「河口龍夫展 言葉・時間・生命」
【会場】
東京国立近代美術館[北の丸公園・竹橋]
The National Museum of Modern Art, Tokyo.
〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1
TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
■東京メトロ東西線竹橋駅1b出口より徒歩3分
【会期】
2009年10月14日(水)~12月13日(日)
休館日:月曜日、ただし11月23日(月・祝)は開館し24日(火)は休館
開館時間:午前10時~午後5時(金曜日は~午後8時)入館は4時30分まで
【入場料】
850円(600円) 大学生:450円(250円)
()内は20名以上の団体料金
無料観覧日:11月3日(火・文化の日)、11月12日(木・天皇陛下御在位20年慶祝行事)
詳細はこちらから。
本日、2009年のお仕事の仕事納めでした。
今年も大変お世話になりました。
今年は、ブログをご覧いただいていたという方から
個人セッションやワークうショップで初めてお会いした際に
ブログのご感想をいただくことが多く
そのたびにまだ
お会いしたことのない方との出会いが
このブログを通じてあるということに
そしてここで表現することを通じて
つながりあえるということに
言葉というもののもつ
力を
ひしひしと感じることが多かったです。
書くこととはなんだろう
伝えることとはなんだろう
ということが大きなテーマにもなりました。
来年は、書くこと
伝えることを
さらに自分の大切なテーマにしていきたいと
思っています。
さて、明日
実家の神戸に帰省します。
今回も
関西方面にお住まいで
ご希望の方には
主にJR三宮駅近辺の
喫茶店にて
個人セッションさせていただく予定です。
2009年12月29日から
2010年1月6日まで神戸に滞在しておりますので
関西方面で個人セッションをご希望の方はご予約フォームより
ご連絡いただければ幸いです。
そして
来年の東京での仕事始めは
1月7日(木)です!
そして年明け
1月16日(土)には
占星術ワークショップもございます!
こちらは2010年の一年の運気と
自分の本質を見ることのできる内容となっているので
是非ふるってご参加くださいませ!
あけましておめでとうございます!
2010年も
皆さんにとって素敵な一年となりますように!!
私もさらに高みを目指して
精一杯頑張っていきたいと思います。
さて、来る1月16日は
2010年の運勢と自分の本質を
占星術で見つめる占星術ワークショップを開催します!
こちらのほうもまだお席に余裕がございますので
どうぞ奮ってご参加ください!
そして、今日1月1日は
なんと満月
そして部分月食!でもあります。
例によって
満月の手放しのワークをやってみましょう。
手放したいこと
解放したいことを10個
紙に書くことで
月の力がそれを手放すことを
容易にしてくれます。
そして
今日の午前3時51分から
終りは4時53分まで
ほんのちょこっとだけ欠ける
部分月食があったのちに
2010年の初日の出です。
なんだか2010年も
素晴らしい一年になりそうですね。
どうも、ユピテルです!
満月の昨日から新しい試みを
始めました。
お気付きの方もいらっしゃると思うのですが
昨日は3件、そして今日は8件と
ブログの記事を一日複数
書いてみました。
実は最近iPhoneを使い始めて
場所の制限に縛られずに
自分の思いやコラムを書けるように
なったので
以前よりもさらに自由に
ブログをかける様になったという背景があります。
いつも読んでいるブログが
更新されていると嬉しいですよね。
私も他にたくさんのブログを
読んでいることもあり
更新されている!という嬉しさを
他の方の記事を読んでいても
よく感じる訳です。
そして満月の一昨日
そうだiPhoneを上手に使えば
もっと自由に表現ができるぞ!
と思いたち
ちょっと嬉しくなって
いつもより饒舌に(笑)
たくさんの記事を投稿しました。
しかし場所に縛られずに
文章をかけるということは
実に素晴らしいことです。
これからも
さらに愛を込めて
ブログを執筆してまいります。
また週刊占いの方も
先々週から
いつもよりも文量を多めに
書き始めました。
不思議なことに
文章量を増やすだけでも
かなり伝わるものが違ってきますね。
ますます面白い
そして心があったかくなる
メッセージを愛と情熱を込めて
書いて行こうと思います
いよいよ明日は4月最終日。
みなさんにとっても素敵な一日になりますように。
愛と感謝を込めて。
4月が終わり
いよいよ5月になりました!
GWは皆さんはいかがお過ごしですか?
この5月末から6月は木星と天王星が
一挙に12星座の最後のサインである魚座から
12星座の始まりのサインである牡羊座に向かって
移動します。
長期的なスパンでみた時にもこの5月末から6月っていかにも
新しいスタートって感じなんですよね。
また占星術的にみてもいよいよ8月のカーディナルクライマックスという非常に特殊な星の配置を前にして
この5月はとてもそうした大きな変化の潮流の前触れをびしばし感じる月になると思います。
皆さんの身の回りでも
だんだんと環境の変化のスピードも増してくるのではないでしょうか。
さて私はといえば
GWも個人セッションは休まず営業しております!
そして5月16日(日)には大好評の恋愛ワークショップも開催します!
4月の慌しさもひと段落し
個人セッションで今年下半期の運勢を確認したり
またワークショップでは夏からの出会いにむけて準備したりしてみませんか。
是非皆さんとお会いできる機会がありますこと楽しみにいたしております!
そしてこのブログでも5月病を吹っ飛ばす勢いで
気合を入れて発信して行きたいと思います! ハァッ!(気合
さぁ、5月もバリバリいきますよ♩
いやはや、素晴らしいGW日和ですね!
皆さんの好きな季節は何ですか?
私は6月夏生まれなので、
この春から夏にかけての時期が
とっても好きなんです。
毎年5月くらいから、
気持ちが上がってくるのです。
冬の間は色々と勉強したり
夏にむけて準備をしたりと
どちらかというと過去のサイクルを振り返って
新しいスタートにむけて準備をしていくという意識が強いのですが、
5月くらいからそうした準備を終えて
いよいよ行動や実行といった
側面が出てくる
毎年そういうサイクルを感じます。
これまで深く色々考えてきたものも
これから具体的な形で
皆さんにお届けしていければと思っています。
今年の夏も沢山面白いことが出来そうです。
この夏は
色々と面白いことを仕掛けていきますので
是非ご期待ください!
占星術師として出発して
書きためてきたこれまでのブログを
テーマごとにカテゴリー分けをしました。
これまで時系列で掲載されていた記事ですが
今回テーマごとに見ることが出来るので
悩んだ時に「迷った時は」というカテゴリーを
恋愛について考えたい時には「恋愛・パートナーシップ」を
自分らしさについて考えたい時には「自分らしさ」を
クリックしてみてください。
これまでのブログで様々に語ってきた内容を
まとめて読むことができます。
新しいユピテルブログの
楽しみ方です。
以前スピリチャルとサイキックの違いについて
このブログで私の考え方を述べましたが
今日はその続きで
サイキックな感性と
客観的な理性とを共存させることの
難しさについて。
自分自身のことを受け入れる意味でも
私自身の主観的な感性である
サイキックな感性を受け入れるということは
占い師として活動し始めて1年ほどして
ようやくその感性を認識し
受け入れることが出来たのですが
最近はその一種の反動として
そうした自分自身のサイキックに対して
果たしてどのようにそれを改めて
客観的に理性的に
受け止めるのかという課題と
向かい合っています。
以前はこうした自分のサイキックを受け入れる手段として
ヘレナ=ブラヴァツキーや
ルドルフ=シュタイナー
アリス=ベイリーなどによって知られる
神智学の枠組みを使っていたのですが
しかしそれに対しても
最近はすこし距離をおくようになり
改めてそうしたサイキックについて
客観的に受け止めるためには
いったいどの様にすればいいのだろうと
改めて考え込んでいます。
しかしこうしたことは
なかなかすぐに答えが出るわけでもなく
あくまでその二つを無理に
統合させようとするのではなく
その両方の姿勢を
自分の心の内側で平行的に両立させることも
大切かもなと感じています。
サイキックと客観的な理性とは
無理に統合させようとしてしまうと
すぐにいわゆる擬似科学に
陥ってしまいます。
あくまでそうしたものと距離を置きつつも
自分自身と向かい合う。
なかなか答えの出ない課題ですが
今後の大切なテーマでもあります。
セラピストであれ
占星術師であれ
本当のところは
人を癒すということは不可能です。
と云うのも
本当に自分自身のことを癒せるのは
自分自身なんですね。
癒す
という言葉自体に
実は大きな誤謬があるのです。
もともと
癒すという動詞は存在せず
語源的にいうと
癒える
という言葉が正しいのです。
例えば指を怪我したとしましょう。
ばんそうこうを貼って
果たしてその傷は
ばんそうこうが癒すのでしょうか?
否、あくまでその傷は
その人自身に自然に備わった
自己治癒の力を通じて
癒えて行くのです。
決してばんそうこうが
癒すわけではないのです。
これは
人のこころも一緒。
本当の意味では
癒すという人為的な行為は
存在しません。
本当はこころも
時間をかけて自然に
癒えて行くのです。
だから
自分の心の内側の
暗い部分
苦手なことを
なんとしても癒さなきゃ
なんて思わなくてもいいのだと思います。
時間をかけて
癒えることを
待つ。
そんなゆとりも
とても大切だと思うのです。
先ほどの記事の続き。
私が10才の頃
経験した阪神大震災。
あの頃におった一種の精神的緊張
あるいは衝撃も
よくよく考えてみると
結局のところそれからの
15年もの時間が
それを癒してくれました。
いや、正確に云うと
15年の時間をかけて
癒えて行ったのだなと。
その間、あまりその傷を
意識的に癒そうとはしてきませんでした。
また他のひとも
無理にそれを
癒そうともしませんでした。
でもそれでよかったというか
逆にいうとそうする他
なかったんだなと思います。
確かに
何かにすがりたくなる
何か特効薬を求める
そうしたことも
あったとは思います。
私の場合その一つの逃げ場が
占いや精神世界の書籍を読むことであったり
自分を超えた宇宙というものに
空想にふけることであったり
あるいは
人のためにと思って始めた
ボランティアだったり募金だったり
したわけです。
でも結局のところ
本当の意味での癒しの主体は
時間の経過でした。
それでいいのかなとも思います。
人間のこころというのは
簡単にわかるものではありません。
本当の癒しはきっと
そうした長い年月を通じて
もがき苦しむことも経ながら
ようやく行われるものだとも
思います。
なんとしてでも
癒さなきゃ
なんてあまり
深刻に考えすぎることもないかなとも
おもうのです。

先日のジェフリーコーネリアス博士マギーハイド女史の
特別来日講座を受講し、最先端の占星術研究の今を知ることができ、
またNOT FOR SALEのシュガーやジュノー、ホシ君との勉強会などでも
同年代の占い師に大いに刺激され
おお、なんか僕もちゃんと勉強しなきゃなと思い立ち
改めてこのGWはいままで永らくサボってきた
思索的で哲学的な本を
改めて読み始めました。
ちゃんとこうした学術的な書籍を
目的意識を持って読むのは
学生時代以来かもしれません。
同年代の占星術家と話しても
占星術以外のことも
みんなしっかり勉強している!
僕も改めてちゃんと
占いや自己啓発の本ばっか読んでないで^^;
勉強しなきゃなとおもう次第です。
さて、
ちなみに今日買った本はW.ジェイムズ「宗教的経験の諸相」
宗教家の神秘的経験を含む宗教的経験を
数多く事例に挙げながら
宗教とはなにか?という問に対して
心理学の枠組みを通じて分析した
19世紀末から20世紀初頭に書かれた
宗教心理学の重要文献。
久々にcafeでゆっくりと
読書しているのですが
いやはやこういうGWの過ごし方も
なかなかいいですね。
昨年から今年の目標は
言葉を通じて
言葉とともに仕事をする
ブログの更新頻度をあげたり
面白い文章をかけるようになるという
ことを目指して頑張ってきた訳ですが
確実にこの領域で
最近は進展を感じています。
いつでも情報を発信できる
iPhoneやモバイルパソコン
などを使いこなせるようになって
すごく仕事の自由度が
増してきました。
今年もいよいよ
あと少しで後半戦です。
今年の後半も
たくさんの面白いことを
仕掛けて行きますよ。
西洋占星術は
天空に広がる宇宙を
ひとつの鏡にして
自分の内面に広がる
こころというもうひとつの宇宙を映し出す
実に面白い営み。
西洋占星術という文化そのものも
実に魅力的なものなのですが、
しかし最近はこうした世界観を生み出した
大元である
「人間の想像力」というものに
興味を抱いています。
天空というものを
地上の現象を映し出す鏡として捉え
占星術という豊かな象徴的な世界観を
生み出したのは
「人間の想像力」。
想像力とは
目の前にないことを
こころの中で思い描くこと。
西洋占星術がその長い歴史の中で
何千年も時代を超えて生き延びてきたのは
きっと宇宙や世界の仕組みそのものが
常に謎に満ちていて
そしてこの謎が
この人類の想像力を
掻き立てたからではないかと思うのです。
これはなにも占星術に限ったことではなく
人類は想像力なくして
言葉を使うことはできませんし
そもそもコミュニケーション自体も
成り立たないわけです。
私たちにとってあまりにも
当たり前すぎてその存在に気づきにくい
想像力という力。
そうした人間にそなわった想像力という力を
改めて認識し
一体想像力って何だろう?
想像するって一体どういうことなんだろう?
と問うことも最近の思考する
テーマのひとつです。
個人的なお話ですが
昨年からコツコツとこのサイトで
より面白いものを提供できるようにと
iPhoneやネットブック、モバイルネット機器など
いつでもどこでも面白いことを発信できるような
さまざまな情報機器を揃えていました。
それまで全然、最新の情報機器には疎かったのですが
約半年の間に実にいろいろな道具を
使うように変わりました。
それまでほとんど紙と鉛筆で仕事してたのにね。^^;
ちょうど、今週末の28日は
情報機器を表す天王星が
新しくものごとをはじめる牡羊座に入ってくるという
いかにもなタイミングで
色々と情報発信のための仕事道具が
ほぼそろいました。
こうしていくなかですごく最近よく考えるのが
メディアときいてふつう考える
情報インフラとしてのメディアだけでなく
「メディアとしての人」というテーマ。
メディアに関する理論で知られる
マクルーハンの主張でもそうですが
メディアってしばしば情報伝達のためのインフラと
思われがちですが
マクルーハンの主張になぞらえていうなれば
メディアって身体の延長線上
という側面もとても強いと思うのです。
キーボードは、ペンで紙に文字を書く手の延長線上に
カメラは目の延長線上に
ヘッドフォンは耳の延長線上に
といったように。
みなさんもこのブログを読んでいらっしゃるわけですが
それもいうなれば私が
手で書いたものの延長線上を
みなさんの目の延長線上としてのディスプレイをみながら
読んでいるわけです。
なんでこんな話をしているのかというと
それはやはり
天王星の牡羊座移行がもたらす
新しい流れの重要なポイントのひとつは
実はこうした部分にあるのではないかと
思っているわけです。
天王星がちょうど魚座から牡羊座に移行する
5月28日にiPadが発売されるわけですが
iPadはみなさんもご存じの通り
タッチパネル式のタブレットPC。
私たちがいま使っているパソコンとは全く違う
非常に人間の身体性やアフォーダンスを
よく考えられて作られているものです。
パソコンに疎いひとにとっても
直感的に操作できる
というのがiPadのなによりの強みだと思うのです。
これはいうなれば
インフラとしてのメディアの在り方をかえるだけでなく
メディアとしての人の在り方を
変えていくのではないかと思うのです。
私たちは
聴覚の延長線上としての携帯電話を操作し
また視覚の延長線上としての
You tubeを見たりするわけですが
インフラとしてのメディアの在り方が変わることによって
「メディアとしての人」の在り方も
これからどんどん変わっていくのだと思うのですよね。
メディアを表す天王星が
始まりの星座、
牡羊座に入ってくるということは
私たちのメディアに対する考え方も
これからどんどん変容を迎えて行くのだと思うのです。
たとえば、
カメラが銀塩カメラからデジタルカメラにかわって
記録としてのカメラというメディア特性から
写メールに代表されるように
コミュニケーションツールとしてのカメラという位置づけにかわったり、
またこれからの流れで言うと
グーテンベルクの活版印刷以降続いてきた
書籍というメディアの特性も
今後それ以上に
私たちの知の在り方を変えていくものだと
思うのです。
そうした意味でも
メディアとは何か?
そして今日的なメディアの在り方を
あらためて考えてみるということも
天王星が牡羊座に移行するいまだからこそ
とても大切なテーマではないかと思うのです。
成長というのは
もともとコントロールできないものだと思います。
成長しようと思っても
できるものでもない。
もちろん仕事などでは
数値目標に対する
成果という形で
それを「評価」することはできます。
たとえば
今週はこれだけ頑張ったとか
これだけ達成したという形で。
しかし
本来の人間的な成長とそれとは
あまり関係ありません。
仕事で評価されることが成長?
自分が望む成功を手に入れることが成長?
どうなんでしょう。
私が最近思うのは
成長って
自分がこうおもったから
こうするとか
自分がこうしたいから
こうなるみたいな
単純なものではないとおもうのですよね。
いや、あるいはそれは
すごく単純なのかもしれない。
成長は時間の流れの中で
誰の意思によってでもなく
じっくりと変化が起きていくということ。
ひとはそうした成長を
なんとかコントロールしようと
教育制度を考えたり
さまざまな助言や名言を
作り出したりするわけですが
本当のところ
成長に必要なもの
それは時がたつのを
「待つ」
ということなのではないかと思うのです。
人間的な成長っていうなれば
髪が伸びていくのと同じくらい
コントロールできるものではないと思うのです。
明日こういう髪形にしたいから
明日までに、3cm髪を伸ばすぞ!
なんてできないわけです。
こういう髪形にしたいと思ったら
やっぱりある程度髪がそこまで成長するには
それなりに何カ月か半年か
待つわけです。
人間の心もそれと一緒で
本来は成長は
時間をかけてなされるもの。
こうなりたいとおもったから
すぐにそうなれるのかというと
そうではなくてそれ相応の時間の経過というものが
存在するのです。
何かをやったから
急激に変わるなんていう
人工的な変化は
(たとえば、成功本を読んでそのとおりにやったら
成果が出た!だからこの成功本はすごい!とか)
本来の意味での成長とはいえないのです。
将来の自分像に対して
さまざまな理想や目標が
投じられることはあれど
しかしながら
私たちが生き物である以上
そうした時の流れをコントロールしようとするよりも
そうした成長をあせらずに
待つ
ということも
とても大切なのではないかと思うのです。
成長しなきゃ!変わらなきゃ!
いまの自分のままではだめだ!
なんておもわなくても
時がたつに従って
自然に私たちは
成長していっているのです。
最近よく考えること
それはヒーラーとは一体何だろうか?
ということ。
スピリチャルブームも相まって
5年前よりも多くのヒーラーやセラピストが
かなり増えてきたと思います。
そして
その一人が自分自身でもあるわけで
いったいセラピストやヒーラーって
一体なんだろうか?というのが
今年に入ってからしばしばよく考えるテーマです。
ヒーラーとしての私が
もっとも大切にしているテーマは
自分自身を愛すること。
ヒーラーがヒーラーであるゆえんというか
ヒーラーの仕事にとってとても大切なことは
たぶん、この一言であらわされることを
仕事を通じて
人生を通じて
どのように表現するのかということに
尽きるのではないかと思うのです。
でもこれってある意味では
ヒーラーに出会おうが、出会うまいが
ヒーラーになろうが、なるまいが
すごく
当たり前のことでもあるわけです。
もし
「自分自身を愛する」という概念が
一般的に受容され
そして実践されるほど
ヒーラーがヒーラーである必要性は
なくなってくるわけです。
こうした意味での
「自分自身を愛する」という
自己愛の概念が現代心理学の中で
提起されたのは
心理学者のエーリッヒフロムによってではないかと思っているのですが
彼は著書「愛するということ」の中で
「愛は技術である」と述べています。
愛するということは
恋に落ち、感情の中におぼれることではなく
また周りからいかに愛されるかを
考えることではなく
人間的に根源的に存在している孤独の中で
自己を成長させていく意志をもって
他者を愛するのか
フロムの言葉を引用すると
「自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、
自己を広げようとする意志」(「愛するということ」より)
という考え方が
こうした「自分を愛する」という
現代的な自己愛の概念の
ベースにあるのだと思います。
もしこうした考え方が
より一般的になっていけば
あるいは社会の中で受容されていく過程の中で
きっとヒーラーがヒーラーである必要はなくなり
ヒーラーの仕事も必要がなくなるのではないかとも
思うわけです。
今日なにげなくiPhoneをいじっていたら
こんな素敵なアプリを見つけました。
その名もサトリ。笑
全面にゆるきゃら、ゆるい音楽で構成されていて
こうした一連の質問に答えていくことで
自分のこころの状態をみつめてみる
という一風変わった携帯カウンセラー?アプリです。
で、なにが面白いのかというと
こんなにゆるーい感じの役に立たなさそうな(失礼)アプリなのに
やってみると意外と自分の心の状態を
見つめることが出来るところ。
いい意味で真剣でないのが
いいのです。
ただのゲームなんだけど
でもなんだか幸せになる。
こんな感じですから。笑
でも、このソフトで使われているロジックは結構面白くて
陰陽五行説に基づく分析や
あるいは質問を通じた内観
(これはワークショップなどでもしばしばお話しするセドナメソッドもそうですが)
という手法が使われているみたい。
いやはや、おもしろいアプリと出会いました。
ちなみにアプリの価格は115円です。
最近の自分の研究テーマは「自己啓発」概念の再検討。
本屋に行けばわかるのですがここ数年
「自己啓発」の書籍が非常にブームなんですよね。
自分の好きなことで仕事をする。
自分の潜在的な可能性に気づくことで
夢をかなえるといったような内容。
自分自身も占いを通じて
この文脈に沿った活動をしているのですが
しかしそもそも「自己啓発」ってなんだろう?というのが
最近のもっぱらの研究テーマです。
研究ということは、もちろんその文脈を客観的
そして批判的に見つめていくということでもあります。
この「自己啓発」概念のもともとのルーツは
アメリカの心理学
特にAマズローの自己実現理論に代表される「人間性心理学」
そしてもう少しさかのぼれば
アメリカのクリスチャンサイエンスや
ニューソート運動に行き着きます。
ニューソート的な考え方といえば
作家名でご存知の方も多いと思うのですが
「原因と結果の法則」のジェイムズ=アレンや
「引き寄せの法則」のW.アトキンソンで知られる
気持ちを前向きで明るく保つことで
いいことが起きるという考え方。
こうした考え方って、最近かなり流行しているにもかかわらず
日本ではあまりこのニューソート運動という言葉を知る機会がありません。
そしてこの文脈ってかなりアメリカ的な価値観なのです。
昨年イギリスに行ってすごく感じたことなのですが
私たちはしばしば「欧米」というくくりで語っている内容は
そのほとんどはアメリカにルーツを持っていて
実際にはヨーロッパとアメリカとはかなりその思想的、文化的な
バックグラウンドというのは
私たちが考えている以上にかなり質の異なるものなんです。
というのも、自己啓発や自己実現という概念時代が
かなりアメリカ的な文脈に属している
ひいては「アメリカ型資本主義」の価値観にかなり根ざしているなと
最近強く思い、ある種これを問題意識として
こうしたことをもう少し客観的に見つめていきたいなと
改めて自分自身が属している思想的なバックグラウンドを
見つめなおしています。
ヨーロッパの友人と話していると
日本にいながら
いかに自分がこうしたある特定の考え方
(特にアメリカ的な思想)の影響をうけて
育ってきているかということに気づきます。
そのなかでも自分が最も影響を受けてきた概念が
「自己実現」という考え方。
自分の内側にある自己の本質に気づくことで
内在する葛藤を解消しながら
より豊かな人生を歩むことができる。
これっていうなれば非常に「現代的な、
そしてアメリカ的な神話」だとも
いえるのですよね。
昨年英国占星術協会の年次カンファレンスに参加した時も
英国の占星術家と話していて感じたのですが
彼らはこうした自己実現的あるいはニューソート的・アメリカ的なコンテクストとは
全然違う姿勢で占星術と向かい合っているのだなということを
感じました。
この辺ももう少し占星術のアクターとして
自分のコンテクストを客観視しつつ
活動していきたいなと最近よく思います。
最近僕が思っていることを代弁してくれるようなエッセイに
出会いました。いいエッセイって
なんとなく感じてるでも言語化できてない思いに
気づかせてくれます。
・「無理に楽しむ」より、「諦めて面白がる」
人生の出来事に、深い意味なんてない。
・人間は誰でもみな、社会の「歯車」だ
考えすぎないで、「歯車」として回っていこう。
・嫌な経験は「気づき」にするより「ネタ」にしよう
笑ってもらえれば、他人も自分も楽になる
僕自身「自己実現」や「成功」といったキーワードに
とらわれすぎて逆に生きるのが苦しくなるということを
なんどとなく繰り返してきました。
なんでもかんでも意味を見出したり
なんでもかんでも成功や成長に結びつけたり
そんな生き方って実はすごくストレスフルな生き方なんだなと
最近思うことが多いです。
いい意味でバランス感覚のとれた考え方をしていくこと
そして何の成長にも結び付かない
何の意味のない人生だって
とっても大切なことを受け入れていこうかなと思います。
なんの意味もない!
なんの意味もない!
はいズイズイズイー
小島よしお
一世を風靡した彼は、僕の大学の先輩です。(面識はないけど笑)
はたしてこの世界に意味はあるのか?
というのが最近のよく考えるテーマ。
スピリチャリズムや
また、「占い」そのものの立脚する世界観は
この世界観にはある一定したコスモロジーがあり
そしてそこにはどんな偶然も存在しないという考え方。
あるいはこの世界を動かしている
「ある法則」や「真実」があるという考え方。
でも、果たしてそうなのだろうか?
という「問い」に最近はしばしばぶつかります。
確かに人間は「意味を紡ぐ」生き物。
でも、それに対する世界そのものに
「意味があるかどうか」は
よく考えるとそうでもないのかなと
思うこともしばしばあります。
いま僕がこうして敢えて考えている立場は
「ニヒリズム」とよばれるもの。
ニヒリズムはニーチェの思想にも
通底する大切な概念です。
でもここで大切なのは
しばしば考えられているように
決してニヒリズム=悲観主義
ではないということ。
この態度は他にも
ヘレニズム期のエピクロス派でも
展開される議論です。
意味がなくても世界は存在しているし
意味がなくても私たちは生きているということ。
この立場に立てば
ある意味では意味がなくても
毎日を意味にとらわれすぎずに
生きることができるのです。
現代的な文脈で言うと
「自己実現」というストーリーがなくても
「成功」というストーリーの上になくても
人生は流れていくということ。
といっても
占い師でありスピリチャリストである僕がいまあえて
こうした立場に立つ理由というのは
一方でこれまで自分が
いかに「世界に意味がある」とおもってきた
あるいはもっと現代的に
というか通俗的に言うと
「自己実現」や「成功」という概念を
「善」と捉えすぎてきた
反動でもあるわけです。
この世界は「自己実現」や「成功」と
よばれるようなストーリーだけで
成り立っているわけではないということ。
しかしこうしたニヒリズムや
エピクロス的価値観を踏まえたうえで、
エピクロス主義と同時期に発展した
ストア学派という哲学は
西洋占星術と非常に相性のいい考え方でした。
ストア学派は
この世界は理性的に説明可能であり、
また理性的に組織されたものとして
とらえていました。
つまり世界には
意味があると
考えたのですね。
そして学び、深く思慮ことを可能にする
人間の内なる能力を
ストア学派は「ロゴス=理性」と呼び
それを人間の「本質」としたのです。
つまり自分の内なる「ロゴス」や「真理」と
ひとつになることで
この世界のことを知ることが出来るという態度。
自分の心というミクロコスモスをしることで
自分の外側の世界マクロコスモスをしることができるという
「ミクロコスモスとマクロコスモスとの照応原理」という
考え方です。
これは現代的に言うと
「答えは貴方の中にある」
ということになります。
僕は
これはユングのシンクロニシティの考え方にも
相通ずるものがあるのではないかと
思っています。
さて、
なんでこんなややこしいことを考えているかというと
なるべく自分のもつ文脈を
客観視していきたいんですよね。
というのもこれだけ
占いやスピリチャリズムが流行している時代だからこそ
客観的視点のない盲目的なスピリチャリズム
客観的視点のない盲目的な占い
というものの「怖さ」をしっておかないと
僕自身がそのアクターとして活動することは
時には危険な行為にもなりうるという思いがあるから。
精神世界というのは
目に見えない世界だからこそ
そうした世界に盲目的になるのではなく
時にはふっと外側の視点から
あらためて客観的に見つめてみるということも
とても大切だと思うのです。

実家の神戸で7月前半はゆっくり過ごし
東京に帰ってきて、
改めて自分の東京でのストーリーが
神戸にいたからこそ俯瞰できたなぁと
感じています。
東京。
慌ただしい毎日の中でも
沢山の出会いがあり
時に感動があり
あるいは何にもない日もあり
そんな東京での毎日を
実家でゆっくり休んだことで
見つめなおし
前よりもちょっと気持ちが
楽になりました。
木星と天王星が牡羊座に移行した
6月以降
私にとって大きな変化としては
表現することに対して
より自由な気持ちを持つことが
出来るようになってきたこと。

毎日の生活のひとつひとつの要素に
自分らしく表現するという意識が
絡み始めて
何か大切なストーリーを紡ぎたいという気持ちが
生まれてきたこと。
占星術を始める前から
ずっと好きだった写真表現も
自由にこうして表現することができるようになったし
ちょっと今までにない
リアリティを東京に帰ってきてから
更に強く感じています。
このままこの波に
乗れていけたらいいなぁ…。
今日渋谷の夜を歩いていて出会ったものに
胸を打たれる。

それは
Ethnic Minority
というジャズバンドのストリートライブ。
横田寛之さん率いる
サックスとベースとドラムの
トリオだ。
僕は音楽は詳しくないし
ストリートライブに見入るということはほとんどないのだけど
そこで出会った表現には
圧倒的な「何か」があった。
圧倒的な「何か」。
ハッと気づけば
僕だけでなく
周りの人も引き付けられるように
彼らの周りには
人だかりができていた。
きっともともと彼らのファンというよりも
僕と同じように
彼らの「何か」に惹きつけられた人たちなんだろうと思う。
表現することにおいて
人を惹きつけるものとして
圧倒的な「何か」ってあるんだなと
改めて実感した夜。
かっこいい、
という言葉だけでは表わされない
胸を打つ「何か」を感じた夜だった。
仙台に行って、実に色々な人と語って
「言葉を使って何かを伝えたい表現したい。」
そうした思いが自分は強いのだなぁと
改めて認識。
と同時にそうした
何かを言葉で伝えたい表現したいという
自分の在り方を振り返ってみて
本来、「感情」と「言葉」とは
川の流れで隔たれた
二つの岸のように
本来なかなか一つになれなくて
「言葉」を書き続ければ
「感情」はどこか本来の在り方から離れていくし
「感情」を見つめれば
そこにそれを100%受け止める「言葉」が存在しないことを
改めて気付かされる。
そこをレトリックや詩的な言葉など
駆使をしてようやく
対岸に
橋がかかる。
ような気がする。
けれど、そうもうまくいかない
気もする。

それは一筋縄にはいかなくて
何かを表現すること
何かを紡ぎだすこと
あるいは自分の感情を見つめること
そしてそれを言葉で紡ぐことの難しさ
をただただ実感する。
そうした難解さを抱えながらも
何かを表現するということ
そしてそれを「言葉」で表現することにおいて
感情の100%を言葉で捉えることが難しく
また言葉によって100%の感情を伝えることが困難であることを
踏まえたうえでも
そうした二つの対岸の間に流れる
川の存在を
常に見据えること
そしていったいどのような「橋」を
そこにかけるのかということの大切さを
改めて実感しています。
![]()
アルブレヒト・デューラー Melancholia I (1514)
「人生の意味」とはなんだろう?
そんなテーマについてしばらく
ずっと考えていました。
そこでとても強く感じたことは
もしかしたら人生そのものには意味はないかもしれない、
しかし人が生きていくうえで
「人生の意味」を求めるというのも
人生に対する自然な態度であるということ。
特に何かに悩んでいるとき
何かに葛藤しているとき
哲学的なあるいは自然科学的な真実から
かけはなれていようとも
そこに別の観点から
日々の生活に光を当ててくれるのが
「人生の意味」という要素なのかもしれないと。
あるいはこれは
人生のなかにはある個人の意思を超えた
「物語」が存在している
と考える態度ともいえるでしょう。
ここでいう人生の意味は「物語」、
また人生の意味を見出すとは
「自己言及的に自らをメタフィジカルに物語る行為」
と言い換えてもいいかもしれません。
真実を求めるならば
それは哲学的な問いを
繰り返していく
彫刻家ロダンの「考える人」や
ルネサンス期のドイツの画家
アルブレヒト・デューラーによって描かれた
「メランコリア」のように
それは深い孤独な思索の中にしか
存在しないのかもしれません。
しかしながら気休めであっても
そして必ずしも哲学的な
あるいは科学的な真実でなくても
占星術を通じて
付与された「人生の意味」は時に
思いもがけない形で
人に「居場所」をもたらしてくれます。
「占い」が「占い」たるゆえんも
もしかするとそういう部分にもあるのかもしれない。
なんていうことを最近よく
考えていました。
占星術という営みが
あらゆる意味で真実であろうがなかろうが
そこにどんな状況においても「意味を付与される」
シンボリックな体系に
人はある安心感を覚え
居場所を見つけることができる。
何千年もひとのこころとともに生きてきた
占星術が持つ生命力は
そうしたところにもあるのかもしれない。
私たちが本来の意味で
人生の意味を問い
哲学的に生きようとするのならば
考えても考えても
解けない実存的な問いに対して
安易な「答え」を拒みながら
メランコリックな思索をつづけていくことは
避けては通れなくなるでしょう。
しかしだからこそ見方を変えてみれば
付与された「人生の意味」が居場所になるのであれば
それ以上その問題に関して深く考えなくても
とりあえずその「意味」を手にして
歩んでいける。
不思議なことに
占いやカウンセリングを通じて
それがたとえ気休めのようにみえようとも
その人にとってある真実味のある
「人生の意味」を感じることができると
それ以上そうしたテーマに対する
真剣な問いから離れ
そのままの自分を受け入れていく
というプロセスが始まります。
もちろん、
真実を求めるのならばきっと
それは「答え」のなかには存在せず
きっと「問い」の中にこそ存在する。
人生を哲学的に生きる上で
それはとても大切な要素です。
しかし一方で
きやすめとわかっていつつも
人生に対するメランコリックな気分に
光を与えてくれる
「人生の新しい文脈を生む」装置としての占星術や
あるいは
占星術の世界から語りかけられる
「人生の意味」そのものに
何か占星術の面白さを感じることも確かなのです。
最近の問題テーマのひとつが「カルト」とは何か?
僕自身95年、当時小学生のころに
オウム真理教による一連の事件を
テレビ報道で目の当たりにした世代。
あの一連の歴史的な事件の数々は
いったい何だったのだろう?
その問いに対する答えというのは
いまだもって分かりません。
ただ「問い」だけを残した。
というのが実感です。
その後、日本では
そうした者に対する本質的な反省が
顧みられないまま
空前のスピリチャルブームが
訪れたわけです。
そして僕自身もある意味では
そのスピリチャルブームの文脈の上で
仕事をしている部分も
あるわけです。
特に僕自身が活動している
こころの世界の分野というのは
しばしばこの「カルト」的な問題が
非常に重要なテーマを帯びてきます。
「人間の集団心理」というのはとても
強い力を持っています。
「多様性」と「バランス感覚」が維持されず
ある一つの物の見方だけが
その集団の「ものさし」になってしまったとき
しばしばその集団はカルト化の道を歩んで
しまうことがあるわけです。
自分自身もワークショップを開いたり
個人セッションをしたり
人に影響を与える仕事をしています。
私自身も
特にそうした情報の「発信者」という立ち位置だからこそ
そういうものに対するバランス感覚というのを
持たなければならないなと
思うことがしばしばあります。
ある情報を発信しつつも
いかに自分自身の立ち位置を「多様性」の中に
布置できるか
そしていかにそうしたものに対する
「バランス感覚」を持ち続けるのか。
そうした「問い」を常に自分自身の
心の内側に保つことが
自分自身の最近のテーマでもあるのです。
西洋占星術、というのは
その歴史をたどると非常に独特の
国際的な伝播形態をとっていて
もともとチグリス・ユーフラテス河周辺に発展した
メソポタミア文明の神学がその文化的発祥の地になっており
その後、占星術文化は
ギリシアのコス島に渡り
プラトン・アリストテレスの時代に
ギリシア哲学との深い関係性を持つ過程の中で
「個人を占うための思想的基盤」がそこで完成し
その後、エジプトのアレキサンドリアを中心に発展した
ヘレニズムの時代を経て
その後の西洋占星術の体系を決定づけた
プトレマイオスの「テトラビブロス」が書かれ
アレキサンドリア大王の東方遠征をきっかけに
インドから中国、そして果ては
奈良・平安時代の日本に至るまで
その文化体系は翻訳・伝播されていき
またその後、キリスト教圏のみならず
アラブの国々の神学にも非常に大きな影響を与え
キリスト経圏ではローマ帝国の崩壊以後
一度命脈が切れたしまった後にも
十字軍の遠征を通じて、アラブ圏からの逆輸入という形で
ルネッサンス期にはその文化は
返り咲くわけです。
そうして概観してみても西洋占星術という文化は
伝播に伝播を重ねて
世界的な規模で、その痕跡を残していったという
非常に生命力の強い文化だといえます。
これを可能にしたのは
なによりも地球上のどの地点からでも
観測できる天文現象をその理論体系の中軸に据えて
また比較的容易に
各地の神々と習合・翻訳できる要素を持っていたということが
そうした世界的伝播を可能にした生命力を持つにいたった
ひとつの理由だと私は考えているのですが、
これは実は現代という時代においてもいえるわけで、
現に、近代以降の日本においても
西洋占星術が(奈良・平安の時代に「宿曜経」という形で
輸入されてから何百年という時を超えて)
再び輸入された現代という時代においても
現代におけるマス・コミュニケーションの文化の一要素として返り咲き
日本人の生活文化の中に
「星占い」は無くてはならないものとして
位置づけられるものになっています。
占星術とはなにか?ということを考える上で
ひとつの大切な論点を提示するならば
なぜこれほどまでの文化的伝播力を持って
人類の長い歴史の中で絶えずに続いてきたかという
その「生命力」のもとは何なのだろう?という問いに
ぶつかるわけです。
しかし、その一方で考えるに
「伝播」していく過程の中では、全く違う文化圏に
伝播していく際に
かならず「異文化理解」ではなく
「異文化誤解」がそこにはあったであろうという論点。
たとえば、日本における「浮世絵」が
西洋の近代絵画の歴史における「ジャポニズム」や
「印象派運動」に非常に大きな影響を与えた
ということはよく知られていることですが
これは「西洋占星術」においても同じような構造はあり
私たち日本人が西洋の占星術を改めて輸入する際に
彼らの文化的・宗教的背景を十分に理解する以前に
「西洋占星術」という文化を
いい意味で「異文化誤解した」末に
日本独自の占い文化というのが発展した
という側面もあるのだなと感じることが最近多いのです。
特に日本にいるとなかなか気づかないことですが
90年代以降
携帯やウェブコンテンツとして
ポップカルチャーとしての占いが
これほどまで私たち日本人の
日常生活に浸透したというのは
これはいうなれば
「西洋占星術」を受容する過程の中で
いい意味で私たちが「異文化理解」ならぬ
「異文化誤解」をしたからなのではないかと思うのです。
「異文化誤解」というキーワードを
他の言葉で説明するならば
「海を越えた感性をいかに感受するか」
という問題ともいえるかもしれません。
キリスト教圏の国々が、西洋占星術に対して抱く「感性」を
私たちがいかように「感受」していくのかという問題は
非常に面白い論点になるのではないかと思うのです。
今年に入ってから個人セッションだけでなく、
文章書く仕事を通じて
占いというコミュニケーションのあり方を
考えることが多くなって来ましたが、
今そうしたことを可能にさせるものの一つとして、
身の回りの情報機器の環境を
今年に入ってから整えてきたことが
とりあえず一段落してきました。
iPhone やデジカメ、
ポメラやネットブック
電子書籍リーダーなどなど
天王星が牡羊座に移行した
今年の6月あたりから
スピーディに身の回りの情報環境が
自然に整ってきました。
(実は、僕は自他ともに認める機械オタクです^^;)
最近は、音声入力のソフト等も導入して
さらに効率的にメッセージを発信できるようになってきました。
ところで、僕は思うのは
「占い」というのも、これはいうなれば
コミュニケーションにおける
古代のテクノロジーだということ。
西洋占星術では、占星術も
情報機器も同じ天王星のシンボルで表されます。
そもそも私たちがこうして
ブログというメディアを通じて
紙媒体よりも、安価にそして自由に
そして大量の情報をやりとりできるのは
そこにはメディアの進化が
介在してきたからだと言えます。
そして、西洋占星術はその非常に豊かな象徴体系という
一つの仕組みを通じて
様々なメッセージを媒介する力を持っています。
こうした世界観と
現代のテクノロジーが出会うときというのは
例えば、新聞という大衆メディアと
西洋占星術が出会った時に誕生した
12星座別の太陽星座占いのように
あるいは携帯電話やパソコンの普及によって生まれた
個人にカスタマイズされた占いコンテンツのように
西洋占星術というシンボリズムと
現代のメディアテクノロジーとの融合を通じて可能になる
新しいコミュニケーション文化の創造も
きっと可能になるのではないかと思います。
西洋占星術を一つのコミュニケーションツールとしてあるいは
現代的な文化としてとらえた時にも
占い師として、面白い時代に生きてるなあと
改めて感じることが増えています。
個人セッションを通じて思うのが
占い師として磨いていきたい力として
「話し方」はもちろんのことですが
なによりも「聴き方」。
「聴き方」は一見「受動的」なものとして
とらえられることが多いのですが
決してそうではなく
かなり「能動的」な部類に入るのではないかと思います。
実際のところ
どれだけ「話し方」を磨いたとしても
安心できる「聴き方」を
身につけることが出来なければ
受容的な関係性
安心できる空間を作り出すことは
難しいのだなと思います。
分かりやすい話しは、「話し方」の部類に、
そして安心できる関係性を築くということは、むしろ
「聴き方」の部類に入ります。
もちろん、
それを踏まえたうえでの
「話し方」というものも
大事ですが、
まずは何よりも聴く姿勢が
大切だなと思います。
ここ数日いよいよ本格的に寒くなってきましたね。
皆様ご体調等どうぞくれぐれも気をつけてくださいね。
今日は最近心に残った言葉を紹介します。
一生を終えて後に残るのは、
我々が集めたものではなく、
与えたものである。(ジェラール・シャンドリー)
自分自身の小さな枠の中で考えずに
他者との関係の中でどのように
豊さを分かち合いそして、
つくり出していくのかということは、
生きるというリアリティを感じる上でもとても大切な要素だと思います。
そしてこの言葉を聞いたときに
想起すること
それはいったい生きる
とはどういうことなんだろう?
ということ。
生きるこという事を考えることにおいで
しばしばそれを際立たせるものは
死という問題。
仏教の曹洞宗の開祖である
道元は修証義の冒頭でこういいます。
生を明らめ 死を明きらむるは
仏家一大事の因縁なり、
(ユピテル意訳:生きるということを知り、
そして死とはなにかということを知ることは
仏教においてとても大切なことです。)
生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし、
但(ただ)生死すなわち涅槃と心得て、
生死として厭(いと)うべきもなく、
涅槃として欣(ねご)うべきもなし、
(生きること、死ぬことの中に
生きるとは何か?という哲学的な思索を持つことや
そうしたものを超えたこころの平安を持つことで
生きること死ぬことの不安や恐れを離れて
生死の問題を日常の中から必要以上に遠ざけることもなく
また救われたいと何かにすがることもなくなります。)
是(この)時初めて生死を離るる分(ぶん)あり
唯一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし。
(そうした時に、人は生死という永遠の問いの中で迷うことなく
今ここの自分につながるありのままの全てを受け入れて
そのうえで
いまここの自分の人生を一生懸命生きることができるのです。)
括弧の部分は、原文が難解なので
僕なりの意訳です。^^;
生きることとは何か
そして死とは一体何なのか。
それを考えることが
そうしたものを問うことは
人生を豊かに生きる上でも
大切な要素になるのだと思います。
毎日の生活の中でも
生きるとは一体何なのか?
そして死とは一体何なのか?
という哲学的問いを持つということは
毎日の生活の中に
新しい視野をもたらす
ひとつの知恵なのではないかと思います。
食欲の秋
読書の秋
いろいろな秋がありますが
そうした思索的な秋
もたまにはいいかもしれませんね。
最近ハマっていること。
それは、「電子書籍」の登場によって
どのように未来が変わるのかについて
思いを馳せること。
そもそも私が電子書籍の存在を知ったのは
意外と昔のことで、
約10年ほど前の高校生の時代。
当時ネットの何かの技術系のサイトで
「未来の電子ペーパー」
という記事を読んで
興奮した覚えがあります。
(英語のサイトだったので
辞書を引き引き読んでいました。)
それによると、
「電子ペーパー」というのは
紙のように自由に曲げられて、
紙の上に「白黒に塗り分けられた小さな丸い球体」
が敷き詰められていて、
それが電気の力で
クルクルと回って文字や絵を表示して、
一度表示されると
あとは液晶と違って
電気がなくてもそのままずっと表示される
という仕組み。
そしてそれは未来に
とても安価に提供されるようになるであろう。
との内容でした。
これを知ったときには、
「これが情報のインフラになったら、
グーテンベルクの活版印刷以来の
エポック的な出来事になるのでは」
と思っていたのですが、
実際にこの仕組みは
今アマゾンの電子ブックリーダー
Kindle(キンドル)で実用化され
アメリカでは多くの人に使われています。
日本でも米アマゾン経由で
買うことも出来ます。
そう、昔夢見たことが、
いま実際に手にとれるという
今の環境に
最近しみじみと時代が変わってきたんだなと
感じいっているわけです。
さて、そんなわけで今年は
早速Kindleを手に入れたのですが
実際にKindleを使ってみたりしていくなかで
感じる電子書籍の未来についての所感は
またの機会に。
2月3日の新月の日にスタートした、
プライベートセッションルーム。
お陰さまで充実した最高のスタートを切れています。
セッションルームの雰囲気やインテリアも、
とっても落ち着くという声や、
内装がキレイですねという感想など
皆さんに喜んでいただけており
頑張った甲斐がありました。
これまでの喫茶店での個人セッションよりも
ずっと環境は整い
更に安心して受けていただけます。
リーズナブルになった料金設定も好評です。ご予約はこちらから。
そして!お陰さまで、プラネットセラピーフェスの方も、
なんと既に告知後1日で、20席のうち7席が埋まっております。
(ご予約は、是非お早めに!!)
来週月曜配信の公式メルマガ【今週の星便り】も
どうぞお楽しみに!