Jun03

占星術師としての責任

西洋占星術の専門書を販売しているアメリカのオンライン書店 Astrology Center of America には、何千冊もの専門書が揃えられています。

http://www.astroamerica.com/

僕もよくここから専門書を購入しています。古今東西の占星術文献がそろっているのですが、日本語で出版されている書籍とは比べ物にならないくらい種類が豊富で、さすが西洋占星術の本場だなと感じさせます。

僕の占いは決してその場限りの勘で判断するのではなく、僕自身、日々のこのような専門書や、師匠についての勉強などを通して、地道な勉強と研究をしています。自分自身大きな責任を担うプロフェッショナルの占い師として、このような基礎的な勉強がとても大切です。

いい占い師になる為には、多くの勉強と経験、広い視野が必要です。いまのところ、この占いという職業には、例えばお医者さんや看護士さん、弁護士さんや保母さんになるために必要な公の資格というものはありません。しかし、師匠について勉強したり、専門書を丹念に読み込むことなど、占星術師と呼ばれる人間が日頃やっていること、あるいはやらなければならないことは、事実、沢山あります。

ひとと向かい合い、その仕事を通してひとのこころに大きな影響を与える存在として、仕事に対する責任感をもって、日々技術の向上と、より人の役に立てるような努力を惜しんではならないと日々自分を戒めています。

お客様のお役に立てるように、そしてまた占星術の文化のベースアップに貢献できるように、日々一歩ずつ頑張っていきたいです。

Jun05

人のこころはわからないという前提の大切さ

鑑定の仕事を通して感じることは、ただ性格や過去や未来の出来事を予測すること以外に、大変重要なこととして、 クライアントさんと一対一で話し、そのなかで問題解決をするというところで、カウンセリングの技術や能力が必要不可欠なものだということです。

僕は、占星術を勉強すること、あるいは占星術の世界観について思いをめぐらすことなどはもちろん好きなのですが、しかし、一方でそれ以上に、大きな問題意識として「人のこころ」と誠心誠意向かい合っていきたいという強い思いがあります。

最近は、占いの知識や技術を勉強すること自体は、専門的な書籍も沢山出版されていたり、インターネットなどの情報入手手段もあるので、占星術の勉強自体は、一昔前よりは遥かに自由にできるようになってきました。しかし、人のこころというものは、専門的な知識を身につけても、実際に日々の生活の中で真摯に向かい合っていくことでしかわかりえないものです。

このような問題意識から、鑑定の為に、ただ占星術の技術を磨くだけではなく、人の心と向かい合うために心理学やカウンセリングなどの勉強をしています。

占いとカウンセリングの大きな違いは、占いは基本的に占い師が話し、カウンセリングはあくまでカウンセラーは聞き役で、基本的にクライアントが話す、という大きな相違があります。そういう大きな相違がありながらも、一方でこの二つは、人のこころと向かい合い、クライアントの悩みを解決していくといった根本の部分では、問題意識は同じといえるではないでしょうか。

 河合隼雄「人の心はどこまでわかるか」(講談社+α新書)という書籍のなかで、臨床心理学者の河合隼雄氏は、様々なフィールドで活躍している心理療法家と対話をし、人のこころと向かい合うカウンセリングという仕事でぶつかる様々な壁や苦労を、多くの実例を挙げ、それらについて示唆深い意見を述べていきます。以下ににその一つを引用します。

 人間の心がいかにわからないかを骨身にしみてわかっている者が、「心の専門家」である、と私は思っている。そのわからないことをそのままに捨ておかず、つねにそれに立ち向かっていなくてはならないのはもちろんであるが。これに反して素人は「わかった」と単純に思い込みすぎる。というよりは、「わかった」気になることによって、心という怪物と対峙するのを避けるのだと言っていいだろう。(同書 p.6 引用)

占いは、カウンセリングと違い、性格の傾向や時期表示などを「当てる」といったことが大切になってきます。しかし、「当てる」といった行為はあくまで、理解するということではなく、事象の「予測」の範囲内でしかないでしょう。占いで「当てる」ことと、人のこころを理解することとは、またまったく別の次元のことです。

クライアントさんの悩みを解決する過程では、カウンセラーは人のこころを理解する力が必要になります。そういったときに、「当てる」といった予測技術は、こころの理解のための、ひとつの手がかりやきっかけにはなるかもしれませんが、しかし、あくまで占いという行為は予測技術の範囲を超えません。

その意味でも占い師が「当てる」といった行為だけにとらわれてしまうと、クライアントにとって大変怖く、時に危険な存在になりえます。なぜなら本来、「当てる」という予測行為と「こころの理解」というものは全く別の行為だからです。占い師は、その「予測技術」と「こころの理解」の二つを、何の疑問もなく混同してしまい、あたかも人のこころを占いを通して「わかった」と単純に思い込むようなことになりがちだからです。

占い師がそのような状態で、クライアントにアドバイスなどをするということは、「勝手な決めつけ」や、「言う通りにしなければあなたは不幸になる」といった身勝手なものになってしまいます。一般的に、占いが怖い、うさんくさいと思われる要因はこういうところにあるのでしょう。

そうならないためにも、占い師が認めなければならない大切なことがあります。それは、先ほどの書籍で、河合隼雄氏が指摘されていたように、「人のこころはいかにわからないものかということをしっかり理解しなければいけない」ということです。それを十分わかった上で、その「わからないもの」と日々対峙していかなければならないのです。

これは未熟なカウンセラーが、カウンセリングの専門知識で相手を身勝手に判断する危険性と似ているでしょう。実際、占いでもカウンセリングでも、人のこころはわからないものという大前提のなかで、人のこころを理解しようとすることは本当に大変なことです。しかし、そういう矛盾をはらみながら、やっていくことでしか、本当の意味で親身になって相談できる占い師やカウンセラーにはなれないのだと思います。

 

Jul20

『生命のメッセージ展 in 丸の内』のお知らせ

こんにちはユピテルジョージです。


今日は、今年の春からボランティアスタッフとして手伝ってきた
『生命のメッセージ展 in 丸の内』
お知らせをさせてください。


***********************

『生命のメッセージ展』とは、
犯罪・飲酒運転・いじめ・医療過誤・一気飲ませなどの
結果、理不尽に生命を奪われた犠牲者の遺族と、
ボランティアスタッフが中心となって企画・運営している
展示会です。


犠牲者一人一人の等身大の人型パネル、
その足元に「生きた証」である靴、
そして遺されたご遺族の方のメッセージを通して
犯罪被害者・遺族の人権を訴えるとともに、
『生命の重み』を伝えています。


一人一人の尊い生命と向かい合い、
今自分たちにできること、
今私たちが生きているということを
亡くなった人々との対話のなかで
見つめ直します。


今回は明日からの7月21日(土)22日(日)の2日間
明治安田生命のMY PLAZAホールという場所で
メッセージ展が催されることになりました。


『生命のメッセージ展 in 丸の内』詳細
とき 2007年7月21日・22日
   AM10:00-PM7:00
ところ MY PLAZA ホール
東京都千代田区丸の内2-1-1
地図はこちら
料金:入場無料
(但し、映画『0からの風』鑑賞の際はチケット代が別途必要です。)


『生命のメッセージ展』公式ホームページ
http://www.inochi-message.com/

同時開催 映画『0からの風』
また、この生命のメッセージ展の代表をされている
鈴木共子さんをモデルにした映画『0からの風』
も、同時開催しています。チケット代は1000円です。


映画のスケジュールは、
7月21日(土)22日(日)両日とも
1回目 AM11:00-
2回目 PM 2:00-
3回目 PM 5:00-
のようになります。


映画『0からの風』公式サイト
http://www.zero-karano-kaze.com

***********************


僕自身も、大学時代にゼミの先輩を
無惨なひき逃げ事故という許されない形で
生命を断たれ、
それ以来、ずっとその事故のことを考え、
自分なりにその事故のことを消化する過程のなかで
『生命のメッセージ展』というこのボランティア活動に出会い、
その中で、不慮の事故で亡くなった先輩の死という
自分の理解をこえたものに
少しずつ一歩ずつ向き合おうとしています。


また、少年時代に
阪神大震災という悲惨な災害を経験し、
人の死というものに、
向かい合うことが多かったのも、
この活動に共感した理由の一つです。


人は『死』という
人間の理解を超えたものに
一歩ずつ
向かい合っていくことで


『生命の大切さ』や
『命あるものとして、毎日を大切に生きること』
という
人生の中でも
とても大切なものを学ぶのだと思います。


是非、貴方も足を運んで、
『生命のメッセージ』に
耳を傾けてみませんか。

Jul21

『生命のメッセージ展』感想

こんにちはユピテルジョージです。
 
 
今日は、昨日お話しした
『生命のメッセージ展』の第一日目
を手伝って感じたことをお話します。
 
 
「メッセンジャー」
生命のメッセージ展では、
理不尽に命を奪われた被害者を
そう呼んでいます。
 
 
今日はボランティアスタッフとして
初めて大規模な生命のメッセージ展に参加し、
会場整備などをしながら
その間多くの人形に切り取られた
等身大の
メッセンジャーのパネル
を見つめ
じっくりと
声なき声を聞いていきました。
 
 
死とは、
理解できるものではない。
飲酒運転などの悪質なドライバーや
いじめ、一気飲ませなど
理不尽に命を奪われてしまうことへの
言葉にも表すことのできないような怒り
残されたものの悲しみ
すべてがいりまじった
感情が
メッセンジャーと向かい合う中で
自分の心にうずまいてくる。
 
 
メッセージ展のなかで
展示されていた文章の中に
  
『生命』を大切にする社会を築こう
    
という言葉が書かれていた。
  
  
人は見えない多くの人間に支えられて生きている。
ひとつひとつの思い遣りが、
ひとを幸せに、元気にすることもあれば、
ひとつひとつの想像力の欠如が、
知らない間に人を傷つけてしまうこともある。
飲酒運転の交通事故のように
自分がおかしている罪への想像力の欠如が、
無惨に大切な他者の命を奪う。


メッセンジャーの皆は、
声なき声で
生きるもの
彼らとむかいあいものに
『生命の大切さ』を全身に伝えてくる。


今、私たちが「生きている」ということは
決して「当たり前」のことではなく
多くの見えないつながりのなかで
複雑に、しかし支えあいながら、
「生きている」のだと思う。


メッセージ展を通して、
他者への思いやりを持ち、
今生きているからこそ
今この生命を活かし、
他者の生命とともに生きて行くということ。
の大切さを深く考えさせられました。
 
 
『生命』を大切にする社会を築こう。
 
 
そのためには
身近な人から
新しく巡り会う人、
見知らぬ、しかし、自分のこの『生命』を
支えられているような
多くの人々との
生命の繋がりに
よりつよい想像力と
感受性を持ち
生きて行きたいと思う。
 
 
この『生命のメッセージ展 in 丸の内』は、明日
第2日目もやっていますので、
是非お越し下さいね。

Aug04

なぜ西洋占星術師になったのか その1

こんにちはユピテルジョージです。


今回のシリーズ「なぜ西洋占星術師になったのか」では、
ユピテルが、西洋占星術師になった理由を
語って行きたいと思います。


今回のシリーズは結構長くなるかもしれません。
是非物語のようにして楽しんでください。


「どうして占い師になったのですか?」


という質問を会う人会う人によくご質問を受けるのですが、
これに答えるのにいつも大変苦労しています。


限られた時間のなかで、
そしてその場で
なんとか分かりやすく説明しようとおもうのですが
しかし毎回なかなか上手く伝えることができません。


というのも、僕が占いをやり始めた理由は
一つだけではなく、


実に様々な要素が
人生のなかで入り組んでいて、
そのひとつひとつの要素の繋がりと
それらがまとまった大きな流れのなかで
「結局僕は占いをせざるをえない」
否、
「僕は、占いをしたい」
というシンプルなところに
行き着く他なかったからなのです。


また占いというものが曖昧模糊なイメージが先行するため
その場での安易な説明が
僕自身への大きな誤解になることを怖れて
本当に占いをやる核心部分をなかなか話せないという
もどかしさが常につきまとっていました。


なので、誤解を生まない範囲内で、
なるべく具体的で自明な、あるいは理性を介して理解できるような
きっかけだけを
お話してきました。


僕が怖れていた「大きな誤解」という恐怖、それは、
自分が占いをやるきっかけとなる霊的な体験を話すことで
「ああ、この人は、頭がおかしいひとなのかな」と
思われるのではないかというものでした。


正直、占いに行き着くまでに
理性では納得できないような霊的な体験を
何かに導かれるように、何度となく経験しました。


しかし、その体験をその場でそのまま話しても
初対面の人には、
「変な人」としか映らない可能性が高く
僕に対する一人の人間としての信頼も
それによって落ちてしまうのではないかという怖れもあり
そういうことはなるべく口を閉ざして
分かりやすく、なるべく曖昧模糊とした部分を
そぎ落とした説明をしてきました。


僕自身は、占いという曖昧模糊なことをやる
人間だからこそ、人にそのようなことを説明するときに、
なるべく具体的に、わかりやすく
そして論理的に、道筋をおって話そうと心がけています。
そして、それは僕の占いの鑑定のスタイルの
一つの特徴ともなっています。


しかしアウトプットはそのような具体的で明示的で論理的な
形で出すことができるにもかかわらず
やはり入ってくるインプットの部分は
あいも変わらず直感的で、霊感的なものなのです。

今回のシリーズでは、そういうものも含めて
お話をしていこうと思います。


さて、明日は、
大学1年のときに湧いた
大きなビジョンについてお話しします。


それではまた明日!


Aug05

なぜ西洋占星術師になったのか その2

こんにちは ユピテルです。


今日は昨日に引き続き、
大学1年の春頃、
占星術的なビジョンを
直感的に捉えたときのことを
お話しします。


そもそも僕が占いという道にはいった
まず、本当に最初のきっかけは
哲学的な思索からの小道からでした。


もともと小学校のころから
宇宙が好きで、
よく夜の帰り道に
夜空をみながら
宇宙のことをずーっと考えていた
そういう子供でした。


それが大学に入る頃には
それまでずっと思い浮かべ
直感で捉えていた宇宙の姿を
ただ直感的に把握するだけでなく、
なんとか言語化できないかと考えていました。


神は存在するのか?
なぜいま自分はここに生きているのか?
自分たちの住む宇宙の外には何があるのか?


大学入学当初からそんな哲学的な問いを
ずっと思いめぐらしていました。


そして、大学に入った春頃に
そのような哲学的な問いを考えているとき、
直感的に以下のようなビジョンが
浮かんできました。


これがそのときのメモです。

img021.jpg
中国の太極図や、哲学の用語(構造主義やら現象学やら)を使いながら
自分の頭のなかにグルグルとめぐっていた考えを整理ししていった
はじめてのメモです。


img022.jpg
時間について考えていたメモです。このメモを書いたときから徐々に、
時間を一直線のものとして捉えるのではなく、相互に関係しあった
有機的な関係性としてとらえるような思考が芽生え始め、
それが後に時の流れを惑星の動きとして捉える占星術に結びついて行きました。


img023.jpg
時間を粒として捉えるビジョンが湧いたときのメモです。ところどころに「私」という
文字が書かれているのも意味ありげです。まだこのときには占星術について何の
知識もなく、また興味もなかったのですが、左のページには太陽、月、天文学の時間
現象学の時計など、占星術に興味をもつ大きなきっかけとなるような言葉が
書かれています。

img024.jpg
これは5歳ごろに見て、いまでもくっきりと覚えている夢の内容を描いたものです。
遊園地で家族の魂(光の球)がただよい、遊び、語っている夢でした。この当時に
みた夢で他にも良く覚えているものがあるのですが、当時見た象徴的な夢は
遠からず今の自分にも大変強い影響を与えているようです。

これらの着想メモは、まだ誰にも見せたことがないので、
本邦初公開のものです。


このような自動筆記的なメモは
誰から教えてもらったわけでもなく
突然自分の無意識から様々な言葉やイメージがこみ上げてきて
それをただただ書いていくというスタイルで
書いていました。


当時は、自分の深い無意識から出てくるものを
捉えて行くだけで手一杯だったので
書かれた内容がいったいどういうものなのかを
ちゃんと言語化したり
他人に伝わるように説明をする
ことは不可能でした。


しかし、今となって分かるのは
その当時必死に描いていたこのような
象徴的メモが、
年を経るに従って
だんだん肉付けされ、
言語化され、視覚化され、
そして、今はそれが
西洋占星術という形で
結実しているということです。


いまでも、
このようなビジョンは常に
絶えず立ち現れてきていて
いまは、それを象徴詩にして
書き留めていっています。


僕の占いはこうした
無意識から経ち現れてくるような
そしてある意味誰か、あるいは霊的な何かに導かれているような
感覚を通して、
日々着実に進歩しています。


僕の占いが技術的に進歩するときには、
必ずといっていいほど
このような直感的なインスピレーションが
全身に駆け巡る瞬間があるのです。


今日は少しディープなお話でした。


それではまた明日!

Aug06

なぜ西洋占星術師になったのか その3

こんにちはユピテルです。


今日は、なぜ西洋占星術師になったのかについて、
高校時代の挫折から学んだことをベースにお話していきます。
この話題については今日明日と2日にわたってお話ししていきます。


1995年は神戸が実家の自分にとって
阪神大震災があった年でもあり、
実家が神戸の山から海へと引っ越した時期でもあり、
また長い受験戦争が始まった年でもありました。


95年、小学校の4年から受験戦争が始まり、
毎日のように塾に通うことになり
土日かかわらず学校から帰ってくると夜中の10時11時まで
塾に缶詰にされ、
学校の友人と遊ぶ時間もほとんどないような時代を
長く過ごしていました。


また小学校時代そうして頑張って我慢して塾に通い続けた
努力も虚しく中学受験も試験に落ちたため、
再度高校受験のために
中学時代も受験のための勉強に
青春時代のほとんどの時間を費やすことになりました。


そして、耐えに耐えた努力が報われて
関西のエリート高校といわれる灘高校に
入学することができたのはよかったのですが、


実際に行われる授業はとても難解で、
周りも大変優秀な友人ばかり、
そのような人々の間で灘高校の難解な授業を受けて
学んでいると
自分自身が毎日受けている授業が
どうしても次から次へとただただ知識を詰め込むだけのような
これまでの受験戦争での勉強となんらかわらない
敷かれた線路の上をただただいわれた通り走って行くだけの
機械的な作業のように思えてきてしまい、


自分の学びの意味や、モチベーションが全くつかめず
今、何のために勉強しているのか?
今、何のための学んでいるのか?
というビジョンが自分自身全く見えないまま
そしてそういう問いを持つ事自体できないような
大量の宿題に追われるハードな環境の中で、
暗闇の中に放り込まれるような感覚に
襲われてしまいました。


ある日を境にそういう風に悩み始めると
その迷いだけにとらわれるようになり、
いよいよ宿題も手に付かず
授業中も気がうつろで
いよいよ授業の内容も意味がわからなくなり、
ただただ朝起きて教室に座って
訳の分からない授業を聴いて
宿題をやってきてないと怒られ
廊下に立たされ
お前は駄目人間だと叱られる
そういう苦しい日々を送って行くだけの
高校生活になっていきました。


俺の人生はどこにいった?
ここにいて俺がなりたいものになれるのか?
おれは未だ若いのに、
本当に勉強したいことを学ばなくていいのか?


そう思っているとだんだん、
学ぶ意欲もなくなってきて
頭は痛くなるばかりで
いよいよ高校1年の冬には全く何も考えられなくなり
不登校になってしまいました。


いま、自分の生来の性格をホロスコープを通して考えてみると
もともと太陽と金星が双子座、月が乙女座と
どちらも知識や勉強を表す水星が司る星座
の影響が強く
学習欲が生来とても強く、
そもそも学習したり、勉強する事自体は
とても好きなのですが、


これは僕のホロスコープの中で
4元素の「地」の要素が強いところに
あらわれているのですが、
ただ知識を知識として身につけるだけでなく
実際の役に立つ「実学」を大切にしたいという傾向が強いため
知識をただ知識のため論じることが苦手で


「実際に現実的に人の役に立てる知識を
身につけて行きたい」という気持ちがとても強く、
高校時代には、もはや
ただ受験のためとわりきって勉強することが
どうしても苦痛でしかたがなく
できなかったのです。


唯一高校時代モチベーションを保てたのは、
実際に話せて異文化コミュニケーションの役に立つ
英語の勉強くらいでした。


そうして、不登校の暗闇の中で悩んでいたとき、


ああもう俺は死ぬかもしれない
でも死ぬくらいなら・・
という覚悟でいよいよもう駄目だ
とおもったとき、
ある決断をしました。


続きは明日。

Aug07

なぜ西洋占星術師になったのか その4

こんにちはユピテルです。


本日も、なぜ西洋占星術師になったのかについて、
高校時代の挫折から学んだことを
昨日の続きからお話しして行きます。


さて昨日お話したように高校時代に
何のために学校に入ったのか
何のために今生きているのかなど
深く悩みすぎたあげく不登校になってしまい
そしていよいよどうしようもできなくなったと思ったとき


最終的にとった手段は、
もうここで死ぬぐらいならと思い
思いきって神戸から東京に家出をする
ことでした。


そしてただ家出をするだけでは
何の解決にもならない
そう思っていた矢先、
英会話のラジオ講座のテキストを開いたところ
当時東京で創立して間もない
インターネットと
コーチングを用いた
新しいタイプのフリースクールの形をとる高校の
広告がのっていました。


それがアットマークインターハイスクールという学校でした。
http://www.inter-highschool.ne.jp/


このアットマークインターハイスクールは、
その人の可能性や興味を対話の中で引き出して行くコーチングという
技法を用いて、また学びたいことや学習目標、時間割を自分自身で
設定して、それを達成して行くことで海外の高校の
卒業資格がもらえるというコンセプトで設立された学校です。


長い受験戦争を終えて、未だ尚続いていた
学校からの一方的な知識の詰め込み教育で
いよいよ精神的に無理がたたって学校にも行けなくなった矢先に


この広告を見たものですから、
こういうコンセプトを掲げている学校があるのだと感動し
是非東京に出て
この高校がどういう高校なのか見てみたいという欲求にかられ
学校のほうも、また自分の精神的健康も
いよいよ、もうにっちもさっちもいかなくなったときに
思い切って家を飛び出して
深夜バスで、東京に向いました。


明日に続く。

Aug08

なぜ西洋占星術師になったのか その5

こんにちは ユピテルです。


昨日の続き。


そして、
深夜バスに乗って
東京に向かいました。


上京するのも
家出をするのも
何もかも初めてで
後ろめたさと
ある種の恐怖で
リュックをしょって
見知らぬ東京の大都会をさまよいながら
自分の足で一歩前に進むのが
こんなに怖い
日もありませんでした。


東京についた僕は
当時恵比寿にあった
アットマークインターハイスクールの事務所に
行き、そこで
働かれていたスタッフの方や
学校をつくられた経営者の方の
お話を聞くことになりました。


そこで聞いた話、
そこで見たものは、
今の自分にとっての原体験と
なるものでした。


その学校の経営者の方が
もっとも大切にしていたのは、


ひとりひとりの人間には
それぞれの可能性が宿っていて
教育というのは
もともと福沢諭吉によって、
educationを開智と訳されていたように
一人一人のその可能性をつぶさず
引き出して行くことこそ大切なのだ
という信念でした。


小さい頃からの詰め込み教育と一方的な受験戦争に
完全に疲れ果てていた自分にとっては
そのような考え方があり
そしてそれを実際に形にしている場があることをしったことは


まさに自分にとっての原体験になりました。


ああ、俺もいつか
こういう、人の可能性を
つぶさずに、
その人の持っている力を
引き出して行くような
教育文化を
日本に築いて行きたい。


そのような
ある種の希望が
自分の胸の中に
宿ってきました。


明日に続く。

Aug09

なぜ西洋占星術師になったのか その6

こんにちは、ユピテルです。


さて、そんなこんなで
高校時代悩み抜き
いよいよもうだめだと
家出をし、上京した僕は、
アットマークインターハイスクールという
新しいタイプの学校に出会い、
そこで受験戦争に明け暮れていた今までの
自分の価値観を打ち壊す
新しい教育の光を
見ることになりました。


それは、
知識を一方的に詰め込むのではなく、
その人の持つ可能性をつぶさずに、
あるいはその人の意志を否定せずに、
その人の興味や能力を尊重し
引き出していくために、


その人の可能性を大切して
何かを一方的に「上から教える」のではなく
「学ぶことを支え、そしてともに学んで行く」
という教育の姿勢でした。


この学校では、
当時から7年経った現在ではビジネスの世界でも
かなり一般的なものになっていますが、
当時はまだ目新しかった
「コーチング」という
技術を用いた学びの支援を行っていました。


「コーチング」とは
質問や傾聴を通した対話の中で、
その人の興味の方向性を明確にしたり、
目標設定や遂行のサポートをする
「主体的な学び」を支援するための
教育的な技術です。


アットマークインターハイスールでは、
知識的に突出したいわゆる学校の「先生」という存在はおかずに、
このコーチングスキルを身につけた
生徒の主体的な学びを支援する「サポートティーチャー」という
ユニークな制度を取り入れていました。


時間割も、学びたいことも完全に
生徒側に任せる形で組むことができ、
目標設定後の成績評価も生徒自身が行うという
ほとんど全てを生徒の自主性にまかせた
なんとも潔い教育システムでした。


当時完全に受験戦争のレールの上で、
育ってきた自分には、
それは衝撃以外の何ものでもありませんでした。


そして、同時に
この世にそんな学校が存在していることに
なんともいえない感動を覚えました。


そうして何週間か東京を滞在した後、
家出で周りの家族や先生、友人に
とてもつもない心配をかけてしまい、
その後神戸でこっぴどく怒られ、
家族にも先生にも友人にもお灸を据えられましたが、


家を飛び出す前には
なんの未来図もなくただただ毎日の宿題に追われ
完全に目が死んで、生きる希望も
なくしていた僕が
その非日常的な経験を通して
新しい価値観と生きる希望を得て
目に活力が戻ってきました。


その後、結局
最終的には、家族や先生からの反対のなかで
アットーマークインターハイスクールに入ることもなく
結局は我慢して高校に通い続ける
ことになったのですが、
高校1年の冬に
経験した
この非日常的な体験が
いまでも
自分の中でくっきりと原体験として残っていて


大学入学以降は、
「その人の持つ可能性をつぶすことなく
その人らしい能力を発揮するためには
どのような教育スタイルが望ましいのか?」
というテーマをもつことができるようになり


それが巡り巡って
「その人が、その人らしく
自分の人生を豊かにしていくための
きっかけをともに探して行く」
という
自分の占いのスタイルにいきつくまでの
おおきなきっかけとなるものに
なりました。


長いシリーズになりましたが、
明日は、最期に
こうした原体験が
なぜ僕の占いに結びついて行ったのかを
より具体的にお話しします。

Aug10

なぜ西洋占星術師になったのか その7

こんにちは、ユピテルジョージです。


僕の鑑定のスタイルは、ただ一方的に占いの鑑定結果を伝えるだけでなく、
こちら側の価値観だけで判断せず
お客様と対話的に問題解決を図っていく鑑定スタイルをとっていますが
こうした鑑定スタイルをとっている大きな理由に


高校時代に家を飛び出して一時的に上京し
アットマークインターハイスクール
というインターネットを使った新しいタイプの学校で
コーチング、そして傾聴という
対話的な能力開発の手法に出会ったことが
そのおおきなきっかけとなったことがあげられます。


現在ではビジネスの現場でも
コーチングとは必要不可欠なスキルとして数えられるもののひとつに
なっていますが、
7年前の当時は
まだコーチングといっても
現在ほどきちんとしられておらず
かろうじてスポーツなどで練習をサポートする
コーチ
という単語が知られているくらいのものでした。


最初、僕自身も
コーチングというものに
半信半疑で、
相手の可能性を信じて、その可能性を対話の中で
引き出して行く
ということが表す意味が
あまりよくわかりませんでした。


しかし、
実際に家を飛び出して向った先の
アットマークインターハイスクールでは
多くのサポートティーチャーと呼ばれている
コーチングスタッフの方とお話しする機会があり


また実際にある一人のサポートティーチャーに
お試しコーチングサービスを受けることになるなかで
少しずつコーチングが人間の能力ややる気を
とてつもないスピードとパワーで
引き出して行くということを、
身にしみて感じることになりました。


そんなこんなで、高校時代
コーチングという対話的な人間の能力開発の手法に
出会ってからは


いつか自分も、
アットマークインターハイスクールの
サポートティーチャーのように
相手の可能性を否定せずに
相手の可能性の扉をひらくお手伝いをする
人間になりたいな
と思うようになっていきました。


その後、大学に入った後は、
このような興味から
自分の大学での勉強での軸を「教育問題」というものに据えて
様々な勉強を行うようになりました。


その後、「教育問題」から
占いに行き着く間でのプロセスは今回は割愛しますが、
(大学入学後教育というテーマがどのように
占星術というものに結実していったのかはまたいつかお話しします。)


大学2年の終わりころには
西洋占星術という
古代から続く人間のこころを読み解いていく
心理学的な、あるいは象徴学的な
人類史的な文化と出会うことになり、


それに更に、
高校時代に出会った、コーチングや、傾聴といった
スキルを組み合わせていくことで


より深く、より内容の濃い、
そして、より信頼感のある
カウンセリングが提供できるのではないか
と思ったのが、


僕の占いのおおきな特徴のひとつである
「対話的な鑑定」
を生むきっかけとなっていったといえます。


コーチングや傾聴といった
相手主体の能力開発のコミュンケーション技術と、
2600年以上にもわたって人類のこころを読み解いてきた
西洋占星術の融合。


ユピテルの占いの源泉は
こういうところにあるのです。

Aug13

占いと僕

こんにちは、ユピテルジョージです。


ユピテルが占いにいきついたのは
「はい占い」と最初からポンと用意されていたものではなくて
もともと占いとは関係のないような
色々な苦しさや孤独を乗り越えて行く中で
副産物として
ひとつの技術として身に付いてきた
という側面が
現在占いをやっている要因としてとても強いのですが、


占いをやっていて
そうした苦痛のなかでの副産物として生まれた
占いが、
今は自分の心理的な深い傷を
癒していっているような感覚に
とらわれることが多いです。


もちろん、ぼくの占いは
僕の深い心理的な傷を癒す為にやるのではなく、
お客様のお役にたてる
信頼できる占いを提供して行く
ことにあるのですが、


でも、仕事というのは
多かれ少なかれ
そういう他者への貢献以外にも
自分にとっても大きな意味を持つ
要素も多分に持っていると思います。


多分、これからも
職業として、占いを続けて行くことは、
毎日のQ&Aの連続と
共にあるのでしょうが、


どんな困難にもめげずに、
他者の役に立てる
頼りになれる占い師
を目指して
毎日精進して
頑張って行きたいと
思います。

Aug16

生命について深く考えるお盆

こんにちはユピテルジョージです。


とっっっても、暑い
お盆ですが
皆様いかがお過ごしですか?


ユピテルは、お盆は地元の神戸でゆっくり過ごしています。


お盆は、死者の魂を祭る祭日ですが、


昨日は、平和憲法が何の議論もなく改憲されようと
されている今日、62年目の終戦記念日、


今日は、中越沖地震からちょうど一ヶ月が経ち、


そして大変残念なことに、
ペルー沿岸でM7.9の大地震と、


たくさんの生命が失われ
また中越沖地震では今でも
多くの方が避難所生活を余儀なくされており


人間の生命について深く考えるお盆だな
と思います。


地震は、自然災害だからといって
何も手立てがないわけでは決してなく
防げる人災もたくさんあります。


身近なところでいうと
たんすや本棚の下に寝ない
あるいは大地震がきても耐震器具で倒れないように
しておく
という最も基本的なこと、


(阪神大震災では大変多くの方が
家具の下敷きになって圧死しています。)


また、今回の中越沖地震では、
柏崎原発の次々に出てくる新しい信じがたい事実には、
日本の原子力開発のありかたへの
不信感と不安感が募ります。


まして、
戦争は、完全に人災。


終戦から62年たった今、
戦争経験を語り継ぐ世代もだんだんといなくなっており
もはや想像力を介して「人間の生命の大切さ」「戦争の悲惨さ」に
まじめに向かい合うことでしか、
安易な戦争への道をちゃんと
日本人自らの意思で戒めることが
できなくなりつつあると思います。


現在の改憲の動きに対しても、十分な議論があるとはおもえず
毎日の中で、
人間の命というものに
向かい合っていくことを通して
安易な戦争という大「人災」への道を
防いでいかなければならないな
と思います。


毎日の生活の中では
なかなか
まじめに「人間の生命」と
向かい合うこと、
考えることというのは
難しいと思います。


しかし、
やはりそのような「生命への想像力」というのは
常にどの時代にあっても
忘れてはいけないものだなと
思います。


Sep21

こんにちは、
西洋占星術師ユピテルジョージです。


お客さんにとって
ユピテルの仕事っていうのはどんな意味をもつのか
ということを
常に考えます。


ユピテルの夢は
多くの人の器になること。
温泉のようにあったかく
いっしょにいて安心できる
ひとであること。


そしてその器の大きさとは
他者に安心できる居場所を与えることができる
自分自身の余裕
なのかなと思います。

それは、
自分自身に余裕を持つことであるし、
と同時に
状況に流されずに
自分の軸を保っていることでもある。


なにはともあれ
温泉のように
ゆったりとはいれるような
安心感
を磨いていきたいと思います。


明日はお待ちかねの、
週間12星座占いです。お楽しみに!!


Sep22

生命への敬意

こんにちは、西洋占星術師
ユピテルジョージです。


鑑定を積み重ねて行く中で、
占星術は、やはり
人間の心を象徴する
とてもよくできた
象徴体系だなと感じます。
 
 
ユピテルなりに、
なぜこんなにも占星術が
当たるのか
ということを考えていたのですが、


それは、
占星術は
当たる当たらない以前に、


その象徴体系が
「生命のパターン」を
象徴している
からなのだろうと
思い始めています。


近代の科学的な思考の枠組みの中では
ひとりひとりの人間は
均質的な性質を持ち
全ての人が合理的な思考を
ベースとした
理性的な人間である
と解釈されてきました。
 
 
しかし、実際のところは、
皆様もお分かりの通り


感情が豊かな人もいれば
クールな人も入る
そのふたつをアンビバレントに同時にもっているひともいれば
情熱的なひと
現実的なひと
理想主義的なひと


はっきりいって、
ひとりとして同じ人間は
この世にひとりとしていない
ということは、
皆様日常生活の中で
感じる一つの当然な感覚だと思います。
 
 
しかし
近代の枠組み、
つまり画一的教育、工場での流れ作業、
科学技術や合理的な思考のなかでは、
それぞれの人間の個性は
均質化され、
いわゆる理想的な
合理的な人間、理性的な人間像
というなかに
おおよその理想像を
結ぼうとしていました。
 
 
しかし、
「生命」
とは、そもそも「合理的」なものではなく
また決して「理性的」なものでもありません。


それは、時に非合理的にドドドッと動いて行きますし、
また非理性的に、あるいは感情という
曖昧模糊としたもので
判断されていくものでもあるのです。
 
 
占星術は、
その人が生まれたときのこのような
合理的、理性的なものだけでなく
感情や、直感といった目に見えない
生命の流れも含めて
トータルの
生命の姿を
ありありとうつす
ひとつの象徴体系
なのだと思います。
 
 
僕自身、占星術という文化ととともに
人生を歩みながら
ときおり占星術がみせる
不思議の数々に
驚かされ続けています。


それは、自然がときおり見せる
不思議、への驚きの感覚ともいえます。


ほとんど全ての自然現象が
科学的に解明されていると思われている
現代には、
むしろ
こうした不思議さ
そしてそれに対する驚き
というのは
忘れてはならない
自然や
生命というものへの
敬意
というものを
呼び覚ませるようなものだと感じます。

Sep25

心に響く言葉をつむぎたい

占星術の鑑定というのは、

話を効果的にじっくりと聞き
「安心して話が出来るという」
リラックス効果を持ちながら
自分を見つめなおすことができる
カウンセリングという要素
が大いにありますが、


それと同時に


カウンセリング形式の対話の中で
模糊とした自分自身の悩みや
自分自身という存在を捕らえるための
「じぶんの心の内側にすっとはいってきて
自らのエネルギーになる言葉探し
という要素もある
んだなと思います。


自分という存在は、
知っているようで意外と知らないものです。


私は
なんとなくこうだな、こういう癖や
傾向があるんだなと
漠然と思うけれど
それをなかなか客観的に見て
さらにそれを
自己評価することは
結構難しいものです。


自分自身という存在は
結構見えにくいものなのです。


さて、そういう曖昧模糊とした
自分自身を客観的にとらえ
自己評価するために
言葉の力というのは
とても大切だなとおもっています。


ユピテル自身は
こうした曖昧模糊とした
自分自身の正体を捕らえるために
自分自身という曖昧模糊とした存在を
言葉でつむいでいくための
詩を
しばしば書いています。


詩とは
じぶんの無意識のなかから
むくむくとわいていくる言葉や欲求
エネルギーを捕らえながら
自分自身が心から必要としている
もの探索し、選び、言葉として
あらわし、時に価値を構築していく
心の営みだと思っているのですが、


その中で、今日そのような詩作をするなかで
自分の無意識から
出てきた言葉で、
しかし、
自分自身が生きるのに必要としていて
しっくり来た言葉は、


自己との対決
他者との共存
よりよい社会の構築

という3つの言葉でした。


心にしっくりきて
自分自身納得し、
かつ自分自身の人生の方向性を
見定めるエネルギーのある言葉。


不思議なのは
これは自分が編んだ言葉というよりかは、
無意識の中からもくもくと
沸いてきた言葉なので、


自分を超えた大きな存在に
与えられたような
自己を超えた
普遍的な言葉であるという
感覚を持っていることです。

言葉は誰のものか?
言葉は個の言葉である以上に
個を超えた
より大きな存在のものでも
あるのだなと感じます。


何はともあれ、
鑑定の仕事とは
実は
「心の仕事」であると同時に
「言葉の仕事」
だなと

最近思います。


軽薄な言葉ではなく
ほんとうの言葉を語れるように

これからも
自己との対決(自分の中にねむる言葉をつむぎだし)
他者との共存(他者の言葉に耳を澄ませ、他者に届く言葉を考える)
よりよき社会の構築(そのような言葉を積み重ねていく中で、
より多くの人がかかわり、ともに生き、ともに成長できる文化をつくる)
をめざして


がんばっていきたいと思います。

そして、鑑定を通して
元気の出る言葉
をつむげるように
自分自身の能力も
磨いていきたいと思います。

Sep26

ユピテルジョージの名前の由来

こんにちは、西洋占星術師のユピテルジョージです。
 
 
今日はよくご質問される
ユピテルの名前の由来についてお話しします。
 
 
ユピテルジョージというのは、
私がプロの星占い師として
活動するために
星占いの師匠
リル翠先生につけていただいた
名前なのですが
 
 
ユピテルというのは
私が生まれたときにもっとも天高く輝いていた
惑星、
木星
またの名をジュピター(Jupiter)
これをラテン語読みをした
ユピテル
が私の名前の
由来なのです。
 
 
木星は西洋占星術では
魂が健全にすくすくと成長するための
栄養が詰まった
幸運な星とされており、
全天を統治するギリシア神話のゼウス(ローマ神話ではユピテル)
と同一視されてきました。

 
そして、私はこの
木星にあやかって
ひとりひとりに
幸せを運べる仕事を
成して行きたいという
思いから
この名前を語り始めることになりました。
 
 
ユピテル、
という名前は
日本語としてはとてもめずらしい響きなので
すぐに覚えてもらえることが多く、
この名前をつけてくださった
リル先生には大変感謝しています。
 
 
さて、ジョージというユピテルに継ぐ
名前ですが、
これは実は
私の本名からきております。
 
 
私の本名は
譲治(じょうじ)
といいまして、
 
 
それをカタカナで表記したものが
このユピテルジョージの
ジョージという部分なのです。
 
 
ジョージという名前も
とても思い入れのある名前です。
 
 
私の本名
譲治という漢字には
 
 
譲って
治める


譲って
治す


という意味が
込められています。
 
 
まだちいさい頃、
この難しい漢字「譲治」の由来を
母にきいたとき、

他者に「譲る」

自分の持っているものを
相手の立場に立って
無条件に与えるということ
 
 
という5歳にも満たない
子供には
難しい
概念を教えられ
 
 
小さい頃から
自分の名前、
 
 
譲って、治めるとは
どういうことだろう?
 
 
譲って、治すとは
どういうことだろう?
 
 
ということを無意識的にも意識的にも
ずっと考えていました。
 
 
今、私が占いという
混乱してしまった心を
治していく
仕事をやっているのも、
 
 
両親が、譲って治められる
譲って治せる
人物になってほしいという
願いを
込めてつけてくれたからかもしれない
 
  
そのようなことを感じることが多いです。

譲り、
治す。


そして一人一人に
魂の栄養がつまった
幸せな明日を運ぶ。


そういう願いを込めて
 
 
西洋占星術師
ユピテルジョージは
毎日占いの活動に
いそしんでいます。

Sep28

自由に、そして頼りがいのある人間に。

こんにちは、西洋占星術師ユピテルジョージです。
 
 
大学を卒業し、社会に出て
プロの占星術師として走り出してはや半年。
徐々にお客さんが何を求めて占いにくるのか、
ユピテルは何ができるのかが、
少しずつはっきりと
確かなものになってきます。
 
 
とても大切だなと思うのは、
僕自身が、自由で
頼りがいのある人物でなければならないな
ということです。
 
 
元気と笑顔、
勇気と根気を
分け与えることのできる
エナジーを
内に秘めてこそ、
占星術師として
一本立ちできるのだと思います。

 
 
体力をつけ
夢をもち
ともに走れる人間だからこそ
求められる人間になれる。
 
 
というわけで、
これからも
求められる西洋占星術師
になるように
精一杯自分を磨いていきます!!
 
 

さて、お楽しみの
12星座別週間占いは、
もうしばらく後に。(本日中に掲載します。)

Oct01

賃金よりも「自分の成長」

こんにちは、西洋占星術師ユピテルジョージです。
 
 
いよいよ10月ですね。いかがお過ごしですか?
 
 
今日、日経の記事(10月1日朝刊09面)を読んでいたところ、
社員が感じる働きがいは
というアンケートの記事が
掲載されていました。
 
 
どういうアンケートだったかというと、
 
 
あなたが働きがいを感じる要素は何ですか?(複数回答)
という質問で、
それぞれ割合の高い要素から順番に
 
 
自分の成長(46パーセント)
達成感(43パーセント)
職場への貢献
社会への貢献
顧客からの評価
会社からの評価
賃金(31パーセント)
会社や組織の業績(23パーセント)
出世(5パーセント)
 
 
とあり、
意外にも、賃金(31パーセント)や出世(5パーセント)よりも
「自分の成長」(46パーセント)と
答えた人が多いのに
びっくりしてしまいました。
 
 
 
びっくり、
というのは、
 
 

46パーセントもいるのだ!という驚きと
同時に、
ああ、やっぱり
日本人の職業観として
「仕事は自己実現を図るもの」
「仕事は自分の成長を促すもの」
と考えるのが
 
 
もう「夢物語」ではなく
今やこの社会では
むしろ現実的なメインストリーム
いや、
「切実な問題」となっているのだな、
という実感を得たからなのです。
 
 
 
仕事は自己実現を図るためのもの
仕事は自分の成長を促すもの
という考え方がメインストリームになってきていることは、
実際に、鑑定の仕事をやっていても
感じます。
 
 
鑑定の相談でも多いのが、
転職と天職(自分は何に向いているか?)の
相談です。
  
 
占星術の鑑定をするものとして
強く感じるのは、
やはり
職業への「適性」
というのは
ある
ということです。
 
 
「適性」とはなにか?
 
 
それは、
自分を活かし
心の健康、
霊的健康も含めて
生き生きと生きる為に
必要な
仕事
というものです。
 
 
仕事、
は収入のため「だけ」に
するものではなく、
 
 
自分が
肉体的にも
精神的にも
霊的にも
健康的に
生き生きと
「生きる」為に
そして
すくすくと
「成長する」為に
必要なものです。
 
 
上のアンケートでは
収入(31パーセント)
出世(5パーセント)は、
軒並み低い数字になっていましたが、
 
 
ものやお金や収入、といった
目に見える対価だけなく、
 
 
どうやら目に見えない
やりがい
生き甲斐
働きがい
というのは、
 
 
いまの日本人にとって
お金や収入という目に見えるもの以上に
切実で、大切なことであるのだ
ということを
この記事を見て
尚深く感じました。

Oct02

霊界参入

長い準備期間だったが、
いよいよ
ユピテルジョージの占いのキャッチコピーである
「ここから始まる自分旅行」
を、
今日
自らの手で
漕ぎいだしたいと思う。


これまでの2年間半は
霊的なこと
霊界のこと
などを話すのに
きわめて
慎重に、慎重に
語っていた。


しかし、
そういう「準備期間」も
どうやら、もう
賞味期限だ。


霊界は、
ある。

これからは
もっと正々堂々と
霊界に参入し
霊的な修行を積み
そして
きたるべき新しい時代
新しい人類の為に
霊界の知識を
ちゃんと体系付けて
新しい霊的文明のための
基礎工事をして
いこうと思う。


これからは
より自分の人生のすべてを賭けて
人類の新しい時代の
霊的文化
霊的な文明の
礎をつくる
地道な作業を行って行きたい。

まずは、人類のための
霊的な知識のベースをつくり
啓蒙していくことが
大切だ。


そして、自分自身が
率先して
自らの人生を賭けて
霊的進化を
率先して遂げていきたいと
思う。


新しいことをはじめる、
ということは
たよりにすべき概念もなく
自らの道筋も
地道につくって行かなければならない。


そして同時に
新しい世界に参入するためには
偏見を怖れぬ
勇気が必要だ。


いま新しい世界に漕ぎい出すとき、
兜の緒を締めて
頑張って行きたい。

Oct03

なぜ西洋占星術師になったのか

「なぜ占い師になったのですか?」
「占いをやろうと思ったきっかけは?」

  
この2つは
初対面の人に必ずといっていいほど
聞かれる質問なのですが、
 
 
これまで
本当にこの質問に答えるのに
いつも難儀していました。

 
なぜなら、
なぜ占い師
になったのかは
私自身にも
よくわからなかったからです。
 
 

そして、以前
このユピテルブログでも
なぜ
僕が西洋占星術師になったのか

連載の記事で
四苦八苦しながら書きました。


結果的にその数はなんと
7件にもなりました。

なぜ西洋占星術師になったのか その1
なぜ西洋占星術師になったのか その2
なぜ西洋占星術師になったのか その3
なぜ西洋占星術師になったのか その4
なぜ西洋占星術師になったのか その5
なぜ西洋占星術師になったのか その6
なぜ西洋占星術師になったのか その7
 
 
これだけの量を書いても
まとまりきらない
書き始めても
いつになっても核心をつけない

 
そんな状況だったので、これまで初対面のひとに
なぜ占星術師になったのかを聞かれたとき
四苦八苦しながら不器用に
答えてきました。


もっとスパッと
核心をついた説明をしたい。


そう思っていた矢先、


3年半以上の長いスパンを経て
やっと
うまく核心を突いた
説明ができることに気がつきました。


――ああ、そうだ、
これだ。

「昔から霊感が強くて、
それを言葉で説明したくて占いをはじめたんですよ」


――。
 
 
 
あーーーーー、


すっきり。


足掛け
3年半以上かけて
やっと出てきた答えです。


核心をついて
自分も納得でき
相手にも伝わる説明。

実際に何人かの方に
この説明をしたところ


へーー、そうなんですかーーーー


と、受け入れてくれました。


(あーー、3年半してやっと
うまく説明できた気がする。 )

なぜここにいたるまで
こんなに時間がかかったのか。

それは僕自身が
霊感が強いということを意識していなかったことと
霊感、という存在を
真っ向から否定していたことが
原因でした。

なにごとも理性で説明しなければ
ならない
という気持ちが強く、


それがむしろ
自分の持っているものを
気づきにくくさせる
障害になっていたのです。

ある意味では、
自分自身が持つ
「強い霊感を持つ人間」という
社会的なマイノリティーの要素を
自らの理性の力で押さえつけようとしていたのだと思います。


自分には
強い霊感がある
それを認めた瞬間、
不思議に、
気持ちが楽になりました。

多分、これは
セクシャルマイノリティのひとが


自分の性のありかたに
気づく瞬間にも
相通ずるものがあると思います。

社会的に
「ないもの」
とされているものは、


個人の内面でも
理性によって
「ないもの」
としてしまう力が
働くと思います。


しかし、それは
間違いなく
自らの本質を
圧迫することであり、


本当に
自分自身を認めるためには


どうやら
社会的に
「ないもの」
として抹殺されている


自己の本質に気づき、


勇気を持って
それに
(社会に対してというよりも
自己に対して)反旗を翻すことが
必要なのだなと
思いました。


私は、
個人から
始まる可能性を
信じたい。

Dec06

生命のメッセージ展 in 早稲田

こんにちは、
西洋占星術師ユピテルジョージです。
 
 
春から手伝ってきた
生命のメッセージ展の活動の集大成
生命のメッセージ展in早稲田
が早稲田大学新学生会館地下2階
で今週火曜日から日曜日まで行なわれています。
時間は10時から19時まで
土日は10時から17時まで。 

会場地図はこちら
http://inochi-waseda.main.jp/access/788DB056-8241-467F-89BC-A13485B167D1.html


生命のメッセージ展は
飲酒運転による交通事故
いじめや一気飲ませ
殺人事件などで
生命を断たれてしまった方の
遺品と
等身大の人形パネルとを
ともに展示をし


生命について
生きることについて
考えるアート展です。


私は、in早稲田では、
メッセンジャーがいるメイン会場の
多目的室の隣の会場
演劇練習室で行なわれる
企画運営の班長をやってきましたが、


演劇練習室内企画として
この期間に3つの企画を行ないます。


12月6日(水曜日)夕方6時からは
同世代遺族の児島菜友香さん(メッセンジャーの児島健仁さんの妹さん)
の講演会
「同世代遺族からのメッセージ」
がありました。


「同世代」にスポットをあてた講演は、
今回が始めての取り組みになります。
同世代の参加ご家族からお話を伺いたい。
その想いからこの企画は始まりました。
そして今日、多くの方にご来場いただき
大変学びの深いいい企画になりました。


明日、12月7日(木曜日)昼3時半からは
メッセージ展in早稲田で何年も
お世話になっている参加ご家族の
岩嵜悦子さん(メッセンジャーの岩崎元希さんのお母さん)の講演会
「あなたに会えてありがとう」
があります。
 
これまでずっとメッセージ展in早稲田を
参加ご家族の立場から支え続けてきてくれた岩崎悦子さん。
メッセージ展との出会い、
メッセンジャーとの出会い、
スタッフとの出会いを語ってもらいます。
 
 
そして
12月9日(土曜日)昼1時からは
生命のメッセージ展 ミニライブ
-thank you for messengers and for you
が開催されます。
 
出演者は

詩の朗読
鈴木共子さん(生命のメッセージ展の代表で
メッセンジャーの鈴木零君のお母さん)

ダンス
三木友幹さん
メッセージ展をとりあげた映画「0(ゼロ)からの風」の
映画音楽とともに
素敵なダンスを踊ってくれます。


ギタリスト
高木しょうへいさん
生命のメッセージ展in早稲田のために
新しく曲を作ってくれました。


このライブ企画を担当しているのが私なのですが、
私がメッセージ展にかかわろうとおもった
大きなきっかけは
この春に
代表の鈴木共子さんの詩の朗読を
きいて、色々なことを
心の深いレベルで感じたからでした。


そして、是非、
皆さんにも
共子さんの詩の朗読を
聴いてほしい、
そして生命について
いきることについて
考えるきっかけにしてほしい
と思ったことが
共子さんに詩の朗読を依頼する
動機でした。


また、ダンサーの三木友幹さんも
ギタリストの高木しょうへいさんも
彼らの視点から
彼らの表現を通して
「生命」について
深く向い合っているアーティストです。

どの企画も、
生命について、生きることについて
問われる、考えられる
いい企画です。

 
「生命」というものが
ないがしろにされることのおおい
今の社会。
人生にとって
本当に大切なものは何か。
そうしたことを
深く考えさせられる
とてもいい機会です。

 
是非、多くの生命のメッセンジャーに
会いにきてください。


生命のメッセージ展詳細
http://inochi-waseda.main.jp/index.files/4DCAE192-C196-48C3-854B-05C814FD2EFA.html

Jan08

夢の持てる社会をつくる

こんにちは
プラネットセラピスト
ユピテルジョージです。
 
 
昨年の春
インドの聖者
アマチのダルシャン
にいったときに
受け取った歌詞がありました。
 

つらくなったとき
心が折れそうになったときなど
常にそれを
思い出し
出発したときの
志を思い出し
占いの
活動をがんばろうと
自分の
戒めにしている
歌詞です。
 
 
とてもシンプルだけれど
とても真実を突いていて
力があります。
 
 
============

万人が、怯えず眠れるよう
せめて一夜、怯えずに

万人が、飢えずに満ち足りて
せめて一日、満ち足りて

暴力のない日が、一日でも
傷つく人なく 平穏に

老いも若きも、貧しい人のため
一日だけでも、身をつくす

それが夢、わが祈り
愛 が答え、 愛 が道

============
 
 
テレビをつけると
悲惨なニュースが
毎日のように流れ
とても心が痛みます。
 

最近は、 
テレビをつけるのさえ
怖くなってしまう毎日です。
 
 
元気が出る
夢を持てる
他者を大切にできる
社会
というものを
やはり自分のできる範囲で
精一杯
築いていきたい。
 
  
毎日のように起きる
不正
凶悪犯罪
殺人
飲酒運転による死亡事故


 
テレビの向こう側で起きている出来事は
無関係ではない。
 
 
そう思えば思うほど
辛くなる。
 
 
けれど
やはり無関係ではない。
 
 
夢の持てる社会を築けるように
他者を思いやれる心をはぐぐめるように
生きれないだろうか。
  
 
私にはまだ
長い人生経験はない。
 
 
けれども、
こうした困難に
立ち向かっていくだけの
「若さ」は
あると思う。
 
 
どの時代も、
本当の意味で社会を変える
一番の先頭を切らなければならなかったのは
若者だったと思う。
  
 
そうした「若さ」が
自分にはある。
 
 
そうした「若さ」を持っているからこそ
多少の困難や
苦労も引き受けて
社会をよくしていく
責任があると思う。
  
 
暗い混乱した世相だからこそ
世の中をよくしたいという
思いを胸に
大きなことをいきなりなすことは
できないが
自分にできることを
こつこつと
こなしていくことが
 
 
きっと
誰かの役に立ち
きっと
誰かの笑顔につながる。
 
 
そう念じて、
しっかりと
プラネットセラピー道を
進んでいきたいと
思います。

Jan17

あの日から13年。

こんにちは、
プラネットセラピスト
ユピテルジョージです。
 
 
今日は久しぶりの
オフの日。
仕事を忘れて
家で
ゆっくりとしています。
 
 
土日は働いているので
1週間に2日ほどの平日が
私の休みなのです。
 
 
今日は
阪神大震災から
丁度13年になります。
 
 
13年。
 
 
当時の私は
まだ小学校4年生でした。
 

私は 
もっとも被害の大きい地域の一つ
神戸市須磨区で
被災しました。
 
 
あの地震のことを
毎年この日が来ると
振り返ります。
 
 
あの地震は
私にとって
一生忘れられないものであるし
これまでの人生にも
これからの人生にも
大きな影響を
与え続けて行くと
思います。
 
 
あの日、
震災を経験したことで
人間の生命がというものがいかに儚いか
と同時に
人間の生命がいかに尊いか
ということを
深い深い
自分自身の原体験として
一生自分の人生に影響を与えて行くのだと思います。
 
 
あの日から
日本は
段々と
人間の生命を
軽んじる
そんな風潮を持つ
世相に
変わって行ってしまいました。
 
 
最近では、
テレビをつけるごとに
毎日毎時間のように
悲惨なニュースが
目に
耳に
心に
飛び込んできます。
 
 
あの日
私が
震災の現場で感じ
見た
人間の生命
そして
人間の
否応なき
死。
 
 
そうした
死の原体験を
乗り越えて行くような
感覚が
現在の「生命」というものを
しっかりと見つめ
考えて行きたいという
思いに繋がっているのだと思います。
 
 
最後に
あの震災を
乗り越えて行くときに
神戸のこどもだちが
歌い続けてきた
「幸せ運べるように」
という歌を紹介します。
 
 
私は
1月17日
この曲を聴くたびに
人間の生命というもの
他者と支えあうことの大切さ
生きたくても生きれなかった人の分まで
強く生きていくことの大切さを
振り返ります。
 
 
あの日から13年経ちましたが
震災で人々が負った傷は
そのような短い時間では
決して癒えることはありません。
 
 
ひとりひとりが一生をかけて
あの日経験したことを
乗り越えるように
それぞれの人生で
それぞれの方法で
活かして行くのだと思います。
 
 
私自身の


あの日に繋がっている
そして
だれかの未来に
繋がっている
そう想いながら
日々を大切に生きて行こうと想います。

 

 「しあわせ運べるように」
 
臼井  真 作詞作曲
 
地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への 希望を胸に
 
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
 

地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
 
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
 
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
 
 
http://www.kobe-c.ed.jp/research/on-es/kobenouta/shiawase.html

May09

ライトワーク

2012年のアセンションに向って
重要なたち位置を示してくるのが
ライトワーカーと呼ばれる人々でしょう。
 
 
2012年のアセンション
の際に起こることというのは
人々の多くが
自己実現の欲求に目覚め
それに基づいた社会構造を
本気でつくりはじめていく
ということです。
 
 
仕事をしていて
多くの人と触れ合って
気付くのですが
少しずつですが
自己実現社会の到来が
間近となっています。
 
 
あと5年くらいかな。
 
 
私のいう
自己実現社会とは何か?
 
 
それはひとりひとりの本質は
それぞれの魂の光によって違い
それぞれの人生のテーマを
全うして行くことによって
個人の自己実現のみならず
 
 
この個人の自己実現が
ピラミッド型の組織構造のなかではなく
むしろ
フラットな
ネットワーク状の有機的組織形態のなかで
発揮されて行く
という社会構造です。
 
 
ひとびとの
属する既存の組織の枠組み
とらわれずに
 
 
ひとりひとりの
ネットワーク的な協力関係に基づいて
ひとびとの新しいニーズ
「自己実現欲求」を満たす
新しい社会を築いて行くような
動きというのが
この五年くらいは
より盛んになってくると思います。
 
 
こうしたときに
重要なたち位置をしめしてくるのが
いわゆる
ライトワーカーという
人々です。
 
 
ライトワーカーとは
魂の世界の光を
霊的な力や
オーラ療法
占い
カウンセリング
ヒーラー
マッサージ師として
 
 
人々の日常生活に
おろして行く仕事をする人々です。
 
 
来年は
海王星がある水瓶座
そして
天王星がある魚座
 
 
そこに発展性と天の光をあらわす
木星が
運行して行くので
 
 
こうした
自己実現社会を築く為の
大きな動きというのが
なされていくでしょうね。
 
 
今年はどんな年かというと
そのための準備、基盤作りの年です。
 
 
さーて
どうなることやら。

Jan06

2010年の「出発」!

年末から1週間ほど
長いお正月休みをいただいていましたが
  
正月はゆっくり神戸の実家で休んで
エネルギーを蓄えてきましたよ。おほほ。
 
さて、これから飛行機で東京に帰ります♪
(いま神戸空港の搭乗ゲートです♪)
 
神戸滞在中も
いつもブログをみてくださっている
お客様との素敵な出会いがございまして
大感謝!
 
こうして書いている言葉が
遠い距離を超えて
 
身近で語りかけるような距離のように
人の心に届くという言葉の持つ
不思議なリアリティを
 
関西滞在中に
しばしば感じました。
   
時間と空間を超える力を持った
「言葉」というのは
とても不思議で素敵です♪
  
想いよ届け~♪
 
あはは。
 
さて、いよいよ明日から
東京での新年の個人セッション&ワークショップがスタート!!!
 
今月の私のミッションは
占星術を通じて
 
皆様の「新年のスタート」を
応援させていただくこと!
 
ユピテルは
あなたの2010年を応援します!
(キャッチコピー?笑)
 
早速明日から
個人セッションの枠が
びっしりと埋まっています!(!!)
 
今年も楽しみながら
働かさせていただきます♪
  
さぁ、素敵な新年を始めましょう♪
  
「ここから始まる自分旅行!」
の幕開けでーす!

Jan14

ハイチでの大震災

1月というのは
神戸に住んでいた人にとっては
特別な意味を持つ月だと思います。
 
1月17日が来るたびに、
自分の原点である
15年前に被災した
阪神大震災を振り返ります。
 
今年も、15年目の1月17日がきたな、
と今週一週間が始まるころに
思っていましたが
 
昨日
日本時間13日午前7時
現地時間12日午後5時にハイチで震度7の
壊滅的な大地震があったと知りました。
 
被災された地域は報道や通信網も
壊滅的な状況で
 
まだ、被災地域の情報も何も届いていないので
 
被害の状況も
いったい何が起きているかも
ほとんどなにもわからない状況です。
(それがものすごい甚大な被害をもらたしているということ以外は)
 
一日でも早く
一人でも多く 
 
生き埋めになった人が
助かってほしい。
 
一日でも早く
一人でも早く
 
離れ離れになった家族が
一緒になれるように。
 
一日でも早く
一人でも早く
 
救助部隊が
現地にたどりつけますように。
 
地球の裏側にいる私には
現地で被災されている
ひとりでも多くの人の生命が助かることを祈ること以外
 
何もすることができないのだけれど
 
ひとりでも多くの人の支援が
被災した地域に
届くことを
 
そしてひとりでも多くの
人命が助かることを祈るばかりです。 
 
しばらくして状況がわかってきたら
現地の状況が詳細に報道され
義援金なども始まるでしょう。 
(※調べたら早速ユニセフでの義援金受付が始まったみたいです
 
世界中の多くの人が力を合わせて
色々な形で
有形無形支えあうことが
結果的に
被災された方の頑張ろうという気持ちや
勇気になると思います。 
 

Aug13

ぐるっと一周して

この半年間
自分自身の活動が存在する文脈を批判的に
また、客観的にみていくということを
意識していたのですが 
 
最近ぐるっと一周して
改めて自分自身の文脈に
戻っていくという感覚を
取り戻してきました。
 
ここ半年敢えて意識して
自分自身の当たり前だった
スタンスに対して徹底的に
批判を加えていくことで
「自分らしさ」っていったい何だろうということを
ずっと考えてきました。
    
否定しても否定しても
残る自分らしさ。
 
それは私の占いは
占星術だけでなく、同時に
ヒーリング的な要素が介在し
また、占断的というよりも
カウンセリング的な空間でも
あるということ。
  
最近改めて思うのが
まず、ヒーリング的な文脈において大切なことは
 
本当の意味で他者を癒すということは不可能で
あくまで
癒しは能動的な活動ではなくあくまで
「癒え」という自然なプロセスであること
 
また、「ヒーラー自身が自分自身を癒していく
その余波が他者の癒しにも繋がっていく」ということ
 
また、ヒーラーのみに限らず
「本当の意味で癒すことのできる人は
そのひと自身しかいないということ」
 
そしてカウンセリングという文脈においては
カウンセラー自身の「自己一致感」。
 
カウンセリング的な空間において
受容的な関係性や
共感的な理解を
保障するために
カウンセラーに求められることは
 
そのカウンセラー自身が「自己一致」している
ということ。
 
カウンセラーが
自己矛盾をはらみながら
形式的にカウンセリングをつづけていくということは
非常に困難です。
  
カウンセラーが
ありのままの自分を受け入れている状態のときに
そこにはじめて本当の
受容的な関係性や
共感的な理解がもたらされます。
 
この辺りのポイントはカウンセリング的な占いにおいて
とても重要な要素となっているのだなと
改めて認識することが多かったです。
 
「自分らしさ」を
突き詰めて考えていくと
正直なところよくわからなくなることもあるのですが
 
でも、
こうしたヒーリング的、カウンセリング的な要素
というのは私を形作る
ひとつの「自分らしさ」なんだなと
改めて実感します。
 
よくよく考えると
過去に起きた人生の事象の色々なことが繋がって
いまこうした自分らしさを築いているのだなと。
 
そもそも占いという世界には
実に様々なアプローチが存在します。
 
伝統的な占い
アミューズメントとしての占い
心理学的な学問としての占い
カウンセリング的な占い
などなど。
 
「占い師としての自分らしさ」なんて
まだまだこれから模索していくものだとは思うのですが
 
でも、短いながらも
一歩ずつ歩んできたこれまでの道を
改めて自分自身で「信じる」ことも大切なんだなと
思う機会が増えています。

Aug17

セラピストとして思うこと

問題は解決されるためだけに存在する
わけではないのかもしれない。
  
セラピストとして仕事していて
そんなことをよく思います。
  
問題を通じて
こころの内側で
「何か」が深まっていく。
 
そしてその深まる「何か」は
誰にも予測できないし
またコントロールも出来ない。
 
悩んでいるならそれでいいし
無理に変えようと思わなくても
いいんじゃないかと。
 
むりに解決しようとするよりも
ときにはテレビを見て
ふて寝することも大切なんじゃないかと。

ただ問題が問題として
その人の心の中で映っているということは
 
「変わりたい」という思いが
そこにあるからだと思います。
 
その気持ちを大切にすること。
 
これってとても大切なんだなと。
  
いろいろなひとがいきている世の中で
全ての物事が自分の思い通りにいく
ということはないと思います。
 
それは悲観的にそう思っているのではなく
だからこそそこに「生きる意味」が
毎日の喜怒哀楽が
あるんじゃないのかなと。
  
でも、大切なことは
「変わりたい」という気持が無ければ
「問題」は生じないし
 
「変わりたいという気持ち」はきっと
「自分らしく生きたい」
という切望なのではないかと。
 
私自身がすごく
人生に対して前向きに思えるのは
どんな人にも
こうした「自分らしく生きたい」という
強い強い気持ちが
あるということ。
 
じゃなきゃ、悩みなんて生じないし
また問題なんて存在しない。
  
私自身が
生きていていいなと思うのは
どんな人にも
「自分らしく生きたい」という
人間的な感情があるということ。
 
「問題」が解決すれば
人生それでいいのか?
 
僕自身が大切にしたいのは
 
冬のように寒くて辛くても
また
夏のように活動的で楽しい雰囲気でも
 
そこに私たちが
「生きている」というリアリティ。
 
「問題」なんてそんなリアリティからみてみれば
あまりこだわることもないのかなとも
思うことが多いです。
 
私たちが「生きている」こと。
 
私はそうしたリアリティに触れた時に
 
なんだか人生に対して
前向きな気持ちを持てるようになることが
多いのです。